2年前の3.11以降、抗いようのない苛立たしさを感じながら、この自然災害や人災のなせるわざと真正面から向き合おうとする者がいる。
熊谷達也は東北・仙台という私の第二の故郷で活躍する
直木賞作家。本書
『烈風のレクイエム』の舞台、函館はこれまでも彼が何度か作品の舞台としている東北と海峡を挟んだ北海道南端の港町。
函館は私の生まれ故郷であり、彼自身と本書を含む彼の小説の舞台とには抜き差し難い自分との接点を感じている。そして本書モチーフにある
函館大火、洞爺丸沈没という私の記憶とも重なったもう一つの接点、これが普段、小説など読みつけない私にも本書を手に取るきっかけを与えてくれた。
函館大火・空襲は祖父、洞爺丸事件は父から聞いた幼い時分の記憶と重なって
故郷函館。私の祖父は戦前から戦後にかけた警察官吏、父は戦後長くこの地で警察官として奉職していた。
私の幼少時の記憶に函館大火や函館空襲、あるいは洞爺丸事件がどう残されたか、定かではない。幼少時祖父母の家にはよく出入りし、寝泊まりすることもあったので孫相手に語る祖父の話しを聞いたのかも知れない。洞爺丸事件については本書にもある函館近郊、七重浜の状況を遺体収容に当たった父から直接聞き、その記憶は幼少ゆえに鮮烈であった。しかし
最も記憶に焼き付いたのは、祖父母の家にあった各種、函館市史のグラビア写真の大火や空襲、洞爺丸事件。それらの普段見つけない写真を子供ながらに固唾を呑んで眺めたためではないかと思う。
函館市史に記録される災害史と『烈風のレクイエム』、泊敬介の数奇な生涯
泊敬介、潜水作業船「光栄丸」船主。彼は父から受け継いだ本業の海産潜りに始まり、その後の社会状況から徐々に潜水工事、船底清掃、時に沈没船のサルベージなどの仕事を手がけるようになる。
第一部、「喪失」で物語は函館大火の頃の北洋漁業で賑わう函館港とそこでの潜水による船底清掃作業の話から始まる。独特の地形とそこを吹き荒れる季節風でそれまでもしばしば函館は大火を経験してきた。その大火の折、敬介は持ち船「光栄丸」管理のため、連絡船乗り場や駅に寝泊まりして自宅に帰られなかった。自宅のある住吉町、谷地頭に発生した大火災。
暴風による火の拡がりのすさまじさは緊迫感持って語られる。結局、大火で実母と妻を失い、愛娘は行方知れずのままとなる。その後、第二の災厄である函館空襲で敬介自身、大怪我で足に重傷を負うこととなる。戦時下、ないないづくしの函館病院。そしてその入院生活(
当時の面影残す市立函館病院は私の医者になりたての研修病院であった!!)。函館大火で逃げ惑う火中から助け、結局、同じ身上から再婚した静江の献身的看病の甲斐あって重い後遺症ながら仕事に復帰する敬介。また、大火で助け上げ、自らの子として育てた伸一郎は軍隊で特攻ながら一命取り留めて軍隊から戻るものの、敬介との間で軋轢を繰り返す。しかし彼らの数奇な運命は再び固い家族の結びつきへと変わってゆく切っ掛けとなる。息つかせないその後の話しの展開、迫真迫る洞爺丸沈没後の遺体引き上げ作業。著者・熊谷の文献に基づく綿密な検証とその筆致から、
私も幼少時に脅威の眼で眺めた函館市史のグラビアを再び鮮明な記憶として思い出していた。
20年の半生、比較的短いこの間に、敗戦という大きな歴史の転換点を境として戦前の函館大火、そして戦後の風台風による洞爺丸沈没。敬介とその家族がまさに翻弄され続けたこの舞台立て、港町函館。
物語は主人公・敬介とその家族の壮絶な半生として展開され、まさに書名通りの「烈風のレクイエム」となって最後の頁まで飽きさせずに読者を引っ張っていったように思われる。是非一読をお勧めしたい。