2013年2月16日土曜日

[IS-REC] ウォルフレン『いまだ人間を幸福にしない日本というシステム』を読む

アルジェ人質事件で日本政府が敢えて欧米と共同歩調を取ると宣言したのが良かったのか否か、批判的論調が続いている。特に米国との共同歩調はアフガニスタンで医療や農業分野で地道なNPO活動を続けてきた邦人を危険に陥れたと同様に、アルジェにおいても、いわゆるテロリストの表だった標的に現地日本人を曝す危険な宣言であったと思われる。現在、大国アメリカの国内状況はわれわれが理想とする平和国家でもないし、民主主義国家からもほど遠い状況にある。格差や貧困が固定化され、軍・治安機関の高度市民監視社会であり、度重なる銃乱射事件にみるように、安全・安心のない社会である。また対外的にも絶えず仮想敵を必要とする軍産複合経済界に牛耳られ、事実や正義に基づかない政策がノーベル平和賞受賞・オバマ大統領のもとでも大手を振ってまかり通っている(朝日新聞付け2013/02/14、クルーグマンコラム@NYタイムズ)。

国民を幸福に導く舵取りは誰が?

2012年暮れ,角川文庫の一冊にカレル・ヴァン・ウォルフレン著、井上 実 訳『いまだ人間を幸福にしない日本というシステム』が出版された。巨大地震や津波、原発事故という災厄からそろそろ2年が経過しても一向に進まない復旧や復興、特に原発事故という人災については誰も責任を問われも取ろうともしない国家や政治に対して、首相官邸や関係機関を取り巻く、“原発NO!”の示威活動が多くの組織化されない市民によって今も続いている。しかし現実は少しも変わろうとせず、政権交代後には再び“原発再稼働”の動きが表面化している。
人口高齢化や貧困問題、格差社会が進んで老若男女問わず日本も不安社会となって、国民全体の幸福や今一度安全・安心な社会を築くのに必要な処方箋が求められている。ウォルフレンの本書はしかし、“いまだ人間を幸福にしない日本というシステム”というタイトルが示す通り、国民一人一人がその英知を集めて議論し、意思表示しても米国一辺倒、経済拡大至上主義という自動操縦装置に繰られた日本の舵取りが続くのではと危惧している。高齢化やその人口構成からモノに関する国内需要は飽和しており、際限ないものづくり経済の拡大は結果的に海外に向かわざるを得ない。“ホントに経済拡大は今後とも必要なのか?今後われわれが目指すのは定常社会なのでは?”また、日本全体が未だ米国の植民地同然に多くの基地を抱え、しかも地域の総意として基地撤去を訴える沖縄の現状に耳を貸さない日本政府は“国民主権の政府”といえるのか?こういった積み重なる疑問に、ウォルフレンの本書が筋道立てて答えている。

自動操縦装置を支える官僚集団

国民と実際に日本を動かしている司法や行政府役人を仲介するのが政治家である。ウォルフレンは、政治に志すには莫大な資金を必要とし金権政治がある種、必要悪となっていること、日本は“官僚独裁国家”であり、これを突き崩して国民の望む国家に変貌させることが可能なのは唯一国民に支持された政治家であるはず。しかし自動操縦装置を手動に切り換える試み(例えば、米国依存からの脱却や経済拡大至上主義を改めること)をする政治家は経済界や主要マスコミ、官僚独裁集団の総力によって悉く潰される運命にあることを喝破している。私自身を含めて好感持ち得ない政治家、小沢一郎氏をその例に挙げているが、ウォルフレンの指摘は確かに当たっているのかも知れない。首相時代の鳩山由紀夫やその後の鳩山の行動に対する大げさな批判も彼の説明で納得がいったところである。

日本社会は『空気の社会』

本書最後の解説で孫崎 亨は、“日本社会は『空気の社会』”であり、ものの見方、考え方、行動の仕方はこうあるべきだというものが社会全体を覆っていると述べている。ウォルフレンのいう“偽りの社会”は社会の空気であり、それから外れる者を極端なまで排除する。社会の空気に逆らってはならない、社会の空気に従わなければ無視されるか生きてゆくこと自体が困難となる。政治家もこの例外ではない。しかしウォルフレンは言う。日本にとって吃緊の課題は“大きな危険を回避するため米国依存から脱する事”、そして経済拡大至上主義という自動操縦を是とする官僚独裁を打破すること。

ウォルフレンの主張と共通する主張は?

“知ることは力なり”とウォルフレンは言う。日ごと世界は動いており、われわれは事実を知る努力を惜しまず、正しいと信ずる歴史感や正義感に基づいて事象を解釈し行動してゆかねばならない。国の舵取りは代議制国家である日本に住む以上、我々は政治家に委ねる。政治を語るのは社会の空気に反する行動と映る事も多い。しかし一億総評論家ではウォルフレンが指摘するように日本人は自身の幸福も目指せないことになりかねない。最後に一つ本書で気になる点があった。彼は政治家や政治家が属する政党を一派一絡げで述べている。
しかし彼の本書で触れられた日本社会と政治の現実は、日本共産党の主張と頗る共通している。科学的社会主義による現状分析とウォルフレンの永年の事実に基づいた分析が共通してくるのはある意味で当然なのかもしれない。



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