2009年12月8日火曜日

■セレンディピティとインセンティブ

「倒れもタダでは起きない」や「何でもやってみよう」という精神が好きです。私も私の患者さんも長いおつきあいの中で互いに齢を重ね、加齢に伴う様々な幸・不幸を経験するようになりました。以前は"脳卒中患者は癌にならない"と言われていたのに、治療の甲斐あって長生きしている私の患者さん、今度は検診でみつかった癌に悩まされるという構図なのです。不自由なからだで日常生活での運動もままならず、廃用による足腰の痛みをいつも訴えていた患者さん、今度は癌の告知を受けての悩みなのです。脳卒中後、機能を回復されても以後の地道なリハビリがなければすぐに元の木阿弥。ヒトに知った顔をして忠告するのは簡単でも、自分の弱さを見つめることは難しい。リハ医の禁句は患者さんに“ガンバッテ”を連発すること。患者さんに相対するときはその言葉に耳を傾け、共感し、体験を通した言葉で次になすべきことを自分で判断されるように心がけています。
さて、昨年はリハセン独法化一年目で様々な事が重なり、本当に多難な一年でありました。リハセンを私の患者さんにみたてれば、まさに脳卒中となって気弱になって、新たに癌が発見されたような状況でした。「セレンディピティ」とは、不運を幸運に変える力、「インセンティブ」とは如何にやる気を起こすのか動機付けのことです。常日頃、私の多くの患者さんからこの「セレンディピティ」と「インセンティブ」を学んでいます。また、最近読んだ本*には、最も有効にヒトを行動に駆り立てるものが具体的に整理され、興味深く読みました。今年も我々を取り巻く社会状況の中で、この「セレンディピティ」と「インセンティブ」とを意識した姿勢と行動が求められています。
新年に当たって二つの言葉を紹介し、新年の挨拶に代えました。今年はリハセンにとって、また皆々様にとって良い年でありますように。
*タイラー・コーエン著(高遠裕子訳):『インセンティブ 自分と世界をうまく動かす』日経BP社2009年

2009年12月6日日曜日

K君のこと

 大学を出て医者となり、ただその道を駆け通しの生活だった。そして何の実感もないままに今年はとうとう還暦を迎えた。臨床の一線に身を置く医者の生活は誰しもこんなもので、それを支える家族に相当の犠牲を強い、自らを振り返る余裕なく、無論来し方の思い出に浸る事もないのが当たり前と思っていた。そんな私も今年、小学校や高校の同窓会案内をもらって、還暦という人生の区切りに少しは里心を取り戻したようだ。久し振りになつかしい面々と旧交を交わし、互いの過去の接点から今に至る人生航路を振り返るよい機会となった。小学校から高校と、郷里の思い出に直結した日々をなつかしく思う一方、今の生活のベースとなる大学在籍中の生活は、いわゆる学園紛争と重なり、クラス・同期生のまとまりも持てない、ある種のにがにがしさを禁じ得ない状況であった。教養部から医学部に進学した昭和47年、私は昭和舎のお世話になることとなった。この舎生時代を振り返ると、まず私は同室であったK君とのことを思い出す。入寮当時、未だ学園紛争の影響が色濃く残る時期であり、そこで生活する寮生の立場も多種多様であったはずだが、寮の諸先輩はみな紳士的で大人であった。寮生活1年目、一部屋二人での生活が原則で、私は教養部時代から親交あったK君と同部屋としていただいた。その頃、私は医学部サークルの社会衛生部に所属し、K君はセツルメント活動を行い、同期のクラス仲間とは、教養部の頃から「万(よろず)研究会」という社交クラブのようなものを作り、雑文集を発行するなどの活動をしていた。K君とは時間的に余裕のある教養部時代にともに行動し話す機会も多かったが、寮生活では同室であるにかかわらず、せいぜい帰って寝る時に一言二言の言葉を交わすか、互いに背を向けあって試験勉強するかの生活で、青春時代特有の高邁な議論をかわしたり、互いの将来や人生設計を語り合うことは皆無に等しかった。彼の実家は仙台近郊の小牛田町(現・美里町)で、時折実家に戻って持参するトウキビや餅・菓子などご馳走になるのが私を含む同期舎生の楽しみであった。K君は、事に慎重で何事にも用意周到、学科の試験もほとんど1回で合格した。私は彼の小さな字で最大漏らさず書かれた講義ノートを借りて試験勉強に充てた。その人一倍慎重そうな彼が予想だにしない学生結婚をして、寮を離れたのはまだ同室であった学部1年の11月であった。記憶に間違いがなければ、医学部学生食堂の二階を借りて友人たちとささやかな結婚を祝う会をやった。Kは未だ学生であり、その後の生活に相当の艱難も想像されたが、奥さんとなるNさんは保健師で明るく、自信に満ちた印象であった。翌年、一子を設けて寮にも遊びに来たが、彼が数周りも人として成長しているのを実感した。しかし当時実体験のない私は、子を設けて結婚生活を送り、さらに学生として日々を送る彼の大変さに思いを至すことは出来なかった。医学部時代最後の冬、K君は動静脈奇形破裂によるクモ膜下出血を来たし、長町分院(広南病院)に運び込まれた。親友たちと連れだって病院に赴き、我々が見舞った時、彼はレスピレーターに繋がれて昏睡状態にあった。手術適応があるか否かは微妙であった。我々は交代で付き添い、助かってくれることを祈った。数日遅れて鈴木二郎教授の執刀で開頭術が行われた。しかし救命すら困難な状況であった。友人のKは帰らぬ人となり、実家の葬儀では、気の張った奥さんの表情と棺のそばを走るお子さんの姿だけが私の脳裏に焼き付いた。卒業試験と国家試験を前にした慌ただしさの中で、その後K君ご家族の消息を訪ねたり、実家にあるはずの彼の仏前に参る機会を持てなかった。K君と私は、教養部の学生運動で行動をともにし、昭和舎の一時期寝食をともにした間柄であった。卒業直前に病死した彼とそのご家族の無念さを思うと、当時の私はその気持ちを少しもフォローできていなかった。そして還暦を迎え、遠い過去となったはずの昭和舎舎生時代を振り返る時、医師になりきれずに他界したK君のことが何よりも鮮明な記憶として蘇ってくる。卒業後、私は脳外科を中心に外科系や脳神経系の基礎と臨床を経験した。現在はリハビリテーション医として地域医療に取り組んでいる。K君もあのような不測の死がなければ、今頃私以上に社会と接点の多い臨床医として活躍していたことだろう。昭和舎の頃の辛い思い出として、K君の事をここに記し、彼への追悼としたい。合掌
2009/12/06(日)

2009年10月26日月曜日

睡眠時間が短いと食欲亢進がグレリンで促される!

睡眠時間が短いと食欲亢進がグレリンで促される!
せっかく運動しても、もろもろの記事で、睡眠不足の影響による食欲亢進が指摘されている。
十分な睡眠、週3回以上の十分な運動習慣、そして読書、日中の満足ゆく仕事の達成と、欲張っているがなかなか思うようにならない。たくさんの時間術や仕事術の本を読んでも、実戦可能で納得がゆくものは未だ見つけられない。

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