2012年11月14日水曜日

[Med-REHA]わが回想に生きるひとびと~SSさん逝く

        15年来の付き合いだったSSさんが脳卒中再発後の誤嚥性肺炎・呼吸不全で亡くなられた。享年81歳。

      私と最初の出会いは、彼が64歳で右被殻出血を発症した時に遡る。

     彼は急性期治療を含め、その後のリハビリまで私の受け持ちとなった。いわゆる土建屋さんで医者嫌い、それまでろくに健診なども受けず、酒たばこは欠かせない生活を送っていた。

     日常のわがままをそのまま病棟生活に持ち込んだものだから、看護師や訓練士とトラブル続き。見舞いに訪れる奥さんもスタッフにはなはだ恐縮していた。それでも昔気質ゆえか、医者の私には絶対的に従ってくれた。

      耐糖能障害、虚血性心疾患、高血圧と生活習慣病の揃い踏み。その治療と生活指導、杖と装具使用での身辺処理自立で自宅退院した。

      しかしその後も、糖尿病性網膜症で光凝固治療、狭心痛発作、腰部椎間板ヘルニア手術など、続発症オンパレードでその都度の対応に私自身も大いに勉強させられた。

   発症から3年後、最愛の妻を膵臓ガンで失い、特養に入所。仕事を止め、子供もない孤独な生活。この大きく急激な状況変化で負けん気の彼もうつ状態となってしまった。だがその苦難も何とか乗り切った。飲酒・喫煙は私の説得でも止められなかったが、その量は少量たしなむ程度となり、入所先での生活にも徐々にとけ込んでいった。

   月一度の外来通院とその際のリハビリを楽しみにしていた。当初多量に使わざるを得なかった降圧剤や経口糖尿病薬も減量、スタッフへのわがままな言動、うつがひどかった時の「死にたい!!」の言葉も徐々になくなり、受診時に面倒みる施設職員や病院スタッフへの言葉掛けも好好爺そのものとなった。

   今年10月最後となった受診で血圧はそれまでになく低め、降圧剤を更に減量して帰した。その数日後、出勤してまもなく施設から電話あり、言葉が聞き取れなくなっているという。血圧はやはり低め。脳卒中再発としてすぐに救急病院受診を促した。

   その後の経過が気になっていたが連絡なし。11月初旬、香川の学会から戻った13日、施設からA4封筒に入った包みが届いた。前医とそのスタッフからの紹介状が同封され、急性期病院からは11月1日退院したという。その後、施設の食事で流涎とむせ込みがひどかったらしい。微熱が続き、嘱託医から抗生剤点滴の指示も出たが、結局11月10日呼吸困難となり、永眠したという。

   経過を知って別な対処もあったように思われ残念であった。しかしあまり苦しむことなく逝ってくれたとすれば、これも彼の本望だったかもしれない。

   今頃、あの世で妻と久しぶりに再会しているかも知れない。彼の嬉しそうな顔が浮かんでくる。合掌。



2012年11月6日火曜日

[Med-REHA] 脳卒中地域医療連携:秋田県南広域医療ネットワーク ・・・学会で意見交換を予定

    きたるべき少子高齢化社会の中で、地域住民が安全・安心な生活を送られるための基盤整備が急がれている。医療介護福祉分野では自治体レベルでその基本計画が策定され年度毎にその再検討を行っている。

    秋田県の脳卒中医療について、その現状と今後の方向性について議論する機会が与えられ現状を俯瞰するが、なかなか具体的解決の道筋は見えてこない。社会的共通資本(宇沢弘文)として医療や介護、福祉の現状を眺めると、その提供体制はいびつであり、施設面でショートステイなどが増加する一方、医療面での人的ソースの不足と偏在が過疎の進んだ東北地方で深刻な医療崩壊を招いている。無論、脳卒中医療についてもその例外ではない。

    私は県南地域に位置する中核的リハビリ施設にあって、ここ数年間、脳卒中地域医療連携協議会を立ち上げ、行政とも協力しながら問題に取り組んできた。

第51回自治体病院学会(香川)で報告

    全体レイアウト秋田県県南地域は県総面積の半分に当たり、大仙・仙北、横手・平鹿、湯沢・雄勝地区の3つの医療圏を持つ。この広域圏で脳卒中医療を担う回復期リハ病棟は、実質、当リハ施設のみである。この実情から発足した「秋田道沿線地域医療連携協議会」、行政に協力する形で発足した我々の施設も属する二次医療圏対象の「大仙・仙北地域医療連携協議会」、この二つ連携活動から見えてきた連携医療の現状や課題、自分の考える今後の展望をポスター形式で発表してくる。学会の性格から他の都道府県自治体病院の現状と照らした、我々の立ち位置確認や国レベルへの要望など、意見交換に留まらず、得るところは大きいと期待している。



2012年11月1日木曜日

[IS-REC]私の10月運動総量はさんざんだったが・・

 

    この10月、私の運動総量は期待値(週40km走歩行)を大きく下回ってしまった。この確認は万歩計オムロンWalking StyleからPCに出力された月間運動グラフで行っているので一目瞭然だ。健康オタクで食いしん坊である私の健康維持プラン実践はいつもなかなか厳しいのが現実。
    さて、身体維持に必要な利用可能エネルギー(Energy Availability)は総摂取エネルギーから運動消費エネルギーを引いたものこの利用可能エネルギーが除脂肪体重(LBM)1Kg当たり30kcalを下回ると代謝やホルモン機能に影響して運動能力、成長、健康に影響するという。

    筋量や体力を維持する身体メンテナンスには、運動が必須であり、オーバートレーニングにならない範囲で一定の運動を継続し、それに見合うカロリー摂取を考えてゆく、これが運動と栄養の基本原則だ。

    一方、長生きや健康維持に、少食、腹7分目~8分目が実証的に良いとされる。勿論これは壮年期や老年期を想定した食のあり方を言ったものだろう。自分は低糖質メニューをここ数年実践し、運動はフィットネスクラブでの速歩やジョギングを週合計距離40kmを目標として実践している。歩数や延べ走行距離を件(くだん)のグラフに見える化して確認すると運動を継続する意欲が涌いてくる。

    しかし現職で運動する時間はもっぱら夜間となる現実、ルーチンの仕事と期限付きの仕事が重なると心身共にクタクタとなってついつい自分を甘やかしてしまう11月こそがんばろう!! (まあ疲れている時は無理せず休むのも良いかもねえ・・)

2012年10月31日水曜日

[Med-REHA]臨床と日常コミュニケーション手段としての絵文字


    臨床現場での医師を含む医療者側と患者さんとのやり取りで意志疎通がうまく行かなかったり、互いに納得したつもりで実は相互の誤解であったことが後で判明する事がある。特に障害者や高齢者の訴えを聴いてその治療や機能訓練に当たる我々リハビリテーションの領域ではこの意志疎通がうまくいったか否かは決定的に重要となる。

なぜ患者と医師でRAの疾患活動性評価が異なるのか:日経メディカル オンライン:
'via Blog this'

    疼痛など主観的評価がベースに入る機能障害評価は殊に難しい。日経メディカルオンラインに紹介された、RA(慢性関節リウマチ)の疾患活動性評価が患者と医師で異なる問題も同様であろう。

同期親友M君の仕事:臨床表現手段としての絵文字

    同期の親友M君は長らくこの問題に取り組んでいる。最近、彼からリハスタッフ用として学術誌講座欄に連載執筆した文献が送られてきた。頭痛や腰痛、そのほか表現自体が難しい五感に関わるコミュニケーションの可視化に取り組み、それが如何にセラピストにとって診療上のヒントとなるかを語っている。

絵文字や顔文字による表現は異文化に共通する

    過日、ミャンマーのリハビリテーションスタッフが視察研修に訪れた。その際、専門的内容に限らず、相互交流の場においても、つたない英語でのやり取りには骨が折れ、もどかしさを感じてしまった。こんな時可視化された伝えたい内容に関する絵カードがあればもっとスムーズに説明できたかも知れない。M君の執筆した講座には異文化でも臨床表現として絵文字が有用であったと書いてある。その通りだと思う。

日常臨床で使われる絵カード

    リハビリ目的で紹介入院してくる失語症や難聴の患者さんとのやり取りで、時に絵カードの使用がとても役立ち、コミュニケーションの代償手段として患者さんのご家族に指導する場合がある。このようにリハビリテーションの分野では絵カードが日常的に使用されているが、今後の高齢化社会にあってはコミュニケーションの代償手段として、またユニバーサルデザインの一部として簡便な絵解きと絵カードの類が役立ってゆくことだろう。

2012年10月28日日曜日

[IS-REC]和賀仙人岳で落とした登山案内はがき

       去る9月16日の和賀仙人岳登山では、姥杉までの旧街道に沿う広い登山道に比較して、それ以降の展望所から頂上への道のりは手入れ行き届かず背の高い笹藪に覆われた未整備道であった。やっとの思いでせまい頂上に到着後、すぐに同じ道の下山でも一瞬気を緩めると迷子となりそうな状況。

      そこで私は胸ポケットの登山案内葉書の入った袋を落としてしまった。10日程経って、その落とした葉書にあった私の住所宛に拾得物ありの連絡を宮城県多賀城在住、Sさんから頂いた。落としたカメラ 

  ( Sさんから届けられたカメラと葉書、そしてその人柄示す一文が添えられてあり)

    同じ熟年登山者らしい親しみのある筆致で拾いものは葉書以外にもあったという連絡。早速、小生所属する山の会の仲間に会長を通じて問い合わせした。あとでその拾得物がカメラである旨も、Sさんから連絡をもらった。その情報含めて会の仲間に連絡したがどうも落とし主は私の仲間にはいないらしい、Sさんにはそう連絡した。

仲間内のFさんが買ったばかりの高級カメラを落としていた

    ところがその後、仲間内のFさんが買ったばかりの高級カメラを落としていたようだとの連絡が会長からあり、びっくり。Fさんは落としたことがわかると仲間に迷惑がかかると、話すのを遠慮していたらしい。機種を照合して早速Sさんへ連絡。

    この度無事落とした案内葉書と一緒にFさんのカメラも届きました。もう戻らぬものと諦めていただけにFさんの喜びはひとしお。宮城多賀城のSさん、本当にありがとうございました。

[Med-REHA]ミャンマー・リハビリスタッフと交流


        10月22日から一週間の予定でミャンマーを代表するリハビリテーション施設からそのスタッフが視察研修に訪れている。JAICA大澤さんは以前、県内大学病院にPTとして奉職していたのがその縁である。ミャンマーは秋田の塩汁(ショッツル)と共通した漁醤が日常好まれ塩分摂取は秋田に負けず劣らず多いとのこと。正確な統計はないらしく国内の脳卒中発症率は把握されていないようだ。

       今回の視察研修は脳卒中リハビリのチームアプローチを学ぶこと。さて、ミャンマーの医学的リハビリテーションの歴史は意外に古く、日本リハビリテーション医学会の戦後の発展とほぼ時期的に共通する。しかし施設やスタッフは少なく、医師とPT以外の職種なく、ここ数年の民主化進展に伴ってつい最近、OTその他の養成校が認可されたらしい。脳卒中患者のリハビリ紹介はまだ認知度が低くあまりないとのことで外傷やリウマチなどが主。リハビリ医育成の教育はストレートで日本のように臨床他科からリハビリに代わるコースを取るものはいないらしい。臨床教授とPT、担当看護師を合わせ8名、通訳交えて10名越える一行に脳卒中リハビリの現場出である回復期病棟や慢性回復期療養病棟、訓練室を視てもらい、さらに医師含むリハビリスタッフからレクチャーを行った。英語でのやりとりは当方側含めてつたないが、JAICA通訳は優秀。飲み会での交流で友情と情報交換に努めたが、どこまで通じたかは不明。それでも顔の見える関係が出来てミャンマーが一段と身近に感じられるようになった。JAICA大澤さん、ありがとう。
写真は交流会で、Dr.Khin Thida Anung、Prof Dr.Than Than Htay、Sitt Lwin Ko PTと一緒に

[Med-REHA]日体協公認スポーツドクター講習会に参加しました

SPORTSDR1210201

       10月20・21日、東京ベルサール九段で日体協公認スポーツDr.講習会(基礎Ⅰ)を受講しました。普段接する部分からは少しはずれた領域でとても新鮮に感じながら聴講しました。ホテルから皇居外苑にそう緑豊かな道を約25分、早足歩きで会場到着。心地よい疲れで初日午前の総論的事項の講義で少しうたた寝したほかは会場前席に陣取りじっくり聴講。


「1に運動、2に食事、しっかり禁煙、最後にくすり」

  

        国の健康づくり政策は、これまで1978年から2012年まで4度の提言があった。特に今後の生活習慣病対策では、冒頭の標語をもとに健康づくりのための運動基準、運動指針2006が作られ、身体活動量、運動量の目安が示されている。「いつでも、どこでも歩こう1日1万歩、自分に合った運動でいい汗かこう」   2012年にはさらに健康増進の総合的指針が出され、「健康寿命延伸と健康」「格差の縮小」はじめ提言され、特筆する点は個人の努力とともに社会環境改善についても言及しているという。各論的事項では、整形外科的メディカルチェック、競技種目特性を考慮するとき、種目をコンタクト・ノンコンタクトとに分類すること。格闘技に代表される選手同士が肌を接する競技とそうではない競技に分けて考えると、チェックポイントが明らかとなるなど、基本事項を身につける上でとても役に立った。そのほかにも「女性と運動」、「世代別と運動」、「運動と栄養面」など、自分のスポーツや健康に関する知識を整理するとても良く組まれたプログラムで、スポーツDr.資格取得にふさわしい入門講義聴講でした。感謝、感謝!!

2012年10月19日金曜日

[Med-REHA]耳管開放症 STさんの場合

耳と三半規管
    9月に放送された、「ためしてガッテン、耳管開放症のお話」はとても勉強になりました。同期のKT先生、颯爽として格好良かった。どうもご苦労様でした。
    さて、耳管開放症の話しを聴いてすぐに思い出したのが、現在通院中のSTさんのこと。

仕事上のストレス続きでクモ膜下出血

当時49歳のSTさんは、眼鏡店責任者であったが量販店進出の過当競争で相当のストレスが続き、上背170センチの大柄に関わらず体重48kgまで痩せてしまった。その頃から頭に響く耳鳴りや不快感が続くようになった。そして2005年9月末、とうとうクモ膜下出血を発症してしまった。診断は右椎骨動脈の解離性動脈瘤破裂によるもの。第IV脳室急性水頭症を併発したが、破裂した血管は自然閉塞し、治療は水頭症短絡術のみで一命を取り止めた。しかし脳幹圧迫が続いて脳幹機能不全に陥り呼吸・嚥下障害、重度四肢運動失調を後遺、このためその後も生死を彷徨うエピソードや体幹失調で坐位不能の寝たきり状態が続いた。

根気強いリハビリで少しずつ回復

STさんと私の出会いはクモ膜下出血発症から3ヶ月目。気管切開され、経鼻胃管の状態であった。50歳現職の眼鏡店支店長STさんには何とか良くなって欲しいと、奥さんはじめ家族はみな必死であった。私が考えられること、そして持てる技術すべてを出し切るつもりで治療・リハビリに当たった。私のスタッフもできる限りの知恵を絞った甲斐あって、背もたれ坐位からつかまり立位が可能となり、胃瘻造設で栄養障害も改善した。少しずつ筋力・体力も改善し坐位で両手も使えるようになった。水頭症悪化による呼吸障害でトラブルもあった。しかし結局、気管切開も閉じられた。経口摂取も少しずつ訓練、回復には更に数年を要したが、注意すれば口から何でも食べられるまでとなった。

回復に伴い耳管開放症による症状を自覚

3ヶ月入院後、在宅に向けた準備を開始し、様々な続発症に対する対応を検討した。睡眠時無呼吸、発声時の両耳不快感、など耳鼻科的な問題、両下肢内反尖足傾向の出現、などなど。しかし本人が自覚的にもっとも辛いのはやはり会話の際に自分の声が頭に響く不快感で頭が痛くなること。体重は栄養障害改善で病前の元気な頃までに回復していたが、耳管開放症状が継続するのはやはりクモ膜下出血後遺症の影響も関わっているのだろうか?
     その後、耳鼻科で耳管開放症に対する手術を受けたが未だに症状は多少残存しているという。
     背もたれ車椅子が必要だが、現在も月一度、奥さんの車運転で元気に通院してくる。通院の折に少し寄り道してあちこち出歩くのが楽しみ。そろそろ紅葉の時期、近いうち、紅葉狩りを楽しみにしているという。

2012年10月17日水曜日

[Med-REHA] 障害と闘って生き続ける

      Y氏は20数年前まで、当時の建設省に勤める優秀な青年であった。1991年11月末、勤務先で突然の意識障害を来して救急病院へ搬送、左内頚動脈瘤破裂によるクモ膜下出血と診断された。入院時の血管造影中、動脈瘤再破裂を来して左側頭葉から前頭葉底部に血腫を形成し緊急手術となった。一命は取り留めたが、重度障害を残して故郷に帰省した。当時34歳であった。

           帰省後、私の務める脳卒中センター・リハビリ外来に紹介されてきた。何を訊いても緘黙状態だが簡単な理解は可能、運動麻痺なく、独歩も可能であった。しかし指示された動作が理解出来ても、その開始や途中に動作そのものが中断することしばしばで常に第三者の援助が必要であった。一方、不思議なことに自転車に乗るなど、それまで獲得されていた行為・動作は可能で食事も一人で摂取できた。

特異な前頭葉性運動障害・抑制障害と発声発話障害、知的障害

     以来、私と彼との20数年にわたる長い付き合いが始まった。意図した発声や行為が困難な一方で、日常の定型的動作は可能なことから施設などに入らず実家で生活を続けた。時に一人で街に出かけて商店の品を持ち帰ろうとして、警察のお世話となる事もあった。特異な運動障害(意図と自動的行動の著しい解離や、系列行為の中断・停止、など)や緘黙状態はほとんど改善しないが、最近となって簡単な挨拶など、早口で聞き取りにくいが可能となった。

父の重なる病気や骨関節疾患で在宅療養生活危うし

     Y氏の父Kさんは農業で生計を立てるが、糖尿病や高血圧があり、そのため軽症脳卒中に罹患、軽い構音障害や右手の障害を来して、以後Y氏受診の折に私の外来診察を受けるようになった。その生活習慣病管理や軽症脳卒中後遺症は良くなったが、その後若い頃からの無理がたたったのか、両膝や股関節に多発性変形性関節症を合併、術後の感染併発治療を含めて再三手術を受ける結果となった。屋内も両手に杖を持たないと移動が困難となった。

通院継続は無理かと思われた

     これまで父Kさんの自動車運転で外来通院していたY氏の通院は無理だろうと思っていた。父Kさんの整形外科入院中、Y氏は実姉が付き添って外来に来ることもあったが、その間隔は拡がっていった。Y氏の今後の通院はもう不可能だろうと思わざるを得なかった。

     朝夕の冷え込みで煖房が恋しくなる頃、Y氏のクモ膜下出血発症から21年目を迎えようとする時期となった。両手に杖を持って、たどたどしい歩き方をする父KさんとY氏が再び私の外来にやってきた。父Kさんは重機を動かして農作業にも復帰し、車の運転はオートマ車で可能だという。

「息子の事を考えると、今の状態で死んでられない、脳卒中再発がもっとも怖い、先生、何とか助けてくれ・・・」

     障害を持って年々齢を重ねるY氏、その息子の行く末を案じながら、自分の負った障害と闘う高齢の父Kさん、自分の出来る事は限られるが何とか応援し続けたいものだ。

2012年10月15日月曜日

[Med-REHA]認知症病棟紹介入院の危うさ

    80歳過ぎのAさんは夫婦二人暮らしとなった頃から身勝手な行動が目立ち、近くに住む次男夫婦ももてあまし気味であった。夫が施設入所して一人暮らしを始めたが、身の回りのことは入浴以外可能であった。入浴は介護ヘルパーを利用していた。その後序々に火の不始末、服薬の管理や定期的服用が出来ない、介護ヘルパーへの暴言や暴力、物盗られ妄想などがみられるようになり、この9月には自宅の池州でおぼれそうになるなど、眼離しがきかない状況となった。緊急的に小規模多機能施設へ入所した。ここでもトラブルが続き、家族・ケアマネ・かかりつけ医との相談結果、認知症周辺症状の調整目的に当センター認知症病棟に医療保護・紹介入院となった。

入院直後に判明した腹部症状と異常所見

      入院時、両耳難聴で意志疎通が一部困難だが、声を大きくして話すとコミュニケーション可能で指示に従い、診察やその後の検査も一応可能であった。

    入院時診察と検査で、難聴による意志疎通困難を伴う中等度認知症(アルツハイマ-病?、前頭側頭型認知症?)と診断。さらに採血検査では白血球増多と炎症反応陽性、視診で下腹部膨満あり、腹部X線写真で回盲部から大腸全般にガス像が観察され、回盲部には糞液のニボー形成がみられた。

     入院後、排便あり食事も可能な事から経過観察となった。一方、入院したその日に窓から逃走を図るなど、精神症状や問題行動が目立って、その周辺症状管理に関心を奪われていた。

夜半から悪化した腹部症状

    夕食も5割以上摂取。しかし夜半より元気がなくなり、下腹部膨満と触診で回盲部付近を中心に下腹部全体の圧痛あり、発熱もみられるようになった。腹部蠕動音亢進なく、向精神薬服用の影響や糞便性イレウスを考え、浣腸したが廃液のみ。

早朝、救急病院外科へ転院、手術で救命

    翌早朝には腹部膨満や圧痛が増悪したため下部消化管の閉塞性イレウス、急性腹症として救急病院外科に紹介転院した。これまでの経緯から家族の連絡対応が遅く、ヤキモキしたが同日昼には緊急手術となってショックとはならず一命を取り止めたらしい(その後の詳細は家族の説明のみで不明)。

    本人が自覚症状をうまく訴えないこと、前景に立つ認知症症状に惑わされて、背後の問題を見逃し対応が遅れる可能性があること、このAさんの例は、紹介入院となる認知症患者の抱える危うさを知り、その後の対応を考える上でとても教訓的なケースであった。

2012年10月13日土曜日

[Med-REHA] 当リハセンター、最近の脳卒中地域医療連携実績


連携実績1

 10月20日に地域連携シンポジウムを大仙市大曲で予定

           今月20日に予定される大仙・仙北医療圏、連携協議会シンポジウムに向けて回復期病棟師長にこれまでの実績をまとめてもらった。
連携実績2             平成22年1月から開始され、本年6月までの29ヶ月間で3カ所の急性期病院(仙北組合総合病院・平鹿総合病院・雄勝中央病院)から155名が対象となった。連携開始当初は回復期病棟の受け入れ能力もあり、対象者を絞った。しかし対象限定はやはり不評で、途中から適応を広げている。パスによる連携を円滑に進める目的で定期的に集会を持ち意見交換し、相互理解や相互信頼、問題点共有がなされている。急性期の栄養維持への配慮で、回復期転院後に状態不良で訓練開始が困難な例は減少している印象。秋田県南をカバーする当リハセンター回復期病床数は50床に過ぎず、患者の流れには急性期・回復期のミスマッチもまだまだ多いようだ。この間のパス利用者は残念ながら入院脳卒中患者の2割に留まっている。

クリパス対象患者の90%が自宅退院

連携実績3クリパス対象患者は入院時点での機能レベルが高い。結果としてその自宅退院割合が高く、自宅退院患者には退院後に当リハセンター地域医療連携相談科からスタッフが自宅訪問する。退院前のスタッフによる在宅環境評価訪問もあるので退院を挟み前後2回の在宅訪問がある訳だ。患者・家族の評判もよい。

転院依頼から回復期入院までの期間短縮

またパスが導入された効果として、転院依頼から回復期病棟入院までの期間が相当短縮した。連携を積極的に進める病棟スタッフの努力を多としたい。

2012年10月12日金曜日

[Med-REHA] リハセン15周年講演会は職員一丸となり大成功!!


    去る10月6日土曜日、3連休初日に秋田市内ビューホテルで開催した、“リハセン開設15周年記念講演会”は、会場を溢れる300名近い来場者を数えて成功のうちに終わりました。一般の方が4割、医療機関や介護施設関係者が4割で、センターの患者さんやそのご家族も来場されていました。

    限られた時間でしたがイベントブースでデモや医療介護相談も企画され、多くの方が興味深げに立ち寄られていました。

    講演は小畑信彦病院長の「うつの話し」、佐藤隆郎認知症診療部次長の「認知症について」、特別講演として佐竹秋田県知事の脳卒中体験にもとづく講話、そして小生の「今どき、リハビリ~何が変わったか?」でした。終了後のアンケートの感想ではイベントブースでのデモや相談コーナー、記念講演いずれも好意的で同様の企画を今後とも望みたいという方々が多くおられました。

    行事の企画運営にはHK先生を筆頭に日常業務の中で時間を惜しんで当たられ、本当に御苦労様でした。

2012年10月11日木曜日

[Med-REHA]AMI人材育成セミナー・リハセン現地研修


秋田県企画振興部学術国際局学術振興課主催で

    平成24年度医工連携人材育成セミナーが9月25日から行われています。その現地セミナーとして10月10日、県立リハセンを会場に「リハビリテーションで使用されている医療福祉機器」をテーマに13名の受講者が集いました。

訓練室実地見学前のレクチャー

    小生から最初にリハビリに関する基礎知識を含めてオリエンテーションを行いました。リハセン現況からみた取り扱い患者全般の傾向やプロフィール、リハビリテーション技術や機器導入による最近の進歩、そういった技術や手技が導入されても最終的には対象患者さんの意欲や動機の有無が最終的に大切であること、などをお話ししました。

訓練室での見学と意見交換はとても有益だった

    訓練室では作業療法全般の説明と見学、当センターAS医師が開発した上肢訓練ロボットの説明とデモを行いました。このデモでも機械工学的観点から様々な意見も出て、AS医師の顔はやや紅潮気味。さすが工学畑のプロが多いなあという印象。理学療法室では先進技術であるロボットスーツ・ハルのデモを行いました。技術屋さんが発する質問や意見は普段訊くことがないだけにとても新鮮な印象。

何が求められ、何が必要とされるのか、そのヒントは?

   最後の全体討論では、STのNA室長から主に発達障害を含むコミュニケーション障害でその訓練や生活に必要な補助具について、既存の市販製品が高価過ぎること、目的に合った製品が意外になかったりすること、などが提起。それに対する参加者から様々な意見が飛び出して活発な意見交換がなされました。参加者も、そして準備にあたった小生を含むリハセンスタッフも、とても勉強になった現地研修の一日でした。

2度目の真昼岳です ~ブナ林が最高でした

   10月初旬の3連休中日7日、美郷町赤倉口から7年ぶりの真昼岳に登りました。2005年の真昼登山は、初夏の頃でデジカメには沢山の色鮮やかな山野草が写っていました。

  

  今回は、残暑の影響で紅葉未だの時期。狭く長い林道を車で往き、登山口へ。赤倉コース始めは滑りやすい沢伝いの道。ここを過ぎて出くわす一面のブナ林には感激。木漏れ日に照らされる木肌が直接匂ってくるようです。その後もずっと緩い傾斜道で、コースの多くは狭く滑りやすい足場の悪い道が続きます。ロープを張った急峻な斜面の所もあり、注意が必要。

  天候に恵まれましたが、山頂からの視界は今ひとつ。頂上付近は笹藪多く、この時期の彩り添える紅葉は未だ。みられるお花も、リンドウ、トリカブト、アザミの紫がやや目立つ程度。

  下山は転倒しないように細心の注意を払いながらの長い道のりで、とうとう足首が疲労して足下がフラフラ。でも下山後の六郷温泉、多少熱めのお湯でしたが最高でした。

2012年10月2日火曜日

[Med-REHA] リハビリ入院患者の栄養障害

   この頃、リハビリ病棟に入院してリハビリを受ける患者さんの栄養障害が気になります。地域医療連携クリニカルパスで入院する患者さんの中には急性期病院で安静と意識障害下での誤嚥を恐れて十分な経口栄養が出来なかったりで、発症後に急激な体重減少を来している例がありました。最近では連携での話し合いの中で体重管理に注意を向けるようになり、このようなケースも減少しています。

 

栄養不良で入院する患者はそれでも多い

   リハビリ目的で紹介・入院となる患者さんは、リハビリを必要とする主病名のほかにたくさんの保険病名を付けられて入院治療を受けています。必要な薬を出し、必要な治療を受ける上で適切な病名がないと診療報酬がもらえません。中には入院中の病名が100を超える方もおります。

入院中保険病名1人当たり、回復期12、療養23

   保険病名は、背景疾患、併存疾患、入院中の感染症、その他、ですが、最も多いの入院後に判明した既存疾患です。なかでも栄養障害によるビタミン欠乏などが目立ちます。

高齢者や障害者は嚥下障害による栄養障害が問題

   生活習慣病による脂質代謝異常や肥満が問題とされることが多いのですが、高齢者や障害者では嚥下障害など隠された障害による栄養障害がもっと問題となるのです。

2012年9月30日日曜日

新米で玄米黒豆入り御飯

秋田は新米の季節。新米を使ったキリタンポ、NHK全国版でも季節の便りで放送された。地方紙さきがけの写真でもホントにおいしそう(http://bit.ly/PBqNwd)。

知人Aさんから今年も玄米で新米を送っていただく

  今年も新米が届いた。私が玄米菜食に努めていることを知って勿論、玄米で。早速、いつもの黒大豆入り玄米を炊く。出来上がりは赤飯ライク。玄米の嚼み心地と独特の甘さはこれに優るものはない。

いつもAさん有り難う。身体の障害があってもいつも明るく笑顔を絶やすことのないAさん。ご夫婦ともいつまでもお元気で!!



2012年9月25日火曜日

[Med-REHA] 今どき、リハビリ入院の現状は?

我々のリハセンター1年間の入院患者実態をその主病名からまとめました



  回復期リハビリ病棟50床、それ以外の患者さんが入る療養型リハビリ病棟50床で構成される専門リハ施設の入院患者動向は、その主病名からみても年々大きく変化しています。地域の高齢化を反映した疾病構造変化、地域医療連携体制進展とセンターに求められる専門性が入院する患者さんの疾病・障害構造に大きく反映しているのです。


求められている質と量のリハビリテーション


  初発脳卒中自体が減少して、数多くの背景疾患を抱える再発性脳卒中、各種の合併症や背景疾患のためリハビリが一見困難なケースが紹介されてきます。特に入院する多くのケースが認知症を合併しています。整形疾患や変性疾患、心疾患や末梢血管疾患が伴うケースも多い。たいていの患者さんが10個以上の保険病名を持っており、リハビリ入院となった主病名や障害が特定困難なケースもあります。このため入院期間は長期化傾向、また専門性とリスク管理の負担が増えて主治医はじめチームの質的・量的負担が増えています。

回復期病棟を含めて「廃用症候群」が多い


  年々、いわゆる「廃用症候群」で入院されるケースが増加しています。「廃用症候群」とは、障害発生・障害悪化の直接の原因が日常生活を含む身体運動が不活発になったり、外科手術その他の治療入院で安静を余儀なくされて発生した身体機能障害。

療養型病棟では嚥下障害の評価・訓練入院も多い


  療養型病棟では専門的リハビリテーションのためにパーキンソン病や脊髄小脳変性症など、変性疾患患者さんが従来多かったが、最近は嚥下障害の評価・治療・訓練のケースが増えています。こういったケースでは胃瘻造設をして嚥下治療食選択や本人への嚥下訓練・家族指導をしています。


2012年9月24日月曜日

[Med-REHA] 紫外線・素肌・化粧品、そしてHSP


化粧品は2兆円産業!!

  今朝、朝日新聞広告局による全面広告で再春館製薬所の化粧品宣伝が掲載された。ホンの小さな新聞広告でも相当のお金がかかる。地方独立行政法人に所属する我々リハセンター15周年記念行事を新聞に掲載するのに相当宣伝費がかかった。全面広告では一体いくらかるの?

HSPと化粧品

  水島 徹著「HSPと分子シャペロン」(講談社・ブルーバックスB-1774、2012年6月20日刊行http://amzn.to/SNSKQC)にHSPの一種でHSP70という成分が紫外線による皮膚傷害と表皮の壊死を防ぐ話が紹介されている。これが化粧品として応用できないか、当時熊本大学に奉職していた水島が化粧品メーカーとの共同研究を行った話が紹介されている。ちなみに化粧品市場規模は2兆円を超え、一般の市販薬市場8000億円と比べても非常に大きな成長産業である。HSP70は、紫外線によるシミ、すなわちメラニン過剰産生や皮膚障害を予防し、また紫外線による皮膚損傷を修復するという。
  HSP70を含む生薬を検索してヤバツイという生薬が見出され、この生薬を含む化粧品が水島のサポートで発売された。この化粧品自体の名前は小生にはわからないが、その発売元はこの熊本にある再春館製薬所。
 実験的にその効能は確認されており、実際に使っているご婦人の方々の評判上々で、きっと高価でもどんどん売れているのだろう。広告の大きさがそれを物語っている。

2012年9月21日金曜日

“健康でない人”の“健康方程式”「DEET」

健康の定義

健康の定義はいろいろある。一般には元気で他人の世話にならず、自立生活を営める生産的な心身の状態が“健康”である。日本全国、高齢化が進んで他人のお世話にならずに長生きし、ピンピン・コロリとあの世に迎えられるのが理想と説かれる。先日の敬老の日には、全国の高齢化率が20数パーセントとなり、100歳以上の老人が5万人を超えた、などと報道された。また健康寿命と平均寿命の差、すなわち他人のお世話となる期間が平均してどの位あって、その期間を如何に短くするかなども考察されていた。
  われわれリハビリテーション医療や介護の分野で働くものが、心身の障害持つ高齢者、脳卒中後遺症患者さんなどを扱い、その健康を考えるときにも彼らのQOLを如何に維持するか、その元気・長生き・自立度維持のフォーミュラが必要だろう。

健康人の“健康方程式”

2005年、医師で生命哲学研究所を起こした井上 敬医師は、健康者の「健康方程式」を提唱している(健康方程式シリーズ - Welcome to Institute of Biophilosophy !)。彼のいう健康方程式は「HOST」。H(Health)=O(oxygen)+S(simplified Meal)+T(Thanks)である。すなわち、健康生活維持には呼吸法と活性酸素を暴れさせない工夫、素食と少食、感謝の心が鍵という。その内容はなかなか説得力あり、私も実践に努めている。

“非”健康人の“健康方程式” 「DEET」

私のリハセンターに入院してリハビリを受けている方々や、施設・地域での健康講話をする機会が多い。講話の対象者の多くは既に健康寿命の過ぎた、“非”健康人である。私は井上 敬先生の向こうを張って、“非”健康人の彼らに、“健康方程式”DEET」を提唱した。

D:Doctor and Drug(かかりつけ医と服薬)

障害や病気を管理し、定期的に検査をしながら、彼らのQOL維持に適切なアドバイスをする「かかりつけ医」や「主治医」が必要である。服薬も欠かせない。ケア・マネもかかりつけ医の足りない所をカバーするのが理想である。

E:Exercises(運動)

運動は健康人だけのものではない。障害残る患者さんは一生リハビリ(=運動)が必要。大地震後の仮設暮らしで日常生活動作能力が低下して要介護者が増加した。運動は認知症悪化予防にもとても有効なことが立証されている。障害レベルに合わせた運動メニューを作るのは我々リハビリテーション職種の得意とするところ。

E:Eat(食事と栄養管理)

井上先生が健康者の「健康方程式」でも触れている。健康者でも“非”健康者でも健康維持に食事に対する心構えが大切。ただし素食・少食が良いといっても、最近むしろ栄養障害を抱える方も多い。“リハビリ栄養”という言葉で、最近はリハビリを受ける患者さんの栄養障害に対する対応や栄養管理に腐心している。

T:Temperature(体温・加温)

これが私の強調したい「健康方程式」の要。斎藤真嗣著「体温を上げれば健康になる」(http://amzn.to/QH32mu)、伊藤要子著「加温生活」(http://amzn.to/P5bNGC)。自己免疫力を高め、身体の構造蛋白が病気で傷害されたとき、その組織修復に働くHSPを活性化するひとつの出来そうな工夫は体温を上げることである。 

2012年9月19日水曜日

和賀仙人山(882m)に登る

和賀仙人山登山1209    2102/09/16日曜日、この日も東北日本海側の秋田は好天で快晴で残暑厳しい一日となった。

   早朝6時出発、国道13号線から横手で107号線に抜け、山内を経由して北上に入り、錦秋湖を左手に見て和賀川にかかる橋を越えてすぐ、T字路の右手に「仙人峠の姥スギ入り口」を標示を折れて先に進み、重化学工業・北日本酸素の敷地を過ぎて人気のない登山口の狭い駐車場に車を止めて、午前9時少し前に登山開始。

    登山口には登山者記名箱が取り付けられているが、最近の登山者記録は見あたらない。姥スギまで1,67km、第一・第二展望台を過ぎて頂上まで4,28kmの標示があると、2006年の山行記録に書かれるが確認できず。久那斗神社の鳥居を越えて登山道に入り、北上線の鉄橋の下をくぐって、比較的道幅の広いかつて秀衝街道と呼ばれた古道を進む。

「森の巨人たち100選」の一本≪姥スギ≫

  久那斗神社に到着する手前で、林野庁が国有林の中から選定している「森の巨人たち100選」の一本に指定された幹周囲11,5mの姥スギに面会。全景は無論デジカメでは収まらないがそこで記念写真1枚。

  久那斗神社からが大変だった。第一展望台まで階段ない状態でずっと登りが続き、一部はロープが張られているがあまり助けとならず。しかも道は予想に反して未整備でほとんど背の高い笹藪をこいでの登りとなる。熊の恐怖もあり鈴や爆竹をならして進む。しかもやっとの思いで到着した頂上は、数m四方で三角点がおかれたのみ。食事する見晴らし良いスペースなく、早速とって返して下山。一部雲もかかるがおおむね快晴で風もなく蒸し蒸しした状態で下着もびっしょり。下山後、早速近くの景勝園で入浴し汗を流して帰秋。

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