2012年10月17日水曜日

[Med-REHA] 障害と闘って生き続ける

      Y氏は20数年前まで、当時の建設省に勤める優秀な青年であった。1991年11月末、勤務先で突然の意識障害を来して救急病院へ搬送、左内頚動脈瘤破裂によるクモ膜下出血と診断された。入院時の血管造影中、動脈瘤再破裂を来して左側頭葉から前頭葉底部に血腫を形成し緊急手術となった。一命は取り留めたが、重度障害を残して故郷に帰省した。当時34歳であった。

           帰省後、私の務める脳卒中センター・リハビリ外来に紹介されてきた。何を訊いても緘黙状態だが簡単な理解は可能、運動麻痺なく、独歩も可能であった。しかし指示された動作が理解出来ても、その開始や途中に動作そのものが中断することしばしばで常に第三者の援助が必要であった。一方、不思議なことに自転車に乗るなど、それまで獲得されていた行為・動作は可能で食事も一人で摂取できた。

特異な前頭葉性運動障害・抑制障害と発声発話障害、知的障害

     以来、私と彼との20数年にわたる長い付き合いが始まった。意図した発声や行為が困難な一方で、日常の定型的動作は可能なことから施設などに入らず実家で生活を続けた。時に一人で街に出かけて商店の品を持ち帰ろうとして、警察のお世話となる事もあった。特異な運動障害(意図と自動的行動の著しい解離や、系列行為の中断・停止、など)や緘黙状態はほとんど改善しないが、最近となって簡単な挨拶など、早口で聞き取りにくいが可能となった。

父の重なる病気や骨関節疾患で在宅療養生活危うし

     Y氏の父Kさんは農業で生計を立てるが、糖尿病や高血圧があり、そのため軽症脳卒中に罹患、軽い構音障害や右手の障害を来して、以後Y氏受診の折に私の外来診察を受けるようになった。その生活習慣病管理や軽症脳卒中後遺症は良くなったが、その後若い頃からの無理がたたったのか、両膝や股関節に多発性変形性関節症を合併、術後の感染併発治療を含めて再三手術を受ける結果となった。屋内も両手に杖を持たないと移動が困難となった。

通院継続は無理かと思われた

     これまで父Kさんの自動車運転で外来通院していたY氏の通院は無理だろうと思っていた。父Kさんの整形外科入院中、Y氏は実姉が付き添って外来に来ることもあったが、その間隔は拡がっていった。Y氏の今後の通院はもう不可能だろうと思わざるを得なかった。

     朝夕の冷え込みで煖房が恋しくなる頃、Y氏のクモ膜下出血発症から21年目を迎えようとする時期となった。両手に杖を持って、たどたどしい歩き方をする父KさんとY氏が再び私の外来にやってきた。父Kさんは重機を動かして農作業にも復帰し、車の運転はオートマ車で可能だという。

「息子の事を考えると、今の状態で死んでられない、脳卒中再発がもっとも怖い、先生、何とか助けてくれ・・・」

     障害を持って年々齢を重ねるY氏、その息子の行く末を案じながら、自分の負った障害と闘う高齢の父Kさん、自分の出来る事は限られるが何とか応援し続けたいものだ。

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