“もの忘れ”には“ワーキングメモリー”が関係していました
私も多少は記憶力に自信があった。しかし“ヒト(他人)の名前が咄嗟に出ない”、“処方するべき薬の名前が思い出せない”、“今さっき覚えた本の書名や言葉が出てこない”、などのもの忘れがここ数年目立つようになってきた。これもいわゆる加齢に伴う“良性健忘”だろうとタカをくくっていたが、“2階にモノを取りに行き、何を取りにきたのか忘れること”(本書に記載された事例)なども時々あって、本書を改めて読んでみることとした。これまで高次脳機能や認知・記憶については私自身が扱う患者さんも多く、そんな関係から一端(いっぱし)の専門家を気取って専門書をみたり関連学会参加で勉強することはあっても、最近非常に多くなった一般向けに書かれた本書の類はこれまでまったく読んだことはなかった。
講談社ブルーバックスは医学や科学の最新知識を一流の専門家が一般向けに解説した自分の領域外の知識を学ぶには打って付けのシリーズである。本書も認知心理研究者の著者が記憶のなかでも“もの忘れ”に関わる“ワーキングメモリー”に焦点を当てて書いた良書である。用語が必ずしも十分かみ砕かれておらず、非専門家やほんとの意味で“一般の方々”にはちょっと難しい気もする。著者はおそらく、“自分の専門を語りだして自分の語り口に酔った”のではないかと思うほど。でも、ある程度の知識を背景にすると本書の語り口からその内容がとってもスムーズに頭に入ってくる。
“もの忘れ”はトレードオフ関係にある、“処理と保持”の総容量が不足して起きている
日常のさまざまな活動をスムーズに行うためには、課題目標を達成するまでの間だけ必要な情報をすぐに検索できるように(長期記憶から取り出し)活性化しておくことが重要。“もの忘れ”とはこの総容量が加齢と共に不足して生じる(本書による)。そしてその基盤となる神経機構が1986年、バドリーが提唱した“ワーキングメモリ”モデルなのだ。本書ではより実際に則して“ワーキングメモリ”の中核となる“中央実行系”に入出力する情報の流れに沿ったサブシステムを加えて図式化して紹介している(上図2-2)。
“ワーキングメモリ”の神経基盤は脳内に広く分布するネットワーク
“ワーキングメモリ”を測定するテストとして、本書では著者らが実際に研究やフィールド、臨床で使用しているさまざまな“スパンテスト”(代表的には“リーディングスパンテスト”)を紹介している。これは文章を読ませ、後で文章内の特定の単語(名詞)を報告させるテスト。関連のない複数の課題文を連続して行ったり、1課題ごとに数計算を行うなどの外乱を組み合わせるバリエーションが多い。研究としてはPETやfMRI(ファンクショナルMRI)で脳活性部位をモニターしながらテストを実行して“ワーキングメモリ”の神経基盤を探している。
著者らの研究やそのほかの研究者の研究でわかったことは、“ワーキングメモリ”の鍵となる構造は前頭前野や前部帯状回などに中央実行系の基盤があり、情報口とその情報保持部分(サブシステム)は音韻同定と音韻リハーサル(音韻ループ)は左半球のブローカ野と左縁上回、視覚・空間的スケッチパッドは右半球の同等部位らしいということでまとめられている。すなわち、“ワーキングメモリ”の神経基盤は脳内に広く分布するネットワーク全体であり、加齢による全般的脳機能低下は“もの忘れ”に始まり、さらにさまざまな日常生活障害が重なってくることがよく分かる。
幼児の“心の発達”と“ワーキングメモリ”の関係がおもしろい
本書の後半では「ワーキングメモリの発達」を取り上げている。幼児にリーディングスパンテストを行うと課題の量が増えるにつれて目標語の報告ができず、変わって目標語を含んだ“全文再生”現象が起こるという。乳幼児が言葉を覚える過程で親の言った言葉を全文まねて繰り返すことはまま経験すること。テスト課題を理解していても記憶力そのものの問題ではなく、“ワーキングメモリ”の発達自体と関連していると考えられている。興味深いのは、“ワーキングメモリ”が未発達だと目前から親が見えなくなると子は泣きだしてしまう。しかし目前から見えない場所に隠れても身近にいる親をイメージ出来るようになる(→“ワーキングメモリ”の発達)と親がいないと泣くことはなくなる。これはまさに子供の“心の発達”であり、“こころの理論”として研究が進んでいるという。
“ワーキングメモリ”は鍛えられる?
本書最後の章は“ワーキングメモリ”強化法について触れている。さまざまな記憶術が有効なように、ちょっとした工夫で“もの忘れ”を防ぐ“ワーキングメモリ”強化術が書かれている。私も早速実践し始めている。“もの忘れ”に悩み苦しまれる方々は本書を是非一読して“ワーキングメモリ”を強化して欲しい。