2012年10月31日水曜日

[Med-REHA]臨床と日常コミュニケーション手段としての絵文字


    臨床現場での医師を含む医療者側と患者さんとのやり取りで意志疎通がうまく行かなかったり、互いに納得したつもりで実は相互の誤解であったことが後で判明する事がある。特に障害者や高齢者の訴えを聴いてその治療や機能訓練に当たる我々リハビリテーションの領域ではこの意志疎通がうまくいったか否かは決定的に重要となる。

なぜ患者と医師でRAの疾患活動性評価が異なるのか:日経メディカル オンライン:
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    疼痛など主観的評価がベースに入る機能障害評価は殊に難しい。日経メディカルオンラインに紹介された、RA(慢性関節リウマチ)の疾患活動性評価が患者と医師で異なる問題も同様であろう。

同期親友M君の仕事:臨床表現手段としての絵文字

    同期の親友M君は長らくこの問題に取り組んでいる。最近、彼からリハスタッフ用として学術誌講座欄に連載執筆した文献が送られてきた。頭痛や腰痛、そのほか表現自体が難しい五感に関わるコミュニケーションの可視化に取り組み、それが如何にセラピストにとって診療上のヒントとなるかを語っている。

絵文字や顔文字による表現は異文化に共通する

    過日、ミャンマーのリハビリテーションスタッフが視察研修に訪れた。その際、専門的内容に限らず、相互交流の場においても、つたない英語でのやり取りには骨が折れ、もどかしさを感じてしまった。こんな時可視化された伝えたい内容に関する絵カードがあればもっとスムーズに説明できたかも知れない。M君の執筆した講座には異文化でも臨床表現として絵文字が有用であったと書いてある。その通りだと思う。

日常臨床で使われる絵カード

    リハビリ目的で紹介入院してくる失語症や難聴の患者さんとのやり取りで、時に絵カードの使用がとても役立ち、コミュニケーションの代償手段として患者さんのご家族に指導する場合がある。このようにリハビリテーションの分野では絵カードが日常的に使用されているが、今後の高齢化社会にあってはコミュニケーションの代償手段として、またユニバーサルデザインの一部として簡便な絵解きと絵カードの類が役立ってゆくことだろう。

2012年10月28日日曜日

[IS-REC]和賀仙人岳で落とした登山案内はがき

       去る9月16日の和賀仙人岳登山では、姥杉までの旧街道に沿う広い登山道に比較して、それ以降の展望所から頂上への道のりは手入れ行き届かず背の高い笹藪に覆われた未整備道であった。やっとの思いでせまい頂上に到着後、すぐに同じ道の下山でも一瞬気を緩めると迷子となりそうな状況。

      そこで私は胸ポケットの登山案内葉書の入った袋を落としてしまった。10日程経って、その落とした葉書にあった私の住所宛に拾得物ありの連絡を宮城県多賀城在住、Sさんから頂いた。落としたカメラ 

  ( Sさんから届けられたカメラと葉書、そしてその人柄示す一文が添えられてあり)

    同じ熟年登山者らしい親しみのある筆致で拾いものは葉書以外にもあったという連絡。早速、小生所属する山の会の仲間に会長を通じて問い合わせした。あとでその拾得物がカメラである旨も、Sさんから連絡をもらった。その情報含めて会の仲間に連絡したがどうも落とし主は私の仲間にはいないらしい、Sさんにはそう連絡した。

仲間内のFさんが買ったばかりの高級カメラを落としていた

    ところがその後、仲間内のFさんが買ったばかりの高級カメラを落としていたようだとの連絡が会長からあり、びっくり。Fさんは落としたことがわかると仲間に迷惑がかかると、話すのを遠慮していたらしい。機種を照合して早速Sさんへ連絡。

    この度無事落とした案内葉書と一緒にFさんのカメラも届きました。もう戻らぬものと諦めていただけにFさんの喜びはひとしお。宮城多賀城のSさん、本当にありがとうございました。

[Med-REHA]ミャンマー・リハビリスタッフと交流


        10月22日から一週間の予定でミャンマーを代表するリハビリテーション施設からそのスタッフが視察研修に訪れている。JAICA大澤さんは以前、県内大学病院にPTとして奉職していたのがその縁である。ミャンマーは秋田の塩汁(ショッツル)と共通した漁醤が日常好まれ塩分摂取は秋田に負けず劣らず多いとのこと。正確な統計はないらしく国内の脳卒中発症率は把握されていないようだ。

       今回の視察研修は脳卒中リハビリのチームアプローチを学ぶこと。さて、ミャンマーの医学的リハビリテーションの歴史は意外に古く、日本リハビリテーション医学会の戦後の発展とほぼ時期的に共通する。しかし施設やスタッフは少なく、医師とPT以外の職種なく、ここ数年の民主化進展に伴ってつい最近、OTその他の養成校が認可されたらしい。脳卒中患者のリハビリ紹介はまだ認知度が低くあまりないとのことで外傷やリウマチなどが主。リハビリ医育成の教育はストレートで日本のように臨床他科からリハビリに代わるコースを取るものはいないらしい。臨床教授とPT、担当看護師を合わせ8名、通訳交えて10名越える一行に脳卒中リハビリの現場出である回復期病棟や慢性回復期療養病棟、訓練室を視てもらい、さらに医師含むリハビリスタッフからレクチャーを行った。英語でのやりとりは当方側含めてつたないが、JAICA通訳は優秀。飲み会での交流で友情と情報交換に努めたが、どこまで通じたかは不明。それでも顔の見える関係が出来てミャンマーが一段と身近に感じられるようになった。JAICA大澤さん、ありがとう。
写真は交流会で、Dr.Khin Thida Anung、Prof Dr.Than Than Htay、Sitt Lwin Ko PTと一緒に

[Med-REHA]日体協公認スポーツドクター講習会に参加しました

SPORTSDR1210201

       10月20・21日、東京ベルサール九段で日体協公認スポーツDr.講習会(基礎Ⅰ)を受講しました。普段接する部分からは少しはずれた領域でとても新鮮に感じながら聴講しました。ホテルから皇居外苑にそう緑豊かな道を約25分、早足歩きで会場到着。心地よい疲れで初日午前の総論的事項の講義で少しうたた寝したほかは会場前席に陣取りじっくり聴講。


「1に運動、2に食事、しっかり禁煙、最後にくすり」

  

        国の健康づくり政策は、これまで1978年から2012年まで4度の提言があった。特に今後の生活習慣病対策では、冒頭の標語をもとに健康づくりのための運動基準、運動指針2006が作られ、身体活動量、運動量の目安が示されている。「いつでも、どこでも歩こう1日1万歩、自分に合った運動でいい汗かこう」   2012年にはさらに健康増進の総合的指針が出され、「健康寿命延伸と健康」「格差の縮小」はじめ提言され、特筆する点は個人の努力とともに社会環境改善についても言及しているという。各論的事項では、整形外科的メディカルチェック、競技種目特性を考慮するとき、種目をコンタクト・ノンコンタクトとに分類すること。格闘技に代表される選手同士が肌を接する競技とそうではない競技に分けて考えると、チェックポイントが明らかとなるなど、基本事項を身につける上でとても役に立った。そのほかにも「女性と運動」、「世代別と運動」、「運動と栄養面」など、自分のスポーツや健康に関する知識を整理するとても良く組まれたプログラムで、スポーツDr.資格取得にふさわしい入門講義聴講でした。感謝、感謝!!

2012年10月19日金曜日

[Med-REHA]耳管開放症 STさんの場合

耳と三半規管
    9月に放送された、「ためしてガッテン、耳管開放症のお話」はとても勉強になりました。同期のKT先生、颯爽として格好良かった。どうもご苦労様でした。
    さて、耳管開放症の話しを聴いてすぐに思い出したのが、現在通院中のSTさんのこと。

仕事上のストレス続きでクモ膜下出血

当時49歳のSTさんは、眼鏡店責任者であったが量販店進出の過当競争で相当のストレスが続き、上背170センチの大柄に関わらず体重48kgまで痩せてしまった。その頃から頭に響く耳鳴りや不快感が続くようになった。そして2005年9月末、とうとうクモ膜下出血を発症してしまった。診断は右椎骨動脈の解離性動脈瘤破裂によるもの。第IV脳室急性水頭症を併発したが、破裂した血管は自然閉塞し、治療は水頭症短絡術のみで一命を取り止めた。しかし脳幹圧迫が続いて脳幹機能不全に陥り呼吸・嚥下障害、重度四肢運動失調を後遺、このためその後も生死を彷徨うエピソードや体幹失調で坐位不能の寝たきり状態が続いた。

根気強いリハビリで少しずつ回復

STさんと私の出会いはクモ膜下出血発症から3ヶ月目。気管切開され、経鼻胃管の状態であった。50歳現職の眼鏡店支店長STさんには何とか良くなって欲しいと、奥さんはじめ家族はみな必死であった。私が考えられること、そして持てる技術すべてを出し切るつもりで治療・リハビリに当たった。私のスタッフもできる限りの知恵を絞った甲斐あって、背もたれ坐位からつかまり立位が可能となり、胃瘻造設で栄養障害も改善した。少しずつ筋力・体力も改善し坐位で両手も使えるようになった。水頭症悪化による呼吸障害でトラブルもあった。しかし結局、気管切開も閉じられた。経口摂取も少しずつ訓練、回復には更に数年を要したが、注意すれば口から何でも食べられるまでとなった。

回復に伴い耳管開放症による症状を自覚

3ヶ月入院後、在宅に向けた準備を開始し、様々な続発症に対する対応を検討した。睡眠時無呼吸、発声時の両耳不快感、など耳鼻科的な問題、両下肢内反尖足傾向の出現、などなど。しかし本人が自覚的にもっとも辛いのはやはり会話の際に自分の声が頭に響く不快感で頭が痛くなること。体重は栄養障害改善で病前の元気な頃までに回復していたが、耳管開放症状が継続するのはやはりクモ膜下出血後遺症の影響も関わっているのだろうか?
     その後、耳鼻科で耳管開放症に対する手術を受けたが未だに症状は多少残存しているという。
     背もたれ車椅子が必要だが、現在も月一度、奥さんの車運転で元気に通院してくる。通院の折に少し寄り道してあちこち出歩くのが楽しみ。そろそろ紅葉の時期、近いうち、紅葉狩りを楽しみにしているという。

2012年10月17日水曜日

[Med-REHA] 障害と闘って生き続ける

      Y氏は20数年前まで、当時の建設省に勤める優秀な青年であった。1991年11月末、勤務先で突然の意識障害を来して救急病院へ搬送、左内頚動脈瘤破裂によるクモ膜下出血と診断された。入院時の血管造影中、動脈瘤再破裂を来して左側頭葉から前頭葉底部に血腫を形成し緊急手術となった。一命は取り留めたが、重度障害を残して故郷に帰省した。当時34歳であった。

           帰省後、私の務める脳卒中センター・リハビリ外来に紹介されてきた。何を訊いても緘黙状態だが簡単な理解は可能、運動麻痺なく、独歩も可能であった。しかし指示された動作が理解出来ても、その開始や途中に動作そのものが中断することしばしばで常に第三者の援助が必要であった。一方、不思議なことに自転車に乗るなど、それまで獲得されていた行為・動作は可能で食事も一人で摂取できた。

特異な前頭葉性運動障害・抑制障害と発声発話障害、知的障害

     以来、私と彼との20数年にわたる長い付き合いが始まった。意図した発声や行為が困難な一方で、日常の定型的動作は可能なことから施設などに入らず実家で生活を続けた。時に一人で街に出かけて商店の品を持ち帰ろうとして、警察のお世話となる事もあった。特異な運動障害(意図と自動的行動の著しい解離や、系列行為の中断・停止、など)や緘黙状態はほとんど改善しないが、最近となって簡単な挨拶など、早口で聞き取りにくいが可能となった。

父の重なる病気や骨関節疾患で在宅療養生活危うし

     Y氏の父Kさんは農業で生計を立てるが、糖尿病や高血圧があり、そのため軽症脳卒中に罹患、軽い構音障害や右手の障害を来して、以後Y氏受診の折に私の外来診察を受けるようになった。その生活習慣病管理や軽症脳卒中後遺症は良くなったが、その後若い頃からの無理がたたったのか、両膝や股関節に多発性変形性関節症を合併、術後の感染併発治療を含めて再三手術を受ける結果となった。屋内も両手に杖を持たないと移動が困難となった。

通院継続は無理かと思われた

     これまで父Kさんの自動車運転で外来通院していたY氏の通院は無理だろうと思っていた。父Kさんの整形外科入院中、Y氏は実姉が付き添って外来に来ることもあったが、その間隔は拡がっていった。Y氏の今後の通院はもう不可能だろうと思わざるを得なかった。

     朝夕の冷え込みで煖房が恋しくなる頃、Y氏のクモ膜下出血発症から21年目を迎えようとする時期となった。両手に杖を持って、たどたどしい歩き方をする父KさんとY氏が再び私の外来にやってきた。父Kさんは重機を動かして農作業にも復帰し、車の運転はオートマ車で可能だという。

「息子の事を考えると、今の状態で死んでられない、脳卒中再発がもっとも怖い、先生、何とか助けてくれ・・・」

     障害を持って年々齢を重ねるY氏、その息子の行く末を案じながら、自分の負った障害と闘う高齢の父Kさん、自分の出来る事は限られるが何とか応援し続けたいものだ。

2012年10月15日月曜日

[Med-REHA]認知症病棟紹介入院の危うさ

    80歳過ぎのAさんは夫婦二人暮らしとなった頃から身勝手な行動が目立ち、近くに住む次男夫婦ももてあまし気味であった。夫が施設入所して一人暮らしを始めたが、身の回りのことは入浴以外可能であった。入浴は介護ヘルパーを利用していた。その後序々に火の不始末、服薬の管理や定期的服用が出来ない、介護ヘルパーへの暴言や暴力、物盗られ妄想などがみられるようになり、この9月には自宅の池州でおぼれそうになるなど、眼離しがきかない状況となった。緊急的に小規模多機能施設へ入所した。ここでもトラブルが続き、家族・ケアマネ・かかりつけ医との相談結果、認知症周辺症状の調整目的に当センター認知症病棟に医療保護・紹介入院となった。

入院直後に判明した腹部症状と異常所見

      入院時、両耳難聴で意志疎通が一部困難だが、声を大きくして話すとコミュニケーション可能で指示に従い、診察やその後の検査も一応可能であった。

    入院時診察と検査で、難聴による意志疎通困難を伴う中等度認知症(アルツハイマ-病?、前頭側頭型認知症?)と診断。さらに採血検査では白血球増多と炎症反応陽性、視診で下腹部膨満あり、腹部X線写真で回盲部から大腸全般にガス像が観察され、回盲部には糞液のニボー形成がみられた。

     入院後、排便あり食事も可能な事から経過観察となった。一方、入院したその日に窓から逃走を図るなど、精神症状や問題行動が目立って、その周辺症状管理に関心を奪われていた。

夜半から悪化した腹部症状

    夕食も5割以上摂取。しかし夜半より元気がなくなり、下腹部膨満と触診で回盲部付近を中心に下腹部全体の圧痛あり、発熱もみられるようになった。腹部蠕動音亢進なく、向精神薬服用の影響や糞便性イレウスを考え、浣腸したが廃液のみ。

早朝、救急病院外科へ転院、手術で救命

    翌早朝には腹部膨満や圧痛が増悪したため下部消化管の閉塞性イレウス、急性腹症として救急病院外科に紹介転院した。これまでの経緯から家族の連絡対応が遅く、ヤキモキしたが同日昼には緊急手術となってショックとはならず一命を取り止めたらしい(その後の詳細は家族の説明のみで不明)。

    本人が自覚症状をうまく訴えないこと、前景に立つ認知症症状に惑わされて、背後の問題を見逃し対応が遅れる可能性があること、このAさんの例は、紹介入院となる認知症患者の抱える危うさを知り、その後の対応を考える上でとても教訓的なケースであった。

2012年10月13日土曜日

[Med-REHA] 当リハセンター、最近の脳卒中地域医療連携実績


連携実績1

 10月20日に地域連携シンポジウムを大仙市大曲で予定

           今月20日に予定される大仙・仙北医療圏、連携協議会シンポジウムに向けて回復期病棟師長にこれまでの実績をまとめてもらった。
連携実績2             平成22年1月から開始され、本年6月までの29ヶ月間で3カ所の急性期病院(仙北組合総合病院・平鹿総合病院・雄勝中央病院)から155名が対象となった。連携開始当初は回復期病棟の受け入れ能力もあり、対象者を絞った。しかし対象限定はやはり不評で、途中から適応を広げている。パスによる連携を円滑に進める目的で定期的に集会を持ち意見交換し、相互理解や相互信頼、問題点共有がなされている。急性期の栄養維持への配慮で、回復期転院後に状態不良で訓練開始が困難な例は減少している印象。秋田県南をカバーする当リハセンター回復期病床数は50床に過ぎず、患者の流れには急性期・回復期のミスマッチもまだまだ多いようだ。この間のパス利用者は残念ながら入院脳卒中患者の2割に留まっている。

クリパス対象患者の90%が自宅退院

連携実績3クリパス対象患者は入院時点での機能レベルが高い。結果としてその自宅退院割合が高く、自宅退院患者には退院後に当リハセンター地域医療連携相談科からスタッフが自宅訪問する。退院前のスタッフによる在宅環境評価訪問もあるので退院を挟み前後2回の在宅訪問がある訳だ。患者・家族の評判もよい。

転院依頼から回復期入院までの期間短縮

またパスが導入された効果として、転院依頼から回復期病棟入院までの期間が相当短縮した。連携を積極的に進める病棟スタッフの努力を多としたい。

2012年10月12日金曜日

[Med-REHA] リハセン15周年講演会は職員一丸となり大成功!!


    去る10月6日土曜日、3連休初日に秋田市内ビューホテルで開催した、“リハセン開設15周年記念講演会”は、会場を溢れる300名近い来場者を数えて成功のうちに終わりました。一般の方が4割、医療機関や介護施設関係者が4割で、センターの患者さんやそのご家族も来場されていました。

    限られた時間でしたがイベントブースでデモや医療介護相談も企画され、多くの方が興味深げに立ち寄られていました。

    講演は小畑信彦病院長の「うつの話し」、佐藤隆郎認知症診療部次長の「認知症について」、特別講演として佐竹秋田県知事の脳卒中体験にもとづく講話、そして小生の「今どき、リハビリ~何が変わったか?」でした。終了後のアンケートの感想ではイベントブースでのデモや相談コーナー、記念講演いずれも好意的で同様の企画を今後とも望みたいという方々が多くおられました。

    行事の企画運営にはHK先生を筆頭に日常業務の中で時間を惜しんで当たられ、本当に御苦労様でした。

2012年10月11日木曜日

[Med-REHA]AMI人材育成セミナー・リハセン現地研修


秋田県企画振興部学術国際局学術振興課主催で

    平成24年度医工連携人材育成セミナーが9月25日から行われています。その現地セミナーとして10月10日、県立リハセンを会場に「リハビリテーションで使用されている医療福祉機器」をテーマに13名の受講者が集いました。

訓練室実地見学前のレクチャー

    小生から最初にリハビリに関する基礎知識を含めてオリエンテーションを行いました。リハセン現況からみた取り扱い患者全般の傾向やプロフィール、リハビリテーション技術や機器導入による最近の進歩、そういった技術や手技が導入されても最終的には対象患者さんの意欲や動機の有無が最終的に大切であること、などをお話ししました。

訓練室での見学と意見交換はとても有益だった

    訓練室では作業療法全般の説明と見学、当センターAS医師が開発した上肢訓練ロボットの説明とデモを行いました。このデモでも機械工学的観点から様々な意見も出て、AS医師の顔はやや紅潮気味。さすが工学畑のプロが多いなあという印象。理学療法室では先進技術であるロボットスーツ・ハルのデモを行いました。技術屋さんが発する質問や意見は普段訊くことがないだけにとても新鮮な印象。

何が求められ、何が必要とされるのか、そのヒントは?

   最後の全体討論では、STのNA室長から主に発達障害を含むコミュニケーション障害でその訓練や生活に必要な補助具について、既存の市販製品が高価過ぎること、目的に合った製品が意外になかったりすること、などが提起。それに対する参加者から様々な意見が飛び出して活発な意見交換がなされました。参加者も、そして準備にあたった小生を含むリハセンスタッフも、とても勉強になった現地研修の一日でした。

2度目の真昼岳です ~ブナ林が最高でした

   10月初旬の3連休中日7日、美郷町赤倉口から7年ぶりの真昼岳に登りました。2005年の真昼登山は、初夏の頃でデジカメには沢山の色鮮やかな山野草が写っていました。

  

  今回は、残暑の影響で紅葉未だの時期。狭く長い林道を車で往き、登山口へ。赤倉コース始めは滑りやすい沢伝いの道。ここを過ぎて出くわす一面のブナ林には感激。木漏れ日に照らされる木肌が直接匂ってくるようです。その後もずっと緩い傾斜道で、コースの多くは狭く滑りやすい足場の悪い道が続きます。ロープを張った急峻な斜面の所もあり、注意が必要。

  天候に恵まれましたが、山頂からの視界は今ひとつ。頂上付近は笹藪多く、この時期の彩り添える紅葉は未だ。みられるお花も、リンドウ、トリカブト、アザミの紫がやや目立つ程度。

  下山は転倒しないように細心の注意を払いながらの長い道のりで、とうとう足首が疲労して足下がフラフラ。でも下山後の六郷温泉、多少熱めのお湯でしたが最高でした。

2012年10月2日火曜日

[Med-REHA] リハビリ入院患者の栄養障害

   この頃、リハビリ病棟に入院してリハビリを受ける患者さんの栄養障害が気になります。地域医療連携クリニカルパスで入院する患者さんの中には急性期病院で安静と意識障害下での誤嚥を恐れて十分な経口栄養が出来なかったりで、発症後に急激な体重減少を来している例がありました。最近では連携での話し合いの中で体重管理に注意を向けるようになり、このようなケースも減少しています。

 

栄養不良で入院する患者はそれでも多い

   リハビリ目的で紹介・入院となる患者さんは、リハビリを必要とする主病名のほかにたくさんの保険病名を付けられて入院治療を受けています。必要な薬を出し、必要な治療を受ける上で適切な病名がないと診療報酬がもらえません。中には入院中の病名が100を超える方もおります。

入院中保険病名1人当たり、回復期12、療養23

   保険病名は、背景疾患、併存疾患、入院中の感染症、その他、ですが、最も多いの入院後に判明した既存疾患です。なかでも栄養障害によるビタミン欠乏などが目立ちます。

高齢者や障害者は嚥下障害による栄養障害が問題

   生活習慣病による脂質代謝異常や肥満が問題とされることが多いのですが、高齢者や障害者では嚥下障害など隠された障害による栄養障害がもっと問題となるのです。

過去に記述した関連記事

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