50年ぶりに故郷函館で中学クラス会
例年にないまとまった暮れ正月休暇を、自宅でのんびり過ごした。そして、いただいた年賀状を整理していたが、その中に中学・高校同窓であった旧友B君の几帳面に「本年もよろしく」と書かれた賀状を見つけた。手にとって昨年秋に故郷函館で50年振りに開かれた中学クラス会を思い出した。
団塊世代のマンモス中学在学
M中学校3年H組。まさに団塊世代に当たる我が中学時代は約50人一学級、13クラスのマンモス中学校・・・(恐るべきか、小学校は教室が間に合わず一時、“2部授業”さえ経験した)
還暦前後から高校・大学などの同窓会・同期会が開かれるよにうなった。しかし中学同窓会は案内状すら来ることなく、その機会はまったくなかった。当時の我が中学は諸事情で中学1年からクラス替えもほとんどなく持ち上がり、そのためクラスメートの結束は強かった。しかし卒業後、担任H先生が早く亡くなられたこともあり、地元の仲間うちでクラス会を持とうという呼びかけはまったくなかったらしい。そして約半世紀が経過した。
昨年春、今もお付き合いする東京在住S君がたまたま上京したY君(故郷で理容業を開業)と歓談、その際に中学クラス会を開こうということとなった。古い住所録や各自のつてを便りに連絡の輪を拡げていった。そしてとうとう昨年9月21日、私を含む16名の旧友が故郷函館で集うこことなった。在函の面々の多くが参加。また私を含む道外からの参加も数名あって、会は大いに盛り上がった。今年賀状をいただいたB君は仙台からかけつけた。クラス担任を囲む事はできなかった。また大柄で屈強、事業家のH君が既に他界していたのは意外だったが、参加した男も女も当時に戻ってワイワイ、ガヤガヤと、“中学生”さながらに旧交を交わした。
後日、地元地方紙(道新)に幹事を務めたY君の投稿で写真入りのクラス会記事が掲載された。この通称“3H(3年H組)”クラス会は皆が一致賛成したこともあり、今年も開かれる予定である。
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