9月に放送された、「ためしてガッテン、耳管開放症のお話」はとても勉強になりました。同期のKT先生、颯爽として格好良かった。どうもご苦労様でした。
さて、耳管開放症の話しを聴いてすぐに思い出したのが、現在通院中のSTさんのこと。
仕事上のストレス続きでクモ膜下出血
当時49歳のSTさんは、眼鏡店責任者であったが量販店進出の過当競争で相当のストレスが続き、上背170センチの大柄に関わらず体重48kgまで痩せてしまった。その頃から頭に響く耳鳴りや不快感が続くようになった。そして2005年9月末、とうとうクモ膜下出血を発症してしまった。診断は右椎骨動脈の解離性動脈瘤破裂によるもの。第IV脳室急性水頭症を併発したが、破裂した血管は自然閉塞し、治療は水頭症短絡術のみで一命を取り止めた。しかし脳幹圧迫が続いて脳幹機能不全に陥り呼吸・嚥下障害、重度四肢運動失調を後遺、このためその後も生死を彷徨うエピソードや体幹失調で坐位不能の寝たきり状態が続いた。根気強いリハビリで少しずつ回復
STさんと私の出会いはクモ膜下出血発症から3ヶ月目。気管切開され、経鼻胃管の状態であった。50歳現職の眼鏡店支店長STさんには何とか良くなって欲しいと、奥さんはじめ家族はみな必死であった。私が考えられること、そして持てる技術すべてを出し切るつもりで治療・リハビリに当たった。私のスタッフもできる限りの知恵を絞った甲斐あって、背もたれ坐位からつかまり立位が可能となり、胃瘻造設で栄養障害も改善した。少しずつ筋力・体力も改善し坐位で両手も使えるようになった。水頭症悪化による呼吸障害でトラブルもあった。しかし結局、気管切開も閉じられた。経口摂取も少しずつ訓練、回復には更に数年を要したが、注意すれば口から何でも食べられるまでとなった。回復に伴い耳管開放症による症状を自覚
3ヶ月入院後、在宅に向けた準備を開始し、様々な続発症に対する対応を検討した。睡眠時無呼吸、発声時の両耳不快感、など耳鼻科的な問題、両下肢内反尖足傾向の出現、などなど。しかし本人が自覚的にもっとも辛いのはやはり会話の際に自分の声が頭に響く不快感で頭が痛くなること。体重は栄養障害改善で病前の元気な頃までに回復していたが、耳管開放症状が継続するのはやはりクモ膜下出血後遺症の影響も関わっているのだろうか?その後、耳鼻科で耳管開放症に対する手術を受けたが未だに症状は多少残存しているという。
背もたれ車椅子が必要だが、現在も月一度、奥さんの車運転で元気に通院してくる。通院の折に少し寄り道してあちこち出歩くのが楽しみ。そろそろ紅葉の時期、近いうち、紅葉狩りを楽しみにしているという。
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