2013年4月23日火曜日

[IS-REC] 登山翌日11kmトレッドミル走行で至極満足

 

4月も何かにと帰宅が遅くなり、運動不足気味。4月21日の大平山前岳登山は2時間ほどの登りだが思った通り下山で大腿全体に張った感じが残っている。 また、数日前のFitness Runningで頑張ったこともあり下腿の痛みもすっかり抜け切れてはいなかった。こんな時はFitness 休むべきか?はてさて悩んだ末に結局トレーニングへ出かけることとなる。

10.5km/hrで11.2km、消費705kcal、体重58.2kg

記録はこの通り!! ランニング・ハイと運動後の満足感もあったかも知れない。不思議と大腿・下腿の張りと痛みもむしろ軽減している。この歳になるとこんな事をしても誰も褒めてくれない。先ずは記録に残して自分の努力とこの意気の高さを褒めてあげたい。・・・・・・・自画自賛の一文を恥ずかしげなくアップして、ますます自分の面の皮の厚さを感じる次第。



[IS-REC] 大平山前岳へ:今年の初登山は雪でした

2013年4月21日午前8時出発。氷雨の降る秋田市役所前から車に分乗して仁別国民の森へ。ザ・ブーンの駐車場に車を置いていざ登山開始(午前8時40分)。細かい雪混じりの雨を避けるようにして進む。スキー場ゲレンデのリフト脇の杉林を超え、お地蔵さんに手を合わせて更に進む頃より登りがきつくなる。所々イワウチワやイワカガミ、カタクリのつぼみから、少し咲きかけた可憐な野花たちが顔を出している。一方、数週前の低気圧による暴風雨のいたずらで倒木が多く道をふさいでいる。途中から雪となり、女人堂から前岳はすっかり雪原となっていたs-大平山前岳130421
風はないが気温は思った以上に低い。身体は完全に冷え込んでいる。早々に下山(12時30分)。下山後、ザ・ブーンで冷えた身体を温泉につけてようやく生き返った気分となった。昼食の“今日のお勧めスパゲッティー”はボリュームあり、大満足。雨はその後も降り続いており、いつもよりは早い時間ペースで無事帰宅。


2013年4月19日金曜日

[IS-REC] 熊谷達也『烈風のレクイエム』~自らとの接点で読む

烈風のレクイエム
2年前の3.11以降、抗いようのない苛立たしさを感じながら、この自然災害や人災のなせるわざと真正面から向き合おうとする者がいる。熊谷達也は東北・仙台という私の第二の故郷で活躍する直木賞作家。本書『烈風のレクイエム』の舞台、函館はこれまでも彼が何度か作品の舞台としている東北と海峡を挟んだ北海道南端の港町。函館は私の生まれ故郷であり、彼自身と本書を含む彼の小説の舞台とには抜き差し難い自分との接点を感じている。そして本書モチーフにある函館大火、洞爺丸沈没という私の記憶とも重なったもう一つの接点、これが普段、小説など読みつけない私にも本書を手に取るきっかけを与えてくれた。

函館大火・空襲は祖父、洞爺丸事件は父から聞いた幼い時分の記憶と重なって


故郷函館。私の祖父は戦前から戦後にかけた警察官吏、父は戦後長くこの地で警察官として奉職していた。私の幼少時の記憶に函館大火や函館空襲、あるいは洞爺丸事件がどう残されたか、定かではない。幼少時祖父母の家にはよく出入りし、寝泊まりすることもあったので孫相手に語る祖父の話しを聞いたのかも知れない。洞爺丸事件については本書にもある函館近郊、七重浜の状況を遺体収容に当たった父から直接聞き、その記憶は幼少ゆえに鮮烈であった。しかし最も記憶に焼き付いたのは、祖父母の家にあった各種、函館市史のグラビア写真の大火や空襲、洞爺丸事件。それらの普段見つけない写真を子供ながらに固唾を呑んで眺めたためではないかと思う。

函館市史に記録される災害史と『烈風のレクイエム』、泊敬介の数奇な生涯


泊敬介、潜水作業船「光栄丸」船主。彼は父から受け継いだ本業の海産潜りに始まり、その後の社会状況から徐々に潜水工事、船底清掃、時に沈没船のサルベージなどの仕事を手がけるようになる。第一部、「喪失」で物語は函館大火の頃の北洋漁業で賑わう函館港とそこでの潜水による船底清掃作業の話から始まる。独特の地形とそこを吹き荒れる季節風でそれまでもしばしば函館は大火を経験してきた。その大火の折、敬介は持ち船「光栄丸」管理のため、連絡船乗り場や駅に寝泊まりして自宅に帰られなかった。自宅のある住吉町、谷地頭に発生した大火災。暴風による火の拡がりのすさまじさは緊迫感持って語られる。結局、大火で実母と妻を失い、愛娘は行方知れずのままとなる。その後、第二の災厄である函館空襲で敬介自身、大怪我で足に重傷を負うこととなる。戦時下、ないないづくしの函館病院。そしてその入院生活(当時の面影残す市立函館病院は私の医者になりたての研修病院であった!!)。函館大火で逃げ惑う火中から助け、結局、同じ身上から再婚した静江の献身的看病の甲斐あって重い後遺症ながら仕事に復帰する敬介。また、大火で助け上げ、自らの子として育てた伸一郎は軍隊で特攻ながら一命取り留めて軍隊から戻るものの、敬介との間で軋轢を繰り返す。しかし彼らの数奇な運命は再び固い家族の結びつきへと変わってゆく切っ掛けとなる。息つかせないその後の話しの展開、迫真迫る洞爺丸沈没後の遺体引き上げ作業。著者・熊谷の文献に基づく綿密な検証とその筆致から、私も幼少時に脅威の眼で眺めた函館市史のグラビアを再び鮮明な記憶として思い出していた。
20年の半生、比較的短いこの間に、敗戦という大きな歴史の転換点を境として戦前の函館大火、そして戦後の風台風による洞爺丸沈没。敬介とその家族がまさに翻弄され続けたこの舞台立て、港町函館。物語は主人公・敬介とその家族の壮絶な半生として展開され、まさに書名通りの「烈風のレクイエム」となって最後の頁まで飽きさせずに読者を引っ張っていったように思われる。是非一読をお勧めしたい。

2013年4月15日月曜日

[IS-REC] 松田津佐子さんの闘病記『私は負けない』生きていればなんとかなる!~支えられる事の大切さを知って、人はここまで強くなれる



治療の体験記を病名から探せる 闘病記ライブラリー:

'via Blog this'
入院患者さん向けライブラリーに関わっている。職員からの蔵書が大半だが結構立派なライブラリーに成長している。しかしライブラリーに欠けていたのは、患者さんに最も必要なはずの闘病記。WEBにはこの闘病に関して、様々な書籍紹介がある。そこで数年前、WEB紹介図書を参考に、入院している患者さんに関係深い疾患、脳卒中後遺症や統合失調症、うつ、などの闘病記をまとめて購入した。この当時と比べると今は闘病に関係するWEBやブログもずいぶん増えた。上に紹介したWEBも関係書籍が書棚形式で沢山並べられていてとても探しやすい。しかし最近出版されたばかりの松田津佐子さんの本は未だ見当たらない。

さまざまな試練・困難あっても、あの明るく負けない性格、強さは彼女の医療者としての経験から来るのだろうか?

本書はじめの部分で触れられるように、松田さんは助産師として働きはじめ、その後、地元に戻られて助産師を続けていた。しかし病院の産科閉鎖に伴い、余儀なく助産師から看護師に代わって働き続けた。彼女はまさにたくさんの臨床経験を積んだベテラン中のベテラン医療者だった。病院再編や医療スタッフのリストラ等々、厳しい状況の中で過労によって松田さんは病に倒れた。右被殻出血。その急性期治療後にリハビリ目的で我々のセンターへ入院。その入院前後、私の知人でデイ・サービス施設を運営していたYさんから紹介あったこともあり、松田さんとはそれ以来ご縁となった。松田さんは重度の障害やその後の度重なる新たな病魔・障害との闘いに関わらず、私とのやりとりの中で決して泣き言一つ言わず、あの天性とも言える明るさを失わず今日に至っている。リハビリ兼ねて、私にはまめに四季折々の自然や野花を絵葉書にして送って寄越す。その出来映えはとても不自由な両手を使って書いたとは思えない。本書の闘病経過で書かれているように、彼女には息つく間もなく多くの試練が重なった。にもかかわらず、あの何事にも負けない強さと明るさ、あの強さと明るさは自身が病前に経験された多くの患者さんとのやりとりで培われた医療者としてのそれなのだろうか?

同僚や身近な人たちに支えられて

医療者を含めた多くの人は、障害を抱え、身の回りのこと、普段の起居動作、シモの事など、健康で障害のなかった頃当たり前に出来たことが出来なくなると、人前に出られず閉じこもってしまうのが常。またそういった状況が“うつ”の最大要因ともなる。リハビリに関わる医療者は、“障害受容をすすめる”として、そういった気持ちの克服を援助する。しかし障害の程度に関わらず一度失ったものを再度取り戻そうとする限り、その克服はなかなか難しい。松田さんはその障害ある身体すべてをさらけ出して同僚や身近な人々に接し、結果的に多くの身近な支援者を得た。この実践は家族(夫)の深い理解と励ましがあって初めて可能となったものだ。無論、その背景にはまだ彼女が寝たきり状態に関わらず同室の同じような患者さんに気配りする並々ならない医療者としてのやさしさがあったからにほかならないが・・・・・
すべての方々、特に医療者に一読を勧めたい一冊である。

2013年4月13日土曜日

[IS-REC] 村上智彦著『医療にたかるな』を読む

特集ドラマ 『極北ラプソディ』 をたまたまTVでみたこともあり、書店で見かけた村上智彦氏の本書「医療にたかるな」を一も二もなく購入した。北海道は私の故郷でもあり、著者が財政破綻の街、夕張で病院再建に当たる以前に勤務していた瀬棚町は私の小学校時代に過ごした街でもある。そんな縁もあって、本書を一層親近感をもって読んだ。

本書の内容を“時に過激に過ぎる攻撃”と著者は紹介するが・・

著者は医師を志す以前、薬科大学を卒業して薬剤師として病院に勤務。そこで「検査漬け」「薬漬け」医療の現実を見たという。この現実を変え、自分の考える医療を実践したいという信念に従って、改めて医師を志し医科大学を卒業、32歳で医師免許を取得した。その後、自治医科大学地域医療学教室、五十嵐正紘教授の下で研修し、38歳ではじめて地域医療を故郷北海道で経験することとなる。

彼の初任地は当時地震で有名となった奥尻島の対岸、瀬棚町。瀬棚町も言うに及ばずひどい医療過疎地であった。しかし赴任当時、ここは高齢者医療費が日本で最も高い町だったという。医療費が高いのは重病が多いからではなく、高齢化に加えて、住民個々の健康意識が低く、生活習慣に大きな問題あり、一旦病気になると過疎に関わらずコンビニ医療や医療者へのおまかせ医療、不必要な長期入院がまかり通っている。この現実が高医療費の元凶と喝破する。この瀬棚町で時には行政をも相手に医療費低減につながる予防医療の大切さを説いて実践した。必ずしも住民の健康につながっていない高額医療を低減するには人口構造を含む社会環境が大きく変化しても一向に変わらない様々な因習やしがらみ、旧来の仕組みがもたらす医療への“たかり構造”を含めて闘わなければならない。著者はこのため、時に過激に過ぎる言葉も発しているという。しかし本書の中では著者の言葉の言い過ぎと思える所はまったくと言っていいほど見当たらず、逆に大いに共感できる主張が多いと感じられた。

地域包括ケアの必要性

医療の対象が高齢化してくると、病院で行う病気の「キュア」とそれに続く福祉で行う「ケア」との境目がぼやけてくる。この点はリハビリ診療を担う私自身の立場からも痛感している。医療と福祉、お金の出所から言うと、医療保険と介護保険であり、この一方でしか対応出来ないとしたら、その両者に人的にもコスト面でも無駄ができ、なにより対象となる地域住民のニーズに答えられないこととなる。著者は瀬棚町での経験、そして夕張での経験から住民への健康教育と予防医療の大切さを再三再四強調する。そして、“地域包括ケア”として医療と福祉を一体化した制度再編と、病院でキュアを念頭に置いた“闘う医療”から地域でケア(介護・福祉)と一体化した“支える医療”への転換の必要性を訴える。住民への予防医療と健康教育は、“病院へ行って注射してもらえば当座の痛みも病気も良くなる、生活に支障あれば当座病院で面倒みるケア入院に期待する”、といった住民の医療への“たかり”意識を変えるために必要なのだ。そんな旧来の意識のままにフリーアクセス可能な医療機関を利用すれば医療者は疲弊し、医療費はどんどん高額化するのは当然である。

夕張で見えた“既得権益”死守の政治・行政、“責任回避と権力欲“の医療者、そして市民という名の“妖怪”

生活基盤である地域が崩壊すると、それまで見えなかった様々な矛盾が明瞭化する。医療についても、そこに関わる医療者や政治・行政、マスコミ、そして守るべき対象のはずの市民もすべてが、その大小問わずエゴイズムの本質をさらけ出す。それは人の持つ“醜い側面”なのかも知れない。著者はそういったエゴと闘いながら、人それぞれが自立する大切さを説いている。

医療費は高い=「医療亡国論」のデタラメ

著者の地域医療実践経験から医療費の無駄遣いや地域住民の医療への“たかり”構造が強調されると、医療費が高い=「医療亡国論」が闊歩する。しかし日本の医療は他の国々比べると明らかに数少ない医療者の自己犠牲的努力で国民皆保険制度が維持されている現実がある。こういった仕組みのない差別医療がまかり通るアメリカ型医療に著者は明確に反対する。そして「医療亡国論」のデタラメ振りにも言及している。

これからは「闘う医療」から「支える医療」

高齢者医療は、“人すべて死すべき運命”にある事を前提に組み立て直す。そして病院で「キュア」を求める「闘う医療」から地域で「支える、支え合う医療」に代えてゆく努力と必要性がいま求められている。先頃、2040年の日本各地域における人口構成推定値が公表された。本書で示された夕張における著者の地域再生や医療再生へ向けた実践的経験。この経験は、今後の日本全体が変わってゆくべき医療・福祉のあり方にもひとつ解決の道筋を示すものではないだろうか。



[IS-REC] 後藤 眞著『老化は治せる』をアンチエイジング本の一冊として読む

 

本書は数年前、著者の書かれたイラスト本、『痛快!不老学 』(集英社インターナショナル)に続く新書版の一冊であり、アンチエイジング本として期待して読んだ。著者の主張、「(加齢と異なり、)老化は病気です」は、それなりの根拠を持っており、私も賛成できる。しかし現代医学をいくら駆使しても、病気すべての原因がわかり、その原因に基づいた治療がすべての病気で可能ではないように、“老化も治せる”とは、とても言い切れないというのが目下、私の結論。

さて、著者がリウマチの専門家として、老化と慢性炎症の関係を強調するのは良くわかる。著者は本書の中で、“炎症老化”という新しい医学用語も紹介している。体内で起こる炎症は、熱エネルギー産生を伴う酸化であり、そのうちの“非常に弱い炎症”は、ヒトの成長や性成熟にも関わった自然現象である。この炎症の強さが一方で病的老化の原因となる。“炎症老化“はこの老化炎症説を強調するのに確かに都合良い用語かも知れない。そして老化すべてを慢性炎症で説明し、慢性炎症を治療する薬剤にアスピリンがある故、このアスピリンを上手に使えば、「老化は治せる」というのが著者の結論のようだ。アスピリンは確かに一世紀以上も生き残った良薬。しかしこのアスピリン服用に加えて、これまでアンチエイジングに良いとされる方法をさまざま加味したとして、ホントに「老化は治せる」と宣言できるのだろうか?

動脈硬化は、“血管内皮に生ずる慢性炎症”を基盤

最近、動脈硬化発生の基盤が、“血管内皮に生ずる慢性炎症”という考え方が受け入れられつつある。いわゆる、悪玉コレステロールが高いだけで動脈硬化が起こる訳ではない。血管内皮の炎症を来す背景、糖尿病や家族性脂血異常、歯周病や免疫系の異常などがないと、脂血異常でも動脈硬化治療薬であるスタチンを使う意味はないと言われるほどだ。ヒトは“血管から老いる”と言うように、老化と動脈硬化は密接に関係する。過食や急激な激しい運動とその停止など、エネルギー代謝バランスが一時的に崩れる需要-供給変化があると、特に好気的熱エネルギー産生に伴ってラジカルが発生する。その消去役である生体内ラジカルスカベンジャーが十分機能できないと、ラジカルは膜脂質を酸化して過酸化脂質を生じる。血管内皮に慢性炎症があるとはじめてこの過酸化脂質が動脈硬化を引き起こすという訳だ。

アンチエイジングとの関係で組織修復蛋白HSPや生体エネルギー産生機構“ミトコンドリア”と、そのラジカル発生等、組織・細胞レベルでの老化とその抗老化に、もっと詳しく触れて欲しかった

著者は「不老の妙薬?」として、アスピリンを紹介し、その発見から心筋梗塞、ガン、糖尿病、アルツハイマ-病予防の可能性も持った夢の薬として、この抗炎症剤のすばらしさを語っている。無論アスピリン使用にも様々な問題があり、その代薬や「抗酸化剤」の抗老化効果について触れている。結論としては、“老化は複数の仕組み・原因が関与している”と述べ(p112)、抗酸化物質を含むサプリメント等、夢の抗老化薬はないともいう。本のタイトルとは、何ともわかりにくい論理構成だ。また最終章の「老化は予防できる」で、少食や長寿者の低体温、咀嚼能力、運動・筋トレの老化予防効果など、これまで言われているアンチエイジング手法を盛りだくさんに語る。しかし生体の組織、細胞、分子レベルでの老化メカニズムとその予防策については必ずしも十分触れられていない。低体温として、本当に代謝を下げるのが長生きの秘訣とすれば、運動や筋トレで熱エネルギー産生を促すことと矛盾しないのか?体温を上げて組織修復蛋白HSPを産生し、組織や細胞レベルの新陳代謝で生ずる遺伝子のキズ修復や蛋白合成ミス修復が老化予防に重要とする説と、紹介された様々なアンチエイジング手法とどう整合性を取るのか、期待した回答は残念ながら本書には見受けられなかった。本書も、“タイトル倒れ”に終わった感が否めない。

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