2013年8月26日月曜日

[IS-REC] 『山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた』を読んだ!!

日本医師会(広報・情報課)からサイン入り山中伸弥先生の表題本をいただく


  山中伸弥2本書は山中先生のこれまでの医師・研究者人生の歩みと今ホットな医学トピックである“iPS細胞”について一般の方にもわかりやすく脚注付きで解説した本である。多忙な山中教授に代わってジャーナリストの緑 慎也氏が先生から直接聞き取りをして一冊の自伝としてまとめ、完成された。 

小生、幸いにも山中先生サイン入りの本書を医師会から頂戴するチャンスに恵まれたので早速読んでみだ。

“現役で医師・研究者を人生ランニング中”


 気さくさ、失敗を隠さない率直さ、そして人間くささは先生の大きな魅力であるが、50歳そこそこでノーベル医学生理学賞に輝いた偉人であることに違いはない。無論、現在もアクティブな研究者として、またそのオーガナイザーとして活躍中であり、同じ医師人生を歩んでいる者として親近感を抱き、全く遠い存在に思えない感覚をもつのは私だけではないだろう。

整形外科医から基礎医学へ


  大学医学部に入るまでの様々な経験、特に両親の影響や愛読書からの影響、そして柔道など、学生時代のスポーツで何度も骨折した経験から医師となった。卒業後は整形外科医としてスタート。研修医時代、不治の病に苦しむ患者をもっての苦悩や自分の外科医としての限界を感じて基礎医学に転向。

 この辺りの心の動きも決して格好良いものでなかったことを率直に認める。神戸大学から大阪市立大学薬理学の大学院に進み、そこでの研究から同じ基礎医学でも毛色の異なる胚性幹細胞の研究にどうしてつながって行ったのか?、留学先でのさまざまな経験、特に研究能力のみならず、発表(プレゼン)能力が如何に大切かを教えられ、学ぶ機会を得たこと、帰国後の彼我の研究環境の違いからうつ状態が続いたこと、そして幸運にも新しい奈良先端科学技術大学に勤めて米国での研究を日本で発展させる素地を作ったこと、すばらしい後輩や仲間に恵まれ、iPS細胞の開発につながっていったこと・・・まさにドラマチックなストーリー展開で、ある種冒険小説でも読むようなわくわくした気持ちで一挙に最後まで読み進んだ。

「バテずに走り続けること」


  本書で印象に残る言葉は、本書最後に近い部分で緑氏のインタービュー形式で語られている。「僕の使命は、マラソンと同じように、患者さんにこの技術を届けるまで、バテずに走り続けることです」・・・研究そのものも、また多額な費用をかけて研究体制を維持し続けることも、とてつもない重圧であることを尋ねられたときの答えである。崇高な使命を目標として走り続ける若いノーベル賞受賞者に相応しい言葉ではないか。

2013年8月5日月曜日

[IS-REC] 自分の考える“日本語力”を鍛える

「理科系の作文技術」から考える
小学校からの英語教育必修化が決まった。英語の早期教育については以前から批判多く、自分の体験からもどうも賛成出来ない藤原正彦がその著書で“英語を究めるにはまず国語力が大切”と書いていた。その通りだと思う。最近、この国語力、すなわち日本語力に関係した一文を読んだ。風通信2013年春号に原 優二氏が書かれた巻頭エッセイ『「理科系の作文技術」から考えること』である。ここで紹介されていた、木下是雄著「理科系の作文技術」井上ひさし著「日本語教室」(新潮新書)に興味を持って、早速取り寄せて読んでみた。ただし、木下の本は1981年9月出版だから中古本をアマゾンから購入するしかなかった。この2冊は自分が最近考える日本語力を鍛えるにはなかなかの好著で参考となった。ちなみに私の今考える日本語力とは主に文章を書く国語力のこと。話す力はその内容はともかく、国語力に左右されずベラベラ話す者も多いのであまり想定しない。さて、日本語力を鍛える好著2冊の要点をここで紹介する。

木下是雄著「理科系の作文技術」の教えること

(1) しっかりした文章の組み立て、要点明記、あいまいさを避ける、特に日本語で好まれがちな婉曲表現や結びに断定を避けたがる傾向を極力排すること、・・・これらは十分うなづけるし、ワープロ使用で文章構成や言葉の推敲が容易となった現在では皆考えていることだろう。婉曲表現を好み、断定を避けたがる傾向は理科系文章に限らず外国語と対照して考えると、やはり極力排除する努力が日本語力アップにつながる。

(2) パラグラフのトピック・センテンスを意識する。パラグラフには、その中で言いたいトピック・センテンスを最初の方に持って来る。パラグラフを構成するそのほかの文章はトピックを説明・修飾・補強するもの。・・・私も無意識にこうした書き方はしていたのかも知れないが、これを意識するか否かで読む方のわかりやすさが俄然違ってくる。今書いているパラグラフで言えば「パラグラフのトピック・センテンスを意識する。」がまさにトピック・センテンスとなる。

(3) 事実と意見を峻別する。事実を事実として明記し、それを明瞭に述べることで自分の意見への説得力が増す。

(4) 簡潔な表現、短い文章、格の正しい文表現に心がける。大江健三郎のノーベル賞受賞講演で、あえて格の不明な「あいまいな日本の私」をタイトルとした件については井上の著書でも触れられている。これらの点を意識して文章を書くのも日本語力を鍛えるのに役立ちそうだ。

(5) 読みやすさへの配慮として、文章の仮名と漢字の量、接続詞は原則仮名にするなど、標準的記法として“字面の白さ”を考えること。この主張はなるほどと思ってしまった。

井上ひさし著「日本語教室」の教えること

(1) 現代日本語の成り立ちは、縄文以来の日本人、日本国家の成り立ちを考えると理解できる。生産手段を持った有力な民族が渡来すると、それまでの民族・部族は従属を強いられ、言語も渡来民族のものが優勢となる。しかし、その過程で帰属民族による有力民族言語の簡略化が起きる。ピジン語である。ピジン語は従属民族の子に引き継がれて定着してゆく。さて、日本語と英語は言語としては対等関係であり、日本語は英語のピジン語ではない。しかし現在は英語が世界的に通用する言語として優勢であり、どんどん日本語の中にもカタカナ語として英語が入ってくる。これは好むと好まざるとに関わらず、言語のグローバル化現象である。要は日本語に置き換えが困難な言葉は致し方ないがカタカナ倒れにならないこと、他方、漢字倒れにもならないことが日本語力を鍛える心構えである。

(2) 芝居で使われる言葉は漢語より、“やまとことば”だという。台詞で語られる“やまとことば”は特に頭の中で翻訳されることなくそのまますうっと入る。漢語はワン・クッションの翻訳過程が入るのだ。漢字は表意文字であり、その組み合わせで初めて生きてくる。漢字一字は抽象的だが複合するととても具体的で生き生きしてくる。

 井上ひさしのこの本ではこのほかにも日本語文化論的なエピソードがさまざま語られるている。この本の成り立ちが上智大学での「日本語講座」を元としているためである。日本語に限らず時代の流れに沿って言葉はどんどん変化する。現代の日本語に通じ、昔のものも読める日本語を維持・継承してゆく力量が井上のいう日本語力なのだ。

帰納法から演繹法への転換を

 はじめの風通信に戻る。原氏の一文で参考となった第一点は、“帰納法から演繹法への転換を”という事。沢山の事実を情報として挙げ、自説を主張しても所詮すべての事例を知りそれを網羅することは不可能だ。帰納法的に主張の普遍性を述べようとすると却って無理が生じることもある。数少ない事象から本質をつかみ取る演繹的な思考が必要で、その習慣を身につけることが重要だという。もう一つの主張は、“話し言葉では、人間そのものまで曖昧にする”ということ。話し言葉と同じ感覚で文章を書くと文章も、それを主張する人間自体の考えにも曖昧さを残してしまう。これら2点は日本語力というより思考法の問題だろうがとても大切なポイントである。

 原 優二氏のエッセイに始まって、エッセイに引用された木下是雄氏の「理科系の作文技術」、井上ひさし氏の「日本語教室」を通読した。時間はかかったが自分の日本語力を鍛えるには学ぶ点も多く、とても良い勉強となった。

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