厳寒期の韓国旅行
大韓航空による秋田と仁川を結ぶ航路はここしばらく利用客減少で休止中でした。師走のこの時期どのような判断があったのか、数カ月ぶりに運行一時再開の報せ。といっても現在は円安-ウォン高という為替状況、日本-韓国の友好ムードに乏しく、また旅行には一般に適しない厳寒期と二重三重にこの隣国へのツアーは悪条件が重なっています。
ワイフ、ハングル語学習始めて3年
ワイフがハングル語学習を始めて3年、それなり上達しているのを現地で確かめたいという希望を受け入れ、急遽『古代朝鮮史に親しむ韓国旅行』をプランしてもらい駆け足旅行をしてきました。
仁川には日暮れ頃に到着。そして到着するなり零下5度以下の肌がぴりぴりする外気温。積雪はほとんどなくこの大陸性気候に先ずびっくり!!
仁川からは車で南下し、小1時間ほどで予定の温陽温泉に到着、そこで温泉に浸かって一泊。翌日は古代朝鮮史に関係した百済の都、扶余へ直行しました。
百済の都、扶余
ここは5世紀、高句麗との戦いに敗れた百済が都を漢城から南へ移し、百済中興の祖といわれる武寧王から聖王が築城した都。日本に仏教を伝えた聖明王とはこの聖王のこと。高句麗や新羅・唐が互いに勢力伸張を図っていた時期だけに仏教伝搬も当時の日本との関係を強化したい狙いがあったものと思われます。この扶余で武寧王の陵墓(宋山里古墳群)、百済の古都、公州を守るために造られた城郭、公山城を見学し、また660年新羅と唐の連合軍により百済滅亡に至る“白馬江の戦い”の跡、特に多数の女官や妻子が凌辱を恐れて川に飛び込んだという“落花岩投身“の跡、宮城のあった扶蘇山城を徒歩周遊しました。翌日は再び北に向かい水原へ。
世界文化遺産・水原華城
今度は時代がずっと進んで18世紀、朝鮮第22代、正祖大王が築城したという世界遺産登録の水原華城を見学しました。特に石材と煉瓦を組み合わせ、セメントのない時代に砂泥で固めた城壁が見事でした。
国立中央博物と伝統舞台芸術鑑賞(ソウル)
午後は国立中央博物館で東アジアの文化・文明の発展をたどる様々な陳列を斜めに見ながらほとんど素通り(2時間では致し方なし)。夜はソウル市内の貞洞劇場での伝統舞台芸術を楽しみました。
駆け足韓国旅行を振り返って
翌日には仁川からとんぼ返りの帰秋。まったくの駆け足旅行でしたが、近現代に朝鮮王朝が倒され日本に併合されるという悲劇を乗り越え、民族の歴史をその古代からたどり、再度の発掘調査や歴史的記念碑の復元・整備を通じて壊されかけた民族意識を再度作り上げつつある韓国民に日本人の一人として頭の下がる思いで帰って来ました。
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