2015/01/12、秋田さきがけ新聞記事「増える高齢者虐待」
介護を必要とする認知症や障害老人に対する介護家族による虐待が増えている。取り上げた記事は、家族によるものではなく高齢者向け施設職員が利用者を虐待した事例が増えていることを報じたもの。背景に経験不足やケアにかかわるストレスがあるとする。厚労省調査で虐待に関わった職員の年齢は20代から30代に多いという結果だ。介護現場の慢性的人手不足、認知症や高齢者の特質に対する経験や知識の不足からちょっとした事で虐待に走ってしまう事がある。こういった利用者と同じような患者を扱う立場から、行為の起こる状況・背景は容易に想像できる。
山田太一著『空也上人がいた』を大法輪の紹介で読む
『空也上人がいた』はたまたま数年前、購読していた大法輪でその紹介記事を知った。内容に興味が湧き、戯曲が多い山田太一の本について、それまでほとんど読んだことはなかったが、本書を早速取り寄せて読んでみた。
『空也上人がいた』は著者山田の、“19年ぶり書き下ろし力作小説”だそうだ。内容の大枠はケアマネと若い介護職の青年との風変わりな愛をフレームに展開する一風変わった構成である。しかし取り上げている課題は上述のさきがけ記事と共通する、とても重い感じのもの。著者山田は、“七十代にならなければ書けなかった物語”と本書を紹介している。読み終えてその意味がわかったような気がしたものだ。
上人像の目がキラリと光る・・・
物語では主人公である介護職の青年が新たに在宅介護で担当した老人から指示されて京都に旅行することとなる。そこで老人からの携帯に誘導されながら、六波羅蜜寺の宝物館に入り、空也上人像を眺めるのだ。1メートル少しの小さな僧侶の像。小さく開いた口からは小さな仏像が6体飛び出している。しゃがんで見上げ、空也上人の目と青年の目が合ったとき、上人像の目がキラリと光る・・・主人公がケアマネの紹介で老人の在宅介護をはじめてまもなく、青年は退職した前の施設で起こしたエピソードに触れられる。老人はケアマネからその話を聞き、青年を雇い入れたのであった。「あんたがさ。キレてばあさんをほうり出した。ちがうか?」「なんでもなかったばあさんが何故六日後に死んだんだ」と。そして京都に行って空也上人を見上げた時の上人の“生きた目”が青年の心を打った。誰も責めてはいない、しかし青年の心に残る瑕疵を一緒に背負って歩いてくれるはずの空也上人、その上人を老人は青年自身に知って欲しかったのだ。
特養ホームで老婆を死なせてしまった青年。介護する側の身体的・精神的疲労と、ちょっとした心の油断が産む職員の虐待。本書はこの重い課題をうまく物語に構成して読む者の心を揺すぶる衝撃作である。
空也上人のこと
空也上人については、“貴族社会から武士が勃興する動乱の平安中期から末期に現れ、社会事業を行い、またひたすら念仏を唱える浄土教の祖”と言った高校日本史教科書程度の知識しかなかった。だが山田太一の本書で上人の人物像にとても興味を持たされた。上人のことを詳しく知ろうにも歴史的記録は少ない。しかし最近、歴史小説家、梓澤 要が『捨ててこそ空也』(新潮社)を書いている。そこで描かれる上人像、その史実はともかく、梓澤の本でますます空也上人に対して、“尊崇の念”を持たされた次第である。
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