2013年2月25日月曜日

[IS-REC] 藤田紘一郎著『50歳からは炭水化物をやめなさい』(大和書房)を“糖質制限食信奉者“の私、早速読みました

広く一般向けに書かれた「食と健康」本「アンチエイジング」本が雨後のタケノコのように次から次へと出版されている。糖質制限を信奉する小生も新聞・雑誌の大々的宣伝に乗せられた訳ではないが寄生虫博士で有名な藤田紘一郎先生の本書を早速購入した。







体験的視点と新視点の提供、演繹手法による作文技術で、本書は説得力ある「食と健康」本の一冊に


健康維持の基本は、食と運動を含む生活習慣であり、健康オタク向けに出版される多くのハウツー本を含めてこういった類の本を貫くテーマは一貫している。しかし健康を労せずして得られるハウツー本は科学的根拠に基づかない、まやかしが大半で全く読むに値しないし、著者の経歴からそれを見破るのも決して難しいとは思わない。一方で、“糖尿病食事療法として糖質制限食に問題あり”と権威を傘に一方的宣言を賜る学会や何処かのメーカーと結託した利益相反ミエミエの本・文献・広告を大学教授・“医学博士”の肩書きつけて公表するものも信用おけない。藤田先生の本書は、(1)糖尿病である先生の体験に基づいている、(2)「50歳という年齢を境に、人のエネルギー供給は“糖質エンジン”優位から“ミトコンドリアエンジン”優位に切り替わる」という一般向け解説にはまさに新しい視点を採り入れて、糖質制限食の妥当性を説明している、(3)「糖質制限食」、寿命の回数券「テロメア」、「長寿遺伝子オン」、「腸と心の充実」という広いテーマを扱い、そのすべてが藤田先生の研究領域でない事は明らかだが、山のように集めた文献を枕に語るのではなく、最近語り尽くされた感のあるこれら話題の本質をうまく捉え、透徹した寄生虫学者の眼と頭で良くかみ砕き説明するのに成功していることだ。特に如何に説得力ある文書が書くかという点で最近読んだばかりの一文(原 優二の風のかなたへ「理科系の作文技術」から考えること 風の旅行社・風通信・特別増刊2013年春号巻頭)に記された通りの文章展開で、さすが“理系の藤田先生”と感心した次第だ。


自分の健康を守るために読むべき本は?


不安の時代、不確実な時代を生きて、今我々にもっと必要とされるなものは何だろう?・・・・人と人とのつながり・信頼?宗教?哲学?・・・少なくともお金ではないだろう。挙げればきりはないが、これだけははっきりしている。人に迷惑かけず自立して生きるため自分の健康を先ず自分で守ること。無論、現に病者や障害ある者にとっては自分の身体のことをいつでも相談出来る指南役、“かかりつけ医”がこのために欠かせない。しかし仮にも健康寿命を享受している我々は、自分の健康を守るため、日々努力し続ける必要がある。そしてその食や運動、生活習慣の身近な指南は自分が正しいと信ずる先達が書かれた書物の数々である。私が最近読んで実践を志すに至ったこの類の本を挙げると、藤田紘一郎先生の本書のほかに、山田 悟著『糖質制限食のススメ』(東洋経済新報社)江部 康二著『「糖質オフ! 」健康法 主食を抜けば生活習慣病は防げる! (PHP文庫)』伊藤 裕著『腸! いい話 (朝日新書)』大櫛 陽一著『間違っていた糖尿病治療―科学的根拠に基づく糖尿病の根本的治療』など、だろうか?


「人生は何歳になっても楽しい」


歳をとると身体の不調や老化現象が重なって身体のあちこちを臓器単位で意識するようになる。しかし食や運動・生活習慣に気を配っているとこういった愁訴を意識しないで生活することも可能である。本書、藤田先生のおわりのことばは、「足るを知り、今を大切に生きれば人生は何歳になっても楽しい」である。また「山川草木国土悉皆成仏」と仏教の一節を引用して何事にも感謝の心が大切と説く。健康にはほかへの感謝の気持ちも大切な要素である。これは、井上 敬先生の『健康方程式365』(木楽社)にもあり、納得のゆくところである。
やはり本書はただのハウツー本との違いがよくわかる一冊であった。

2013年2月21日木曜日

[IS-REC] 時には『ブータンしあわせ旅ノート』(岸本葉子著)

2011年、すなわち一昨年の夏期休暇を目一杯利用して念願のブータンを旅行した。ブータンは空港のあるパロ、首都ティンプー近郊の西ブータンを巡るのがやっとの日程だったが、さらに東へドチャラ峠を超え、チミ・ラカン、ブナカまで足を延ばすことが出来た。駆け足旅行で地元ブータンの方々との交流はほんのわずか。しかし1日がかりでタクツァン寺院に登ったこと、またブータンの方々の暖かい眼差しや親切心を知り、人なつっこい子供達との交流、その笑顔をカメラに収めることも出来た旅行だった。

岸本葉子著『ブータンしあわせ旅ノート』が2012年春改題出版

1999年出版の旅行記改題だから、岸本さんの旅行から 私の旅行まで10年一昔の歳月が経っている。この度の出版で著者はそのあとがきで、「変わるもの、変わらないもの」と題し、この間の時代変化、当時のしあわせ一杯旅ノートが描いた『幸せの国、ブータン』の有り様を批判的に語っている。

岸本さんの旅ノートに描かれたブータン~敬愛される国王、厚い国民全体の宗教心、大家族でつましく生活しながら当然のしあわせを享受する人々~

本書で触れられるブータンはすでに10数年前のこと。しかし一昨年私自身が旅行で垣間見たブータンの国情・旅行事情、現地の人々の生活に大きく変わった印象はない。東日本大震災の地を昨年ワンチュク国王夫妻が新婚旅行先に選んで来日して以降、日本でもすっかりブータン”ブーム”が起った。そして現在のブータン国情についても再三テレビなどで放映され、近代化の波が押し寄せ、その国情や国民生活が大きく変わろうとしていると報じられた。携帯電話やテレビ・インターネット普及など、国民の消費生活を含む生活文化も確かに大きく変わりつつあるのだろう。しかし岸本さんが訪れ、私が旅行した10数年の間でも良い伝統や生活文化は変わらず続いてきたのもと確信する。国外から押し寄せる消費文化を批判的に受け止める教育水準や厚い宗教心、狭い山岳国家、農業主体の大家族母系社会、立憲王制国家に移行しても厚い国王への信頼と宗教と政治が上手に一体化した国家体制、これらの要素が一体となって小国ながら強い独自性と文化国家としての矜持を持ち続けている。国民一人一人の生活レベルは現在も決して高くはない。しかしこの国を訪れる異邦人に対して決して笑顔を絶やさない彼らは自分の国に誇りを持ち、その生活に自信を持っていることは間違いない。

「ブータンは今でも幸せの国でした」が私の印象


この本を読んで、私のブータン駆け足旅行に欠けていたブータン国民の生活事情がしっかり呑み込めた。そして私が垣間見たブータンは今でも間違いなく「幸せの国」。健康もお金も時間も必要!! だが、ますますブータン再訪を期する気持ちが高まった次第。今度は余裕持って東ブータンを訪れ、またそのトレッキングに挑んでみたい。
s-ブータン旅行スナップ
s-ブータンの子供達


2013年2月16日土曜日

[IS-REC] ウォルフレン『いまだ人間を幸福にしない日本というシステム』を読む

アルジェ人質事件で日本政府が敢えて欧米と共同歩調を取ると宣言したのが良かったのか否か、批判的論調が続いている。特に米国との共同歩調はアフガニスタンで医療や農業分野で地道なNPO活動を続けてきた邦人を危険に陥れたと同様に、アルジェにおいても、いわゆるテロリストの表だった標的に現地日本人を曝す危険な宣言であったと思われる。現在、大国アメリカの国内状況はわれわれが理想とする平和国家でもないし、民主主義国家からもほど遠い状況にある。格差や貧困が固定化され、軍・治安機関の高度市民監視社会であり、度重なる銃乱射事件にみるように、安全・安心のない社会である。また対外的にも絶えず仮想敵を必要とする軍産複合経済界に牛耳られ、事実や正義に基づかない政策がノーベル平和賞受賞・オバマ大統領のもとでも大手を振ってまかり通っている(朝日新聞付け2013/02/14、クルーグマンコラム@NYタイムズ)。

国民を幸福に導く舵取りは誰が?

2012年暮れ,角川文庫の一冊にカレル・ヴァン・ウォルフレン著、井上 実 訳『いまだ人間を幸福にしない日本というシステム』が出版された。巨大地震や津波、原発事故という災厄からそろそろ2年が経過しても一向に進まない復旧や復興、特に原発事故という人災については誰も責任を問われも取ろうともしない国家や政治に対して、首相官邸や関係機関を取り巻く、“原発NO!”の示威活動が多くの組織化されない市民によって今も続いている。しかし現実は少しも変わろうとせず、政権交代後には再び“原発再稼働”の動きが表面化している。
人口高齢化や貧困問題、格差社会が進んで老若男女問わず日本も不安社会となって、国民全体の幸福や今一度安全・安心な社会を築くのに必要な処方箋が求められている。ウォルフレンの本書はしかし、“いまだ人間を幸福にしない日本というシステム”というタイトルが示す通り、国民一人一人がその英知を集めて議論し、意思表示しても米国一辺倒、経済拡大至上主義という自動操縦装置に繰られた日本の舵取りが続くのではと危惧している。高齢化やその人口構成からモノに関する国内需要は飽和しており、際限ないものづくり経済の拡大は結果的に海外に向かわざるを得ない。“ホントに経済拡大は今後とも必要なのか?今後われわれが目指すのは定常社会なのでは?”また、日本全体が未だ米国の植民地同然に多くの基地を抱え、しかも地域の総意として基地撤去を訴える沖縄の現状に耳を貸さない日本政府は“国民主権の政府”といえるのか?こういった積み重なる疑問に、ウォルフレンの本書が筋道立てて答えている。

自動操縦装置を支える官僚集団

国民と実際に日本を動かしている司法や行政府役人を仲介するのが政治家である。ウォルフレンは、政治に志すには莫大な資金を必要とし金権政治がある種、必要悪となっていること、日本は“官僚独裁国家”であり、これを突き崩して国民の望む国家に変貌させることが可能なのは唯一国民に支持された政治家であるはず。しかし自動操縦装置を手動に切り換える試み(例えば、米国依存からの脱却や経済拡大至上主義を改めること)をする政治家は経済界や主要マスコミ、官僚独裁集団の総力によって悉く潰される運命にあることを喝破している。私自身を含めて好感持ち得ない政治家、小沢一郎氏をその例に挙げているが、ウォルフレンの指摘は確かに当たっているのかも知れない。首相時代の鳩山由紀夫やその後の鳩山の行動に対する大げさな批判も彼の説明で納得がいったところである。

日本社会は『空気の社会』

本書最後の解説で孫崎 亨は、“日本社会は『空気の社会』”であり、ものの見方、考え方、行動の仕方はこうあるべきだというものが社会全体を覆っていると述べている。ウォルフレンのいう“偽りの社会”は社会の空気であり、それから外れる者を極端なまで排除する。社会の空気に逆らってはならない、社会の空気に従わなければ無視されるか生きてゆくこと自体が困難となる。政治家もこの例外ではない。しかしウォルフレンは言う。日本にとって吃緊の課題は“大きな危険を回避するため米国依存から脱する事”、そして経済拡大至上主義という自動操縦を是とする官僚独裁を打破すること。

ウォルフレンの主張と共通する主張は?

“知ることは力なり”とウォルフレンは言う。日ごと世界は動いており、われわれは事実を知る努力を惜しまず、正しいと信ずる歴史感や正義感に基づいて事象を解釈し行動してゆかねばならない。国の舵取りは代議制国家である日本に住む以上、我々は政治家に委ねる。政治を語るのは社会の空気に反する行動と映る事も多い。しかし一億総評論家ではウォルフレンが指摘するように日本人は自身の幸福も目指せないことになりかねない。最後に一つ本書で気になる点があった。彼は政治家や政治家が属する政党を一派一絡げで述べている。
しかし彼の本書で触れられた日本社会と政治の現実は、日本共産党の主張と頗る共通している。科学的社会主義による現状分析とウォルフレンの永年の事実に基づいた分析が共通してくるのはある意味で当然なのかもしれない。



2013年2月9日土曜日

[IS-REC] 暉峻淑子『社会人の生き方』を通して、不安時代の生き方を考える

 “社会の豊かさ”につながる“社会人の生き方”とは?

   読売新聞2013年1月19日記事、“編集委員が迫る”「生活経済学者・暉峻淑子」氏が掲載されている。かって読んだ、『豊かさとは何か』、『豊かさの条件』とともに昨秋、『社会人の生き方』が上梓され、先の2冊の具体的処方箋として本書が執筆されたことを知った。すなわち本書は80代とは思えないアクティビティーを今保ちながらも暉峻先生の岩波新書三部作最後の完結本に当たるものと思われる。

 

   この読売記事では安倍内閣で掲げられる緊急経済対策が雇用拡大を通して、果たして今の日本に希望や活力を呼び戻せるのか?という観点から暉峻先生に問いを投げかけている。そして暉峻先生の結論は“No”。既に社会の土台が相当崩れ、日本が内側から自己崩壊を生じていると指摘する。

 『方丈記』からみた鴨長明の生き方に共感

      2012年は鴨長明『方丈記』が書かれて800年、節目の年であった。またここ数年、東日本大震災や福島原発事故で自然災害・人災による不安な重苦しい空気が日本を覆うと同時に世界的構造不況の影響もあって、方丈記への関心が高まり、大きなブームともなった年である。方丈記は昨年熱暑が続く初秋時分から

をテキストにNHKテレビ教養番組でも取りあげられた。私も方丈記を通して鴨長明の人物像に大いに惹かれた。彼は表向き物事への執着を断ち、隠者として方丈の庵で仏道修行に励む生活を理想としていたが、実際には悟りきれずに琵琶に興じ、童子と遊び、時に遠方に旅行を楽しんだ。そして何よりも方丈記に記した五大災厄は自分の足で子細に調べ上げたものであり、それは記録文学として今に見劣りしない内容となった。鴨長明は同時代の藤原定家などとは異なり、当時の社会状況について非常に高い関心を持ち、そのために自ら行動した。その記録が方丈記であり、方丈記は決して隠者の随筆ではない

   方丈記の世界に通じる不安社会と、現代の不安社会で知識人・社会人はどう生きるのか? その処方箋を求めて、この『社会人の生き方』を読んだ。

自己肯定感育てない競争教育、貧困自己責任論、そして労働の意味変容

   本書には“社会人”イメージに始まり、現状からその“社会人”になれない、あるいは就労という社会参加機会の与えられない多くの若者の事例、その際の自己責任論の台頭、背景にある自己肯定感を育てない競争教育とゆとり教育の否定などが語られる。また就職難が社会人としての出発や社会参加を困難としていること、社会的つながりがないか薄弱による飢餓感が、“個人化社会の不安”として多くの国民にあること。人生のリスクに対応出来ない“貧困生活”が数的に増大していることが指摘される。また、製造現場への派遣が2003年に小泉内閣により解禁され、一気に非正規労働が増えて労働が充足や喜びを産む手段から、生きる最低限の保障すらないものに変容したことなど、厳しい現状が再認識される。

不安社会の中で考える社会人・知識人の生き方

   “今は市場に政治も人間生活も乗っ取られて経済の植民地にされてしまっている”(本書186頁)、そこそこのGNPで豊かさを享受出来るはずの日本でありながら、私が実際に行って感じた“国民総幸福”の国、ブータン国民に感じた笑顔と暖かい目線が日本人にはもはや感じられない。この日本の現状に抗して将来を見据えた社会人・知識人の生き方は?社会全体の有り様に関した処方箋は政治家や経済学者の仕事である。私を含む一社会人、一知識人はどういった社会を指向し、どういった生き方をすれば良いのか?暉峻先生の処方箋は、身近な処からの社会参加であり、助け合いだと説く。そして自分以外の他人を思いやる心と想像力が必要であり、社会的無関心や不幸をみて“自分でなくて良かった”とだけ感ずる心の貧困を断ち切ろうと説く。この『社会人の生き方』を読み、鴨長明は“世捨て人”ではなく、当時の立派な“社会人”であり、自分のお手本となる生き方が出来た人であると、再確認した次第である。

2013年2月3日日曜日

[IS-REC] 櫻井 武『食欲の科学』(講談社ブルーバックス)を読む

 

食欲とは何とも悩ましい


ヒトの基本欲求で最も大切な食欲。肥満や生活習慣病を恐れて食をコントロールしたいと思う者は多い。かく言う私自身も若い頃からの生活習慣で早食い、大食傾向が未だ治らず、今や年齢的にもその是正に悩んでいる。
      櫻井先生の本書は彼の睡眠に関するオレキシン発見物語である『睡眠の科学』(同ブルーバックス、2010年)に続くものであり、前著の出来が良かっただけに、正直なところ、「柳の下の二匹目の泥鰌」をねらったものではないかとあまり期待はしていなかった。しかし新聞書評に動かされて購入し、読んでみるとその中身の濃さに圧倒された。まず食欲の根源的役割として、ホメオスタシスの一つでもある体重恒常性と食欲の関係、その仕組みを支える中枢である視床下部での食中枢について解説している。飢餓と飽食によって食欲が二相性にコントロールされるのであれば話は単純であったはず。しかし食欲調整の仕組みに限らないのだろうが、身体機能コントロールはほんとに複雑だ。

「レプチン発見物語」で話は進む


   たまたま発見された肥満マウス(ob/obマウス)や肥満を呈する糖尿病マウス(db/dbマウス)系列を利用した肥満メカニズムの研究から食欲制御因子が想定され、幾多の苦労と様々な技術の進歩によりながら、1994年それはレプチンとして発見、報告。しかしその働きは当初想定されたほど単純ではなく、レプチン血中濃度上昇で食欲が直接抑制されるものでないことがわかる。適度なレプチン濃度は身体が十分エネルギーを蓄積していることを知らせ、痩せてレプチンレベルが低下すると、強力な食欲を惹起するという。すなわち広い意味での食行動と連動した長いスパンでの働きがレプチンにはあるというのだ

レプチン発見から食欲と食行動の脳内機序が解き明かされた

   

食欲の昂進と抑制、栄養状態という長いスパンはレプチンが情報源となり空腹というより短いスパンでは血糖レベルがその情報を視床下部(弓状束)に伝える。情報に答えるニューロンは様々で、さらに線状体にある側坐核という報酬系にその情報は伝わり、食行動が惹起される。これだけでも複雑だが話はもっと複雑で、なかなかついて行けない。

食欲と食生活

本の後半三分の一が神経性食思不振症や大食症、生活習慣病の話、肥満は遺伝する、肥満者をみていると大食となるなど、エピソディックに語られ、最終章は「食欲に関する日常の疑問」となる。全体バランスを考えた章立てなのだろうが、最後の二章は蛇足に近い。

全体としては食欲に関するサイエンス読み物として読み応えあり

食欲の根元に始まり、レプチン発見から様々な食欲に関わる脳内物質が落とすことなく網羅され、内容は複雑で素人がすべてを理解するのを困難にしている。しかし食欲のサイエンス本としてはしっかりした内容で最後に引用文献も記載され、本書は先生の前著『睡眠の科学』同様に手元に残したい一冊と感じた次第である。



[IS-REC] 2013年1月 私の運動記録から

201301月運動実績

暮れから正月にかけた期間中Fitness Clubが休業することや積雪で屋外散歩がままならないという思いが幸いしたらしい

   オムロン歩数計walking Styleによる運動記録から2013年1月の運動状況を振り返る。1日平均歩数9530歩、しっかり歩数(運動歩行)5200歩、月間歩行距離160㎞以上という予想外の目標を上回る成績だった。特に後半の週はつらい気持ちを押しながらほぼ毎日夜半のfitness Club通いを続けた。

fitness Clubジムでのトレッドミル走行は、軽音楽を聴き流し、その曲数を数えながら時速10㎞以上のペースで走る事としている。耳にする軽音楽10曲以上、15曲を目標に走ると、1時間オーバーとなり、トータル10㎞以上の走行距離となる。オドメーターで距離を確認しながら走ると途中で辞めたくなる誘惑に駆られるので、曲を数えて走るこの方法が私に合っているようだ。

   2月は28日と短い。このペースでできる限りfitness Club通いを続け、月間距離を維持したい。今月の成績は、自分に“御苦労様”の心境で眺めました。

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