藻谷浩介・NHK広島取材班著『里山資本主義』に続いて読む
藻谷浩介・NHK広島取材班『里山資本主義』を読み、続いて本書、『スローシティー』を読む。本書はこれからの時代を生きる政治・経済の思想的基盤のひとつ、ないしは同じ生活上の基本的態度を示すもの、さらに言葉を代えれば、アンチグローバリズムの立場を取るものであり、その実例をわかりやすく紹介している。
さて、年齢のせいばかりではないが、あまりに慌しい社会の渦中に生活していると、最近はついつい“スロー”を冠する言葉に眼がゆくようになってきた。例を挙げればここに取り上げる、“スローフード”、“スローシティ”などである。特にこの、“スローフード”、“スローシティ”についてはいずれも相互に関係し合っているようだ。地域にあって、その伝統的食材と製法で時間をかけて提供されたその地自慢の一品料理、あるいはそういったものに価値を見出す態度が“スローフード”である。
また、我々はどこへいっても地域性を感じさせない均質化された郊外や街中の光景にいつもウンザリさせられている。これに対して地域の歴史や文化、町並みを残し、時間がかかってもそこで生活することに誇りを持つのが、“スローシティー”である。“スローフード”、“スローシティ”、いずれも現在のマネー資本主義やグローバリズムに流されることなく実践を続けるため、同じ立場を貫く者が一緒になった運動として発展している。後者はいくつもの市町村が集まった独自のグループを形成。そして、“スローシティ”はより住みやすい町となるようにガイドラインを設けてそれを守る。例えば、週に1回、町の中央部の交通規制をしたり、町の特徴を守るためインフラ整備を行っている。また、“スローシティ”は、優良生産者とその利用者とが直接交流する機会を提供し、伝統食を守る努力もする。“スローシティ”は、特にイタリアで多く誕生し、そのほかノルウェーからブラジルまで、たくさんの町へ広がっているという。(www.cittaslow.net)
世界の均質化と闘う
本書の副題、“世界の均質化と闘うイタリアの小さな町”、に示されるように、著者の島村は東京芸大卒業後からイタリア各地に滞在するノンフィクション作家。彼女が紹介する地域は大小様々なイタリアのローカル都市(人口や地域の大小によらず、“コムーネ”という)。そこでは人が生きていく上で必要な“人間サイズ”の街づくりが実践され、スピートの象徴、車社会から、人が歩き、会話する車を廃した街づくりに取り組んだ事例の紹介、若者が街を去り、また地震被災地で急激に進行した過疎化を逆手にとって観光客を呼び込み見事に再生を果たしている街の例などを紹介される。また彼らとの接点として日本の“スローシティー”候補についてもルポしながら報告している。“スローフード”、“スローシティ”の基に流れるものは冒頭で触れた、“里山資本主義”、アンチグローバリズムに共通するもの。“スローシティ”に象徴されるこのイタリア小都市に旅し、また生活することに憧れるのは、私だけではあるまい。
イタリアも日本も政治は三流(?)、市民は・・・? 島村の本書を読み終えて、日本人が好み、観光相手国としても最大級のイタリア、この国が奇妙に日本と似ていることに気づいて思わず笑ってしまった。すなわち、その政治と政治家の危うさ、評価は三流、そしてそこで暮らす国民と土地柄は一流・・・・
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