●黒井千次「老い」のエッセイ
2005年から読売新聞に連載された黒井千次の「老い」に関するエッセイ集、第3冊目に当たる「老いのゆくえ」(中公新書)が柄谷行人の書評で某新聞に掲載された.興味をそそられて早速本書を購入した.「老いのゆくえ」は80代半ばの黒井が、「老い」のさまざまを自身の体験をもとに綴っている.このエッセイ集シリーズ第1冊目は著者70代半ばのものである.自分の年齢に近い記述を期待してこのエッセイ集「老いのかたち」も合わせて購入した.著者の「老い」の歴史的・哲学的考察はさておいて、印象に残った言葉は今風の「老い」を遠ざける健康志向や抗老化思考の対極にある「老熟」という言葉である.生物的年齢に則して高齢者の社会的役割や所為、立ち位置が変わり、昔であれば隠居、近代であれば「定年」がやって来る.こういった時期には社会の一線から離れ、慎ましくも時間的ゆとりを得て小旅行や散策、釣りなど趣味三昧の生活か、孫と戯れる生活である.「老い」の連作で描かれるさまざまな身体・認知能力の低下があっても、時間的・経済的ゆとりがあればその一つ一つを自他ともに受け入れながら「老い」を迎える事が出来るだろう.それが「老熟」である.●「時の記念日」セイコウの時間意識調査
6月10日の時の記念日に合わせて時計のセイコウが時間意識調査を毎年行っている(セイコウ時間白書2024、https://www.seiko.co.jp/csr/stda/archive/2024/detail.html).現代人の多くは「タイパは社会に定着」し、「行動はタイパを意識し、無駄な時間を過ごしたくない」と考えている結果である.無論「コスパ」も大切である.「時間が制限された方ががんばれる」「スマホなしで考えるのは5分以内、考えるより検索」で、まさにいつのまにか自分自身もそういった時間感覚に毒されているのに気づく.この調査結果は若い世代ほど高い割合であるが、その一つ一つの数値をみると世代差によらず総じて高い傾向であった.
●タイパ・コスパとエイジレスを求めれる医療・介護職
人口減少と少子高齢化で地域のスーパーや飲食業、公共交通機関などが立ち行かなくなり地域社会の機能縮少が進んでいる.青壮年労働人口が減って社会を支える労働者不足も深刻である.医療・介護の現場も例外ではなく、利用者(患者)の減少に加えて医師・看護師・介護職の欠員・減少から県内医療・介護施設の倒産や大幅赤字が報じられている.一方、医師一人の充足で経営が改善した公的医療機関の例も報道されている.現状、高齢者を対象とする医療・介護現場ではその担い手である医師・看護師・介護職というエッセッシャルワーカーが確保される限り当面の経営は成り立っている.しかし医療・介護現場の人手不足で職員は仕事上のタイパ・コスパを求められ、特に高齢化した職員も年齢にお構いないエイジレスな役割を求められている.この心身の負担は大きい.結果は利用者である患者にも大きく影響している.施設での経管栄養は1日2回で回されている.必要栄養量や水分量補給を考えると、回数・量とも1日2回は非生理的であり、1回量が多くなった結果、誤嚥リスクも増大する.しかし対応する職員数が限られ、解決策は今のところ見当たらないようである.
●老熟への夢想
医者となってずっと時間的に目一杯な生活を送り、それは以前ほどではないが今も続いている.結果として家庭での役割を十分果たせず、家族にも負担を強いてきた.“定年となり、仕事が一段落したら、またドイツ・オーストリアをゆっくりバスや電車で回ろう”、“行ったことのない国内各地も旅行したいな”、“以前は自宅で犬を飼っていた.今度は少し大型犬を飼って毎日散歩したいな”、などと妻と話したり想像したりする.しかし未だその実現の目処は立っていない.そしてその目処が立たないうちに、ある日気づいてみると心身ままならない、“要介護老人・寝たきり老人”となっている自分がこわい.毎日そういったたくさんの実例をみながら、老熟の心境とささやかな夢の実現を夢想している.
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付記:
1.引用した黒井千次「老い」シリース第3冊目「老いのゆくえ」のあと、4冊目に当たる「老いの深み」(2024年5月刊)が出版されている.
2.本稿は2025年7月15日、由利本荘医師会報NO.613号記事『銷夏随想』に掲載した
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