2015年1月29日木曜日

[IS-REC/BOOK]佐藤 優著『ズルサ』のすすめ(青春出版社)を“父が子に与えたい人生の処世術"として読む

現場で働き出した息子の悩みに・・
 
  

    息子が企業に就職、半年間研修後に現場で働きだしている。仕事に必要な資格取得に加えて、職場や顧客との人間関係でやはり相当ストレスがあるらしい。

定年間近な自分の場合、医者という職業柄や当時の時代状況を反映して、そういった問題であまり悩むことはなかった。というより齢を重ね、自分をより客観的に振り返えるようになると、当時は周囲におだてあげられて相当傲慢、顰蹙を買っていたのではと思わず赤面してまう。今の自分はこの歳にしてようやく謙虚、また対人関係、決め事、事の判断や決断をそれなり上手にこなすようになったと自負する。そして今を悩む息子や、親子ほど歳の離れた職場の同僚が様々な問題に当たり悩んでいる時、一言二言声をかけ、アドバイスしたい気になる。そうとは言え、今の世の中は意外にコミュニケーションする場や時間がないもの。

そんな想いの中で、佐藤 優の本書を手にとり通読、著者の主張に強く共感した次第。そして、自分と直接コミュニケーションする機会のない息子や若い人たちにも是非本書を読んでもらい、処世の術として本書に書かれた事を“代理経験”し、身につけて欲しいと感じ、紹介することとした。

正攻法でないところもあるが・・

     S.Covyの『7つの習慣』は職業人として家庭や職場でのあり方を正攻法で説く名著。教えられるところも多い。一方、佐藤 優の本書は外務省勤務からロシア外交官となり、政争に巻き込まれ、訴追・収監されるという彼自身のドラマチックな経歴、経験をもとに職場や現場での様々な想い、処世術を綴る。そのため、他から卑怯といわれそうな正攻法ではない決断、決定の先のばし、対処法も含んだ内容となる。「いかに負けるか」などは自然と対峙したり人知の計り知れない事の多さを知るほど「勝つこと一辺倒」のもろさを教えてくれる。

何を直視しするか? 疑似問題とは? 直感力を鍛えるには?


    事の困難さや恐怖などで解決すべき問題から目をそらす事は多い。そういったイヤな問題こそ直視する。またマスコミの宣伝に踊らされたり、本質的ではない“疑似問題”(問題設定自体に誤りを含む)に無用な時間を費やす愚を犯す事が多い。孤独となって自分を見据える時間が「賢者の時間」である。論理や理屈でない直感力を持つ。「賢者の時間」は、人を成功に導くその直感力を鍛えてくれる。

失言の二種類

   無知は失言を生む。もう一つは偏見からの失言。偏見は自分以外を理解しようとしない、相手の痛みを理解しない故に“失言を失言と理解しない怖さ”がある。結局は教養が失言をなくする。

相手の立場への理解

   相互信頼醸成の約束履行、相手の時間を奪わない配慮、など相手の立場に立った行動を念頭に置く事が大切。約束を超えた信頼を築ける品性や日常不断の行動が大切。

恩は忘れず、復讐は神に任せる

   人から受けた恩や思いやりは忘れがち。人から受けた傷は“倍返し”ではなく、その仇は“神に任せる”

経験知がさまざまな共通認識につながっている

   社会が複雑化し、また多くの解決困難な課題を抱える現代社会で若い社会経験の少ない者が生きてゆく辛さは、我々熟年者が想像する以上でなかろうか。本書は国際関係でのやりとりなども取り混ぜながら最後まで興味深く読ませてくれる、単なるハウツーものではない強みのある一冊となっている。また職業やキァリアのまったく異なる自分が著者の主張と共通した処世の術を感じるのは経験知のなせる技なのか? 若い方に一読を勧めたい。

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2015年1月24日土曜日

[IS-REC/BOOK]大澤真幸著『不可能性の時代』(岩波新書、2008年)を読む

戦後70年を社会思想的にどう区分するか、そのヒントを提供

      昨年暮れ、12月20日放送のNHK文化講演会で大澤真幸氏の講演をはじめて聴いた。タイトルは『ふたつの東京オリンピック~理想の時代から不可能性の時代へ』。    この講演では過去(1964年)と未来(2020年)、二つの東京オリンピックが日本社会、日本の人々にどう映ったかを比較する。その目的は彼が主張する戦後から現在までの時代を「理想の時代」、「虚構の時代」、「不可能性の時代」に3区分して考える合理性を訴えることだった。地球的規模で起こる自然災害や人災、世界・日本という国のレベルで生じている解決困難な政治・社会問題が山積し、その解決の糸口を見出せず不安一杯の現代。この現代社会を今日的にどうとらえたら良いか、それを知る何らかの道しるべが欲しかった。この講演はその道しるべとなる何かを語っていた。そして著者の主張を詳しく知りたい欲求にかられ、本書『不可能性の時代』(岩波新書、2008年)を手にとった。

「理想の時代」の「1964年東京オリンピック」に対して、現在の「不可能性の時代」がむかえる「2020年東京オリンピック」

    二つの東京オリンピックを素材とした講演では、「1964年東京オリンピック」はその後の高度成長期前哨に当たる時期開催で新幹線開通などに象徴される夢あふれ、人や社会にとって理想が明確な時でり、著者はこの時期を「理想の時代」と呼んだ。一方これから待ち受ける「2020年東京オリンピック」は開催決定まで招致反対世論が多く、また招致決定後も決して関心が高いとはいえず、開催に反対ではないが積極賛成でもないという雰囲気で、今も全体醒めた印象はぬぐえないという。そしてこの二つのオリンピックへの眼差しから、現在を「不可能性の時代」と呼び、戦後「理想の時代」から現在に至る日本社会の過去・現在・未来を俯瞰している。

本書『不可能性の時代』で語られたこと

    戦後70年に当たる現在について、さまざまな視点からマスコミが取り上げている。しかし本書「序」でも触れるが、この“戦後”という時代区分、言葉が未だ活きているのは日本のみである。そこには“先の大戦”をきちんと総括してこなかったツケが色濃く影響しているのは間違いない。本書の著者は敗戦という戦前・戦後の大きな断絶がこの日本では実際のところ精神史的に連続したものとなっていると述べ、柳田國男や小林正樹の述懐を引用している。戦後すぐから1970年頃までが「理想の時代」である。「理想の時代」では敵国であったアメリカを手本とし、またその価値基準についても第三者アメリカを審級とする時代である(これは今もあまり変わっていないように思える)。

    国民全体は貧しくとも映画「ALWAYS三丁目の夕日」に表現されたように明日を信じ、理想めざす人々であふれていた。1970年前後に安保改定や高度成長の終焉があり、「理想の時代」は終わる。次いで1970年以降の「虚構の時代」である。なぜ「虚構の時代」なのか? 著者は社会風俗や様々な少年の起こした猟奇事件、オウム真理教事件、「オタク」現象などを引用しながら時代の「虚構性」立証を試みる。

「虚構の時代」から「不可能性の時代」へ

    「虚構の時代」の終わりは1995年地下鉄サリン事件に象徴される。その後は現実への回帰と、逆に反現実への耽溺という全く相反する方向に分裂する。そして現在の「不可能性の時代」へと移行する。この「不可能性の時代」は「リスク社会」でもある。「リスク社会」は環境問題やテロなどの社会的レベルから家族崩壊・失業・貧困といった個人的レベルまでさまざまなリスクにとりつかれた社会である。その課題やリスク解決に先は見えていない。というよりそういった課題解決は不可能にみえる時代なのだ。著者はこのあたりの例証をさまざま試みる。しかし発刊2008年当時のレベルでは論点整理が不十分だったのか、正直なところ私には難解すぎてその説明についていけなかった。

    著者12月の講演は分かりやすかった。この戦後すぐから現在に至る時代区分はなかなか魅力的である。是非その社会思想史的背景をもう一度わかりやすく次作の形で解説・発表してもらいたいものだ。

2015年1月17日土曜日

[IS-REC/BOOK]苧阪満里子著『もの忘れの脳科学(ブルーバックス)』・・やはり、もの忘れが気になり出して読みました

“もの忘れ”には“ワーキングメモリー”が関係していました

   私も多少は記憶力に自信があった。しかし“ヒト(他人)の名前が咄嗟に出ない”、“処方するべき薬の名前が思い出せない”、“今さっき覚えた本の書名や言葉が出てこない”、などのもの忘れがここ数年目立つようになってきた。これもいわゆる加齢に伴う“良性健忘”だろうとタカをくくっていたが、“2階にモノを取りに行き、何を取りにきたのか忘れること”(本書に記載された事例)なども時々あって、本書を改めて読んでみることとした。これまで高次脳機能や認知・記憶については私自身が扱う患者さんも多く、そんな関係から一端(いっぱし)の専門家を気取って専門書をみたり関連学会参加で勉強することはあっても、最近非常に多くなった一般向けに書かれた本書の類はこれまでまったく読んだことはなかった。

  講談社ブルーバックスは医学や科学の最新知識を一流の専門家が一般向けに解説した自分の領域外の知識を学ぶには打って付けのシリーズである。本書も認知心理研究者の著者が記憶のなかでも“もの忘れ”に関わる“ワーキングメモリー”に焦点を当てて書いた良書である。用語が必ずしも十分かみ砕かれておらず、非専門家やほんとの意味で“一般の方々”にはちょっと難しい気もする。著者はおそらく、“自分の専門を語りだして自分の語り口に酔った”のではないかと思うほど。でも、ある程度の知識を背景にすると本書の語り口からその内容がとってもスムーズに頭に入ってくる。

“もの忘れ”はトレードオフ関係にある、“処理と保持”の総容量が不足して起きている

  日常のさまざまな活動をスムーズに行うためには、課題目標を達成するまでの間だけ必要な情報をすぐに検索できるように(長期記憶から取り出し)活性化しておくことが重要。“もの忘れ”とはこの総容量が加齢と共に不足して生じる(本書による)。そしてその基盤となる神経機構が1986年、バドリーが提唱した“ワーキングメモリ”モデルなのだ。本書ではより実際に則して“ワーキングメモリ”の中核となる“中央実行系”に入出力する情報の流れに沿ったサブシステムを加えて図式化して紹介している(上図2-2)。

“ワーキングメモリ”の神経基盤は脳内に広く分布するネットワーク

  “ワーキングメモリ”を測定するテストとして、本書では著者らが実際に研究やフィールド、臨床で使用しているさまざまな“スパンテスト”(代表的には“リーディングスパンテスト”)を紹介している。これは文章を読ませ、後で文章内の特定の単語(名詞)を報告させるテスト。関連のない複数の課題文を連続して行ったり、1課題ごとに数計算を行うなどの外乱を組み合わせるバリエーションが多い。研究としてはPETやfMRI(ファンクショナルMRI)で脳活性部位をモニターしながらテストを実行して“ワーキングメモリ”の神経基盤を探している。

  著者らの研究やそのほかの研究者の研究でわかったことは、“ワーキングメモリ”の鍵となる構造は前頭前野や前部帯状回などに中央実行系の基盤があり、情報口とその情報保持部分(サブシステム)は音韻同定と音韻リハーサル(音韻ループ)は左半球のブローカ野と左縁上回、視覚・空間的スケッチパッドは右半球の同等部位らしいということでまとめられている。すなわち、“ワーキングメモリ”の神経基盤は脳内に広く分布するネットワーク全体であり、加齢による全般的脳機能低下は“もの忘れ”に始まり、さらにさまざまな日常生活障害が重なってくることがよく分かる。

幼児の“心の発達”と“ワーキングメモリ”の関係がおもしろい

  本書の後半では「ワーキングメモリの発達」を取り上げている。幼児にリーディングスパンテストを行うと課題の量が増えるにつれて目標語の報告ができず、変わって目標語を含んだ“全文再生”現象が起こるという。乳幼児が言葉を覚える過程で親の言った言葉を全文まねて繰り返すことはまま経験すること。テスト課題を理解していても記憶力そのものの問題ではなく、“ワーキングメモリ”の発達自体と関連していると考えられている。興味深いのは、“ワーキングメモリ”が未発達だと目前から親が見えなくなると子は泣きだしてしまう。しかし目前から見えない場所に隠れても身近にいる親をイメージ出来るようになる(→“ワーキングメモリ”の発達)と親がいないと泣くことはなくなる。これはまさに子供の“心の発達”であり、“こころの理論”として研究が進んでいるという。

“ワーキングメモリ”は鍛えられる?

  本書最後の章は“ワーキングメモリ”強化法について触れている。さまざまな記憶術が有効なように、ちょっとした工夫で“もの忘れ”を防ぐ“ワーキングメモリ”強化術が書かれている。私も早速実践し始めている。“もの忘れ”に悩み苦しまれる方々は本書を是非一読して“ワーキングメモリ”を強化して欲しい。

2015年1月10日土曜日

[IS-REC/BOOK]ジョナサン・ワイナー著(樋口広芳・黒沢令子訳)『フィンチの嘴』(ハヤカワ文庫)を読む

進化のスピードは想像以上に速かった

     ダーウィン「種の起源」に始まる進化論は宗教的物議をかもしたものの数世紀ないし数千年の単位で生じる種の環境への適応、自然選択である。種が分岐しその多様性を生んでゆくという進化論は現在、広く受け入れらているが、ダーウィン以降もその実証には乏しい状況であった。

この進化論を構想するフィールドとなったカラパゴス諸島ダフネ島を中心に、生物学者のグラント夫妻はスズメほどのフィンチという小鳥の全島調査・観察を年余にわたって続けた。絶海の孤島で気象は厳しく、1年以上雨の降らない時期もある。そこには明らかに嘴の長さ・形の異なるフィンチが生息する。そして夫妻はこのフィンチの長期観察から、様々な条件・過酷環境の中で生き抜くため、環境に応じて餌を採るに適する嘴変化がフィンチの次世代に受け継がれていっていることを発見した。すなわち種の遺伝的分化は当初考えられたよりずっと短い期間で起こっていた。

・・・この“フィンチの嘴”に象徴される事象、現在では「適者生存、外環境の大きな変化を的確にとらえて生き延びる術を持つ」という意味でさまざま援用されるようになっている。たまたま読んだ本の文中記載や、以下に紹介するブログ記事から興味かき立てられて本書を手にした。

フィンチの嘴の違いは、1個の遺伝子の差で生じていた

  さまざまな要因により、形質発現に関わる遺伝子は比較的短期間に変異していくようだ。最近の新聞記事で京大iPS細胞研究所の山中伸弥教授は、“体内の細胞でも、遺伝子配列は徐々に変わっていくことがわかってきている”と述べている(2015/01/08朝日新聞科学「開発止まった薬を復活させたい」)。

一方、フィンチの嘴の違いを、DNAチップによる遺伝子発現の違いで明らかにしようという試みが行われた。その結果、嘴の形と対応する遺伝形質がカルモデュリンであることがわかった。そして長い嘴を持つフィンチほど、嘴の先にカルモデュリンが発現しているというのである(石浦博士のオドロキ生命科学第31回『フィンチの嘴の謎』)。

“進化”という気の遠くなるようなスパンで起こる種の形質変化は、ダーウィンの著書以来つい最近までその直接的証明は困難と考えられてきた。しかし本書で紹介された生物学者の地道なフィールド研究、そして近年の遺伝研究の進歩によって種の形質変化が実際にはもっと短い周期で生じている事がわかり、しかも実際は相当複雑だが1形質1遺伝子で発現し、件(くだん)の石浦博士は、“遺伝子導入で(美容)整形も可能になるらしい”と冗談めかして語っている。

地球温暖化など、環境激変によって種の遺伝的変化が速まっている事への警告

      本書『フィンチの嘴』が書かれたのは20年以上も前の1994年である。しかし著者は当時すでに始まっていた人間自身の繁栄によって引き起こされた地球規模の環境変化が、進化の原因とも結果ともなっている事を知るべきと警告していた。

     『フィンチの嘴』は進化を信じない創造論者が半数近くを占めるアメリカでも相当多くの読者を獲得してきた。早川書房から日本語訳が出版されたのは翌年1995年。二人の翻訳者の力量もあって本書はフィールド観察の臨場感と、真実追求のサスペンスドラマを読んでいるような迫真性がある。大部だが一気に読める一冊である。

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2015年1月4日日曜日

[IS-REC/BOOK]矢部宏治著『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル)を読んで日本の戦後史を知る

「なぜ民主党・鳩山政権はかくも簡単に瓦解したのか?」この疑問が本書を知るきっかけだった

   WEB紹介記事でたまたま見かけた本書の著者、矢部宏治氏と鳩山友紀夫元首相の座談記事が本書を読むきっかけだった。 当時の鳩山首相は沖縄普天間基地移設について「最低でも沖縄県外」を主張、自民党にできない政策を実行する民主党首相として、多くの良心的国民各層からの期待も高かった。しかし、その期待むなしく、真相あいまいなままあえなく内閣は瓦解した。WEB紹介記事ではこの点も話題にして縦横に語られる。そしてこの謎を解きあかす矢部氏の本書を是非読んでみたいと思い、早速ネットで取り寄せた(後で確認したが、書店には本書が山積みされ、私が購入した本書は初版発行から2カ月弱で第5版だった。本書の反響大きく既に相当読まれているようだ)

日本の中学・高校でなぜか触れられない戦後日本現代史の謎が解ける本

  近隣諸国と友好関係を築けない日本。そこには国際的に共有できる“正しい歴史認識”が互いに持てない不幸が横たわっている。先般、韓国にてソウルの国立中央博物館を訪れた時、その近現代史から日本に併合された時期の展示がすっぽり抜けていた。戦前の日本軍国主義がもたらした不幸な歴史、“負の遺産”がここにあった。日本の中学・高校での社会や歴史教科書では戦前のこういった侵略国家日本の“負の遺産”について、それなり客観的に記述されている。しかし戦後史に到っては記述もわずかであり、また戦争放棄の“平和憲法”とは相いれないはずの全土米軍基地国家と化している日本の現状を的確に説明する記述はほとんど見かけない。

戦後70年の節目、様々不都合な事実に向き合う必要に迫られる日本

  矢部の本書では、日本の外国軍「基地」をなくし、また今の科学では制御できない危険な「原発」をどうして止められないのか、日本の敗戦前後に逆上り、様々な歴史的検証を加えて説明を試みている。現在の日本が未だ事実上、米国の従属国家ないし属国となっていること、そういった2国間関係を敗戦直後、天皇制存続や共産主義革命阻止と引き換えに日本から提案する形で積極的に受け入れてきた事実があること。ドイツと異なって隣国共に納得できる戦後処理を怠った日本が未だ近隣諸国から十分信頼を得られず、米軍が日本から去れば“日本再軍備”の危険もあるとした“瓶のふた”論を根拠に米軍駐留とその日本全土基地化が未だに許されていること。そして日本国民の側からは平和憲法を超越した仕組み(本書では、わかりやすく「原発村」・「安保村」と表現)が戦後史の過程で米軍と政府官僚組織の間で強固に構築され、時の政府でも容易にこの事態を換えられなくなっていること。

”日本の根本問題”を解決する方向性も

  本書は引用された資料や証言の出所を正確に記載し、誇張あっても偽りはないだろう。読者は敗戦から今に至る日本の道程が様々みるに耐えない事実の積み重ねで出来上がっていることを知り、幻滅と憂鬱を感じるだろう。

著者はしかしもつれた糸を解きほぐすように問題解決の方向性を示している。今の事態に密接に関係した現憲法のあり方、扱い方については異論もある。しかし本書は、“日本の根本問題”を解決して行く良心的道しるべとなっていることは間違いない。

2015年1月3日土曜日

[IS-REC/myLIFE] 私の運動記録~2014年を振り返る

年間記録

1日平均歩数8753歩、距離6km、脂肪消費6.6g/日


    2014年は私にとって(準)公務員生活最後の年。年齢相応にさまざまな健康不安が顕在化するなど、厳しい年でもありました。なかなかマイ・ペースの時間もとれず、2014年頭初は運動記録が一時的に途絶え、またブログもとうとう中断。そういった1年を改めてこの運動記録で振り返ってみました。

年間記録では1日平均歩数8753歩、距離6km、脂肪消費6.6g/日でした。これを月間推移のグラフ(上)でみると、記録ツールを追加して運動モチベーションを上げた9月頃から歩数、特に集中して運動しているオレンジ色部分(しっかり歩数)が増えました。運動量としては回復傾向が明らかで今年に繋げられました。

2014年12月運動記録


    先月12月の1日平均歩数10481歩、距離7.85km、脂肪消費21.9g/日。12月は年間通してのベスト記録でした。直上グラフをみても、日当直や仕事で遅くなり夜間フィットネスへ行けなかった日、約2週間分を除いて、フィットネス休館日には屋外早足散歩(しっかり歩行)で運動を欠かさず続けました。脈拍計(PulNeoLink)を購入して、できる限り毎日脈拍計での記録を残したいというモチベーションが功を奏した格好です。 


    運動記録に“エクササイズ”を記録できるようにしたことも運動の継続性にプラスしました。“エクササイズ”を記録するOmron活動量計Active Style Proでは、これに加えて基礎代謝をプラスした1日総カロリー表示も可能。月間1日平均カロリー2039Kcal、1日平均エクササイズ6.476でした。

「座業は健康を害する」

    デスクワークで1日を終え、まとまった運動ができなかった日は、まさに“座業の1日”。終日の座業は体力を低下させ、健康を害するという論文をどこかでみかけました。身心ともに健康な毎日を続けるために“毎日欠かさず運動”が今年の目標です。

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