2013年6月17日月曜日

[Med-REHA] 50周年迎えたリハ医学会に参加しました

日本リハビリテーション医学会は今年50周年の節目

2013/06/13から東京、国際フォーラムで第50回日本リハビリテーション医学会総会が開催されました。前日の代議員会から最終日6/15土曜までの4日間、内容の濃いタイトスケジュールでした。小生も12日の代議員会から最終日、最後の新専門医制度説明会までフル参加でした。学会では50年の歴史を上田 敏先生や千野直一先生が特別講演でお話しされ、日本のリハビリテーションの歴史が教科書的知識から今に繋がる具体的事実として理解出来ました。

“リハ医の役割は、PM&Rのうち、PMに当たる物理(療法的分野)医学に主要な部分がある”、という千野先生の説明はとても納得ゆくものでした。運動療法のうち、加圧トレーニングの応用は身体障害や内部障害でも可能な事がわかり、これからの訓練メニューの一つに是非考えてみたい所です。“医療と倫理”に関する村上陽一郎先生の話しや、アジア各国のリハビリ医療の現況、慢性期の上肢機能回復にボトックスや磁気刺激、反復促通療法など、マルチモダールな方法で取り組めば機能予後改善に有効との阿保先生の話し、などなど、とても興味深い内容が目白押しの学会でした。

新専門医制度に向けてこれから大変な準備作業

最終日、新専門医制度について説明を受けました。新制度に対応した準備作業は学会全体でも、また各地方レベルでも吃緊の課題です。作業は大変な事ばかりです。しかし、実際若い先生を専門医に育て上げるためには一施設だけでは対応不可能で現在われわれも頭を悩ませており、これを機に研修環境を他の施設と共同して整備していきたいと考えています。リハビリテーション医の先生方、誠に御苦労様でした。

2013年6月3日月曜日

[IS-REC] 2013年5月、私の運動記録から~5月、Night Fitness“出勤”はちょうど月の半分でした

201305月運動実績

寒い5月前半は、お日様がさぱっりぱり顔をみせず雨の多い肌寒い天候がつづきました。ゴールデン・ウイークもどこも行かず、せめて夜間のFitnessにと精を出しました。その結果、何とか月の半分に当たる15日相当分通い詰めて、トレッドミル1日10km以上のランニングに汗を流しました。

月間総移動距離180kmの目標、今月はクリア!! ただし5月は31日あったお陰かな? 1日平均歩数8993歩、しっかり歩数(継続運動相当歩数)5172歩、4月に比べてやや向上。

5月後半は好天に恵まれて週末屋外散歩を楽しめました。最近、屋外でのデジカメ・パノラマ撮影に凝っています。でも天気が良い屋外で液晶通した構図確認は不可能。背面液晶は全く役に立ちません。ファインダー付きカメラが欲しいところ。しかしファインダー付きは一眼のみでサイズも大きく持ち運びに適さないのがジレンマ。

山行の季節となりました。6月はカメラもいじくり回しながら、散歩や山行を楽しみつつ、運動記録(月間総移動距離、しっかり歩数)をもっと延ばしたいですね。

2013年5月27日月曜日

[IS-REC] 和賀三山・羽山に登る


このところ週末含め天候不順だった東北地方も5月26日久し振りに好天に恵まれた。午前6時、秋田を出発。国道13号から横手で107号に折れ、山内・道の駅で小休憩。続く錦秋湖付近ではこの日“錦秋湖マラソン”で午前8時前に関わらず思わぬ人出あり、びっくり。幸いまだ交通渋滞なく、JR北上線・岩沢駅付近から登山口に向かう。去年、となりの和賀仙人岳に行ったが、その登山口に比べ羽山登山口はわかりにくい。標識を確認しながらやっと目印の鳥居ある登山口到着。鳥居を超えてまもなく湧水あり早速冷たい自然水を楽しむ。羽山は和賀三山の一つ。標高約600mで照葉樹林の里山。標高低いが最初からきつい登りで容易ではない。陽射しの当たる部分は気温高く、続く急傾斜で汗びっしょり。しかしブナや楓に覆われる登山道は空気まで緑に染まった感でまさに森林浴そのもの。

4月末に多かった残雪は既に消えて、イワウチワは既に終わっている。期待したシラネアオイはとうとう見つけられず。それでも頂上近く山つつじがそのピンク色を目立たせていた。枯れた木杭が鹿に似た自然の造型をなして眼を引く。第一、第二展望台からの展望はいずれも好天故の春がすみで今ひとつ。登山案内通り、登山口より75分で頂上到着。3角点が2箇所あるが頂上示す木の標識は朽ち果てている。頂上囲む立木の一本に“羽山”の名札有り、そこで記念の1枚。下山は駆け足気味であっと言う間に登山口に付いてしまった。汗ビッショリとなって早速、瀬美温泉まで直行。良い汗を流して帰秋。

2013年5月19日日曜日

[IS-REC] 山野井 昇著『水素と電子の生命』:病気や老化を分子・原子のレベルから見直す



身体の仕組みや働きを理解するのは生物学のレベルである。生物学は遺伝子・細胞に始まり、組織・器官・器官系という階層性の中で生命体の構造と機能を系統的に説明する。基礎医学は生物学的知識を中心に解剖学、生理学、生化学の知識を取込み、さらに環境や生活といった分野の理解も加えてその理論体系を構築する。病態生理学や病理学は臨床医学の基礎として、ヒトに起こるさまざまな変化や異常を系統的にとらえる。われわれ医療者はこういった知識の積み重ねでヒトの病気や障害を理解し治療に当たっている。


遺伝子・細胞レベルから原子・分子レベルでヒト身体の仕組みや異常を理解する


近年、遺伝子・細胞レベルの医学的理解は飛躍的に増大している。遺伝子・細胞レベルの医学はこれまで治療困難であった難病治療の可能性に光を当て、また老化やヒトの寿命についてもその解釈を可能としている。“tailor-made medicine”が近未来医学の主流となるだろうととも言われている。
本書、山野井昇著『水素と電子の生命』は、ヒトの健康維持やその破綻である病気・老化の問題を体内イオン環境から説明する。そして、ホメオスタシス、すなわち生体内至適環境への働きかけを通じた治療の可能性を提案する本である。


身体がさびる(体内の酸化)と病気や老化が起こる!!


今日、医学や生理学的研究の成果で「活性酸素」が体内の酸化を進め、ガンや生活習慣病、慢性疾患、老化現象を引き起こしていることがわかっている。活性酸素による体内酸化を防ぐには生体エネルギー産生の主要な仕組みであるミトコンドリア電子伝達系を円滑に作動させる必要がある。また活性酸素が一定割合で生じる事は避けられないため、その除去装置をうまく働かせることも必要である。本書では、原子・分子レベルからこの問題を見直し、“酸化還元電位を下げる”、すなわち酸化と逆方向に体内環境を是正する“還元”をどう治療に活かすか、そしてその実例として古来から知られる“名水”や“奇跡の水”の意味、物理療法として知られる電位治療の意味をわかりやすく説明している。


水素は体内で酸素・炭素に次いで多い構成元素


水素は体重当たり約10%を占め、酸素65%、炭素18%についで多い。生体内で水として存在するほか、生体構成蛋白、遺伝子DNA二重らせん構造、糖質・脂質の一部として広く体内に分布する。その特徴として低電位、還元力(電子を与える役目)という電気的特性や分子量1で、極めて小さく吸収性高くほとんどの物質・膜を通過して自由に体内に拡がる特性を持つ。また酸素(特に活性酸素)と反応して水に変わる極めて安全性の高い物質である事が挙げられる。


ヒドロキシラジカル除去に水素水


ミトコンドリアの研究から悪玉活性酸素であるヒドロキシラジカル無毒化に体内へ誘導した水素が有効であることが実証された。≪詳細は瀬名秀明・太田成男著『ミトコンドリアのちから』(新潮文庫)に紹介されている≫ 水素は肝臓での代謝や解毒にも関わっている。また体内の酸とアルカリバランス、ホメオスタシス維持にも働いている。
われわれが治療に用いる薬、特に西洋薬はピンポイントでその治療効果を期待出来るが一般には諸刃の剣である。われわれ医療者は改めてこれまで軽視していた感ある電位治療(生体の電気的治療)を見直しする必要があろう。また分子・原子レベルから生体を理解して、その至適環境(ホメオスタシス)維持に水素を応用することももっと真剣に考える必要がある。山野井の本書はこういった知識を深める第一歩である。

2013年5月2日木曜日

[IS-REC] 2013年4月 私の運動記録から~今月もさんざんな実績でした


201304月運動実績
Ghost新年度業務開始月の4月、夜間中心FitnessClub通いは11日のみ!! 月間総移動距離180kmの目標は遙か彼方

オムロン歩数計Walking Styleによる運動記録から、Fitness Club “出勤”は、月の三分の一、11日のみ。4月1日だけは意気込み高く、グラフに示される通り“しっかり運動距離12000歩”で上々の記録。しかし残念ながらその後がまったく続いていない。結果として4月成績:1日平均歩数8192歩、しっかり歩数4291歩、月間総移動距離159km。

自分の健康管理や体力・筋力維持向上に、実現可能な目標、“週4回は夜間Fitness Club ”、“山行のない日曜・休日は屋外ウォーク10000歩以上”実践などを掲げている。今年4月第一週後半は夫婦で“山口県大周遊”バス旅行に出かけたことも今回の実績に影響したようだ。

5月以降も、週末の日当直、学会出張など、様々な事情と予定でFitnessに行けないことが多くなる。予定外の〆切迫る仕事が入る事も多い。週日夜間に時々ある秋田市内の様々な医学講演会や講習会・研修会に自己研鑽目的に参加することもある(修了時間によってはその後にFitnessに行けることもある)。加えて今年は“糖尿病療養士講習”や“漢方セミナー”にも顔を出す予定でいる。やはり、やるべき事に優先順位を付け、また月や週単位での予定、目標管理をしっかり行ってゆこう。

“時は金なり”、“何となくダラダラ過ごしてしまう”ことは厳に慎み、避けられない所要以外、心してFitness出勤に当てるべし。

[IS-REC] 高野倉伍朔著『我が輩は八十六歳である』:アンチエイジング本として本書を読む(2)

 

“抗加齢ドック”を担当する医師の一人として物色した一般向けアンチエイジング実例本の一冊。アマゾンの本書紹介と立ち読みコーナーで「85歳にしてクアラルンプール移住と婚活を考えている」という前書き、つややかで血色良い膚、そして真向法の体操で驚異的な身体柔軟性を表した扉の写真に圧倒されて、思わず“ポチッと”購入してしまった。


本書キーワードは、“幸運と感謝の人生”、“呼吸法”、“真向法”、“糖鎖”、“水素水”、そして“婚活”


本書構成の大半は著者の生い立ちの記に始まり、多くのすばらしい人との出会い、幸運に恵まれながら海外発展に繋がる電動工具会社、常陸商会を築き上げ、長男にその代を譲るまでの人生成功譚。生来、体がひ弱で兵隊にもなれず学校を出てまず気象観測員となった由。戦後、様々な仕事を経験して、ついに功成し遂げるまで、たえず慢性的な頭痛に悩まされ薬が離せなかったという。しかし仕事が一段落して長生きや健康を意識するようになって以後、多種多様とも言える多くの健康法を律儀に実践したようだ。何が決めてで現在86歳、元気溌溂の素となっているのか、結局は語られていないように見える。しかし彼が信ずる腹式呼吸と毎日のウォーキング、真向法という柔軟体操、日本の伝統食と健康食品“糖鎖”服用、活性酸素・フリーラジカルスカベンジャーの水素水飲用。「これらすべてを実践して、ますます元気」というのが本書の結論らしい。
元気で息子に代を継ぎ、経済的にゆとりあれば、“85歳で婚活、海外移住の夢”も頷ける。彼の場合もさまざまな健康法に助けられながら、やはり三浦雄一郎と同様、人生の熱く夢ある目標と、それを実現に導く日々の努力がアンチエイジングの糧となっているのだろうか?

[IS-REC] 三浦雄一郎著『私はなぜ80歳でエベレストを目指すのか』:アンチエイジング本として本書を読む(1)

“抗加齢ドック”を担当している医療者の一人として関係する医学図書や一般向けに書かれたエイジングに関わる書籍を片っ端から読んでいる。加齢(aging)自体は避けられないが、加齢に伴う老化現象(senile process)は遅らせることが出来る。そして一般に後者を“抗加齢(Anti-aging)”と言う慣わしであり、私もこの意味で“抗加齢”を理解し、関係者や健診対象者に説明している。

 

世の中の高齢者には、“アンチエイジングの見本”のような人がいる

知る人ぞ知る三浦雄一郎さん、彼は日野原重明先生と並んでまさに超人的高齢者、“スーパー老人”であり、“アンチエイジングの見本”である。本書はこの夏、80歳でエベレストを目指す彼のリアルタイム中継を織り交ぜながら、他人になんと言われようが目標に向かってわくわくしながら用意周到突き進み、それを実現するため立ちはだかるさまざまな障害物をどう乗り越えてきているかを楽しげに語っている。
そして本書の意図する所、ややもすると自分の体力や年齢に妥協して何事にも引っ込み思案になりがちな多くの本書読者を「自分のエベレスト」を目指すよう焚き付ける事だという。
本書ではまず、今この“スーパー老人”がどのようにして排出したのか、それを解く鍵として彼自身の生い立ちを語り始める。父、敬介はじめ両親や近親者の優しい眼差し、確固とした教育方針、そして貧しいながら恵まれた家庭環境。大学卒業後の思わぬ挫折とプロスキーヤーとして遮二無二かつ大胆に生きて数々の偉業と成功をなし得た栄光の半生。そして誰しもありがちな慢心な気持ちから生まれた50代の挫折。彼の半生は栄光を手にするまでの並々ならない努力とともに、冒険家の自伝ストーリーとしても読者を飽きさせることはない。

本書はしかしメタボで心疾患を患うまでに至った彼が、その後そういった病気や障害を精神的にどう克服して、今再び“80歳、エベレストに立つ”夢を現実とすべく努力しているか、その点にフォーカスされている。メタボからくる冠疾患としての致死的不整脈。カテーテルアブレーションという重なる不整脈手術。普通の人であればそれだけでお手上げである。加えて思わぬ骨盤と大腿骨折を同時期に被る。もうそれを聞いただけで、結果にあるのは“寝たきり老人”と想像してしまう。スーパーマンを描く架空小説ならその後の思いもよらない回復と克服の経過に喝采を送るだろう。彼はその後、現在に至るまですさまじい筋力トレーニングや低酸素環境下でのトレーニングを継続して何とか寝たきりの危機を脱出した。しかし不整脈も完全に治癒した訳ではないようだ。次男の豪太というアンチエイジングを研究する頼もしいサポーターがいるとはいえ、“80歳のエベレスト登頂”はまさにあらゆる意味で死と隣り合わせにあるように思える。勿論それを彼は承知している。承知しているからこそ多少なりともリスクを軽減する努力と準備に余念と怠りがないのだが・・・「読者が目標をもって人生を突き進む」エールを送るための本書であるはずだが、彼の“スーパー老人”ぶりばかりに眼を奪われてしまった。一方で、本書は“人生に大小問わず目標を持つこと。その実現のためにワクワクして生き続けることこそがアンチエイジングである”と、自分体験を語っているところに強さと説得力がある。

2013年4月23日火曜日

[IS-REC] 登山翌日11kmトレッドミル走行で至極満足

 

4月も何かにと帰宅が遅くなり、運動不足気味。4月21日の大平山前岳登山は2時間ほどの登りだが思った通り下山で大腿全体に張った感じが残っている。 また、数日前のFitness Runningで頑張ったこともあり下腿の痛みもすっかり抜け切れてはいなかった。こんな時はFitness 休むべきか?はてさて悩んだ末に結局トレーニングへ出かけることとなる。

10.5km/hrで11.2km、消費705kcal、体重58.2kg

記録はこの通り!! ランニング・ハイと運動後の満足感もあったかも知れない。不思議と大腿・下腿の張りと痛みもむしろ軽減している。この歳になるとこんな事をしても誰も褒めてくれない。先ずは記録に残して自分の努力とこの意気の高さを褒めてあげたい。・・・・・・・自画自賛の一文を恥ずかしげなくアップして、ますます自分の面の皮の厚さを感じる次第。



[IS-REC] 大平山前岳へ:今年の初登山は雪でした

2013年4月21日午前8時出発。氷雨の降る秋田市役所前から車に分乗して仁別国民の森へ。ザ・ブーンの駐車場に車を置いていざ登山開始(午前8時40分)。細かい雪混じりの雨を避けるようにして進む。スキー場ゲレンデのリフト脇の杉林を超え、お地蔵さんに手を合わせて更に進む頃より登りがきつくなる。所々イワウチワやイワカガミ、カタクリのつぼみから、少し咲きかけた可憐な野花たちが顔を出している。一方、数週前の低気圧による暴風雨のいたずらで倒木が多く道をふさいでいる。途中から雪となり、女人堂から前岳はすっかり雪原となっていたs-大平山前岳130421
風はないが気温は思った以上に低い。身体は完全に冷え込んでいる。早々に下山(12時30分)。下山後、ザ・ブーンで冷えた身体を温泉につけてようやく生き返った気分となった。昼食の“今日のお勧めスパゲッティー”はボリュームあり、大満足。雨はその後も降り続いており、いつもよりは早い時間ペースで無事帰宅。


2013年4月19日金曜日

[IS-REC] 熊谷達也『烈風のレクイエム』~自らとの接点で読む

烈風のレクイエム
2年前の3.11以降、抗いようのない苛立たしさを感じながら、この自然災害や人災のなせるわざと真正面から向き合おうとする者がいる。熊谷達也は東北・仙台という私の第二の故郷で活躍する直木賞作家。本書『烈風のレクイエム』の舞台、函館はこれまでも彼が何度か作品の舞台としている東北と海峡を挟んだ北海道南端の港町。函館は私の生まれ故郷であり、彼自身と本書を含む彼の小説の舞台とには抜き差し難い自分との接点を感じている。そして本書モチーフにある函館大火、洞爺丸沈没という私の記憶とも重なったもう一つの接点、これが普段、小説など読みつけない私にも本書を手に取るきっかけを与えてくれた。

函館大火・空襲は祖父、洞爺丸事件は父から聞いた幼い時分の記憶と重なって


故郷函館。私の祖父は戦前から戦後にかけた警察官吏、父は戦後長くこの地で警察官として奉職していた。私の幼少時の記憶に函館大火や函館空襲、あるいは洞爺丸事件がどう残されたか、定かではない。幼少時祖父母の家にはよく出入りし、寝泊まりすることもあったので孫相手に語る祖父の話しを聞いたのかも知れない。洞爺丸事件については本書にもある函館近郊、七重浜の状況を遺体収容に当たった父から直接聞き、その記憶は幼少ゆえに鮮烈であった。しかし最も記憶に焼き付いたのは、祖父母の家にあった各種、函館市史のグラビア写真の大火や空襲、洞爺丸事件。それらの普段見つけない写真を子供ながらに固唾を呑んで眺めたためではないかと思う。

函館市史に記録される災害史と『烈風のレクイエム』、泊敬介の数奇な生涯


泊敬介、潜水作業船「光栄丸」船主。彼は父から受け継いだ本業の海産潜りに始まり、その後の社会状況から徐々に潜水工事、船底清掃、時に沈没船のサルベージなどの仕事を手がけるようになる。第一部、「喪失」で物語は函館大火の頃の北洋漁業で賑わう函館港とそこでの潜水による船底清掃作業の話から始まる。独特の地形とそこを吹き荒れる季節風でそれまでもしばしば函館は大火を経験してきた。その大火の折、敬介は持ち船「光栄丸」管理のため、連絡船乗り場や駅に寝泊まりして自宅に帰られなかった。自宅のある住吉町、谷地頭に発生した大火災。暴風による火の拡がりのすさまじさは緊迫感持って語られる。結局、大火で実母と妻を失い、愛娘は行方知れずのままとなる。その後、第二の災厄である函館空襲で敬介自身、大怪我で足に重傷を負うこととなる。戦時下、ないないづくしの函館病院。そしてその入院生活(当時の面影残す市立函館病院は私の医者になりたての研修病院であった!!)。函館大火で逃げ惑う火中から助け、結局、同じ身上から再婚した静江の献身的看病の甲斐あって重い後遺症ながら仕事に復帰する敬介。また、大火で助け上げ、自らの子として育てた伸一郎は軍隊で特攻ながら一命取り留めて軍隊から戻るものの、敬介との間で軋轢を繰り返す。しかし彼らの数奇な運命は再び固い家族の結びつきへと変わってゆく切っ掛けとなる。息つかせないその後の話しの展開、迫真迫る洞爺丸沈没後の遺体引き上げ作業。著者・熊谷の文献に基づく綿密な検証とその筆致から、私も幼少時に脅威の眼で眺めた函館市史のグラビアを再び鮮明な記憶として思い出していた。
20年の半生、比較的短いこの間に、敗戦という大きな歴史の転換点を境として戦前の函館大火、そして戦後の風台風による洞爺丸沈没。敬介とその家族がまさに翻弄され続けたこの舞台立て、港町函館。物語は主人公・敬介とその家族の壮絶な半生として展開され、まさに書名通りの「烈風のレクイエム」となって最後の頁まで飽きさせずに読者を引っ張っていったように思われる。是非一読をお勧めしたい。

2013年4月15日月曜日

[IS-REC] 松田津佐子さんの闘病記『私は負けない』生きていればなんとかなる!~支えられる事の大切さを知って、人はここまで強くなれる



治療の体験記を病名から探せる 闘病記ライブラリー:

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入院患者さん向けライブラリーに関わっている。職員からの蔵書が大半だが結構立派なライブラリーに成長している。しかしライブラリーに欠けていたのは、患者さんに最も必要なはずの闘病記。WEBにはこの闘病に関して、様々な書籍紹介がある。そこで数年前、WEB紹介図書を参考に、入院している患者さんに関係深い疾患、脳卒中後遺症や統合失調症、うつ、などの闘病記をまとめて購入した。この当時と比べると今は闘病に関係するWEBやブログもずいぶん増えた。上に紹介したWEBも関係書籍が書棚形式で沢山並べられていてとても探しやすい。しかし最近出版されたばかりの松田津佐子さんの本は未だ見当たらない。

さまざまな試練・困難あっても、あの明るく負けない性格、強さは彼女の医療者としての経験から来るのだろうか?

本書はじめの部分で触れられるように、松田さんは助産師として働きはじめ、その後、地元に戻られて助産師を続けていた。しかし病院の産科閉鎖に伴い、余儀なく助産師から看護師に代わって働き続けた。彼女はまさにたくさんの臨床経験を積んだベテラン中のベテラン医療者だった。病院再編や医療スタッフのリストラ等々、厳しい状況の中で過労によって松田さんは病に倒れた。右被殻出血。その急性期治療後にリハビリ目的で我々のセンターへ入院。その入院前後、私の知人でデイ・サービス施設を運営していたYさんから紹介あったこともあり、松田さんとはそれ以来ご縁となった。松田さんは重度の障害やその後の度重なる新たな病魔・障害との闘いに関わらず、私とのやりとりの中で決して泣き言一つ言わず、あの天性とも言える明るさを失わず今日に至っている。リハビリ兼ねて、私にはまめに四季折々の自然や野花を絵葉書にして送って寄越す。その出来映えはとても不自由な両手を使って書いたとは思えない。本書の闘病経過で書かれているように、彼女には息つく間もなく多くの試練が重なった。にもかかわらず、あの何事にも負けない強さと明るさ、あの強さと明るさは自身が病前に経験された多くの患者さんとのやりとりで培われた医療者としてのそれなのだろうか?

同僚や身近な人たちに支えられて

医療者を含めた多くの人は、障害を抱え、身の回りのこと、普段の起居動作、シモの事など、健康で障害のなかった頃当たり前に出来たことが出来なくなると、人前に出られず閉じこもってしまうのが常。またそういった状況が“うつ”の最大要因ともなる。リハビリに関わる医療者は、“障害受容をすすめる”として、そういった気持ちの克服を援助する。しかし障害の程度に関わらず一度失ったものを再度取り戻そうとする限り、その克服はなかなか難しい。松田さんはその障害ある身体すべてをさらけ出して同僚や身近な人々に接し、結果的に多くの身近な支援者を得た。この実践は家族(夫)の深い理解と励ましがあって初めて可能となったものだ。無論、その背景にはまだ彼女が寝たきり状態に関わらず同室の同じような患者さんに気配りする並々ならない医療者としてのやさしさがあったからにほかならないが・・・・・
すべての方々、特に医療者に一読を勧めたい一冊である。

2013年4月13日土曜日

[IS-REC] 村上智彦著『医療にたかるな』を読む

特集ドラマ 『極北ラプソディ』 をたまたまTVでみたこともあり、書店で見かけた村上智彦氏の本書「医療にたかるな」を一も二もなく購入した。北海道は私の故郷でもあり、著者が財政破綻の街、夕張で病院再建に当たる以前に勤務していた瀬棚町は私の小学校時代に過ごした街でもある。そんな縁もあって、本書を一層親近感をもって読んだ。

本書の内容を“時に過激に過ぎる攻撃”と著者は紹介するが・・

著者は医師を志す以前、薬科大学を卒業して薬剤師として病院に勤務。そこで「検査漬け」「薬漬け」医療の現実を見たという。この現実を変え、自分の考える医療を実践したいという信念に従って、改めて医師を志し医科大学を卒業、32歳で医師免許を取得した。その後、自治医科大学地域医療学教室、五十嵐正紘教授の下で研修し、38歳ではじめて地域医療を故郷北海道で経験することとなる。

彼の初任地は当時地震で有名となった奥尻島の対岸、瀬棚町。瀬棚町も言うに及ばずひどい医療過疎地であった。しかし赴任当時、ここは高齢者医療費が日本で最も高い町だったという。医療費が高いのは重病が多いからではなく、高齢化に加えて、住民個々の健康意識が低く、生活習慣に大きな問題あり、一旦病気になると過疎に関わらずコンビニ医療や医療者へのおまかせ医療、不必要な長期入院がまかり通っている。この現実が高医療費の元凶と喝破する。この瀬棚町で時には行政をも相手に医療費低減につながる予防医療の大切さを説いて実践した。必ずしも住民の健康につながっていない高額医療を低減するには人口構造を含む社会環境が大きく変化しても一向に変わらない様々な因習やしがらみ、旧来の仕組みがもたらす医療への“たかり構造”を含めて闘わなければならない。著者はこのため、時に過激に過ぎる言葉も発しているという。しかし本書の中では著者の言葉の言い過ぎと思える所はまったくと言っていいほど見当たらず、逆に大いに共感できる主張が多いと感じられた。

地域包括ケアの必要性

医療の対象が高齢化してくると、病院で行う病気の「キュア」とそれに続く福祉で行う「ケア」との境目がぼやけてくる。この点はリハビリ診療を担う私自身の立場からも痛感している。医療と福祉、お金の出所から言うと、医療保険と介護保険であり、この一方でしか対応出来ないとしたら、その両者に人的にもコスト面でも無駄ができ、なにより対象となる地域住民のニーズに答えられないこととなる。著者は瀬棚町での経験、そして夕張での経験から住民への健康教育と予防医療の大切さを再三再四強調する。そして、“地域包括ケア”として医療と福祉を一体化した制度再編と、病院でキュアを念頭に置いた“闘う医療”から地域でケア(介護・福祉)と一体化した“支える医療”への転換の必要性を訴える。住民への予防医療と健康教育は、“病院へ行って注射してもらえば当座の痛みも病気も良くなる、生活に支障あれば当座病院で面倒みるケア入院に期待する”、といった住民の医療への“たかり”意識を変えるために必要なのだ。そんな旧来の意識のままにフリーアクセス可能な医療機関を利用すれば医療者は疲弊し、医療費はどんどん高額化するのは当然である。

夕張で見えた“既得権益”死守の政治・行政、“責任回避と権力欲“の医療者、そして市民という名の“妖怪”

生活基盤である地域が崩壊すると、それまで見えなかった様々な矛盾が明瞭化する。医療についても、そこに関わる医療者や政治・行政、マスコミ、そして守るべき対象のはずの市民もすべてが、その大小問わずエゴイズムの本質をさらけ出す。それは人の持つ“醜い側面”なのかも知れない。著者はそういったエゴと闘いながら、人それぞれが自立する大切さを説いている。

医療費は高い=「医療亡国論」のデタラメ

著者の地域医療実践経験から医療費の無駄遣いや地域住民の医療への“たかり”構造が強調されると、医療費が高い=「医療亡国論」が闊歩する。しかし日本の医療は他の国々比べると明らかに数少ない医療者の自己犠牲的努力で国民皆保険制度が維持されている現実がある。こういった仕組みのない差別医療がまかり通るアメリカ型医療に著者は明確に反対する。そして「医療亡国論」のデタラメ振りにも言及している。

これからは「闘う医療」から「支える医療」

高齢者医療は、“人すべて死すべき運命”にある事を前提に組み立て直す。そして病院で「キュア」を求める「闘う医療」から地域で「支える、支え合う医療」に代えてゆく努力と必要性がいま求められている。先頃、2040年の日本各地域における人口構成推定値が公表された。本書で示された夕張における著者の地域再生や医療再生へ向けた実践的経験。この経験は、今後の日本全体が変わってゆくべき医療・福祉のあり方にもひとつ解決の道筋を示すものではないだろうか。



[IS-REC] 後藤 眞著『老化は治せる』をアンチエイジング本の一冊として読む

 

本書は数年前、著者の書かれたイラスト本、『痛快!不老学 』(集英社インターナショナル)に続く新書版の一冊であり、アンチエイジング本として期待して読んだ。著者の主張、「(加齢と異なり、)老化は病気です」は、それなりの根拠を持っており、私も賛成できる。しかし現代医学をいくら駆使しても、病気すべての原因がわかり、その原因に基づいた治療がすべての病気で可能ではないように、“老化も治せる”とは、とても言い切れないというのが目下、私の結論。

さて、著者がリウマチの専門家として、老化と慢性炎症の関係を強調するのは良くわかる。著者は本書の中で、“炎症老化”という新しい医学用語も紹介している。体内で起こる炎症は、熱エネルギー産生を伴う酸化であり、そのうちの“非常に弱い炎症”は、ヒトの成長や性成熟にも関わった自然現象である。この炎症の強さが一方で病的老化の原因となる。“炎症老化“はこの老化炎症説を強調するのに確かに都合良い用語かも知れない。そして老化すべてを慢性炎症で説明し、慢性炎症を治療する薬剤にアスピリンがある故、このアスピリンを上手に使えば、「老化は治せる」というのが著者の結論のようだ。アスピリンは確かに一世紀以上も生き残った良薬。しかしこのアスピリン服用に加えて、これまでアンチエイジングに良いとされる方法をさまざま加味したとして、ホントに「老化は治せる」と宣言できるのだろうか?

動脈硬化は、“血管内皮に生ずる慢性炎症”を基盤

最近、動脈硬化発生の基盤が、“血管内皮に生ずる慢性炎症”という考え方が受け入れられつつある。いわゆる、悪玉コレステロールが高いだけで動脈硬化が起こる訳ではない。血管内皮の炎症を来す背景、糖尿病や家族性脂血異常、歯周病や免疫系の異常などがないと、脂血異常でも動脈硬化治療薬であるスタチンを使う意味はないと言われるほどだ。ヒトは“血管から老いる”と言うように、老化と動脈硬化は密接に関係する。過食や急激な激しい運動とその停止など、エネルギー代謝バランスが一時的に崩れる需要-供給変化があると、特に好気的熱エネルギー産生に伴ってラジカルが発生する。その消去役である生体内ラジカルスカベンジャーが十分機能できないと、ラジカルは膜脂質を酸化して過酸化脂質を生じる。血管内皮に慢性炎症があるとはじめてこの過酸化脂質が動脈硬化を引き起こすという訳だ。

アンチエイジングとの関係で組織修復蛋白HSPや生体エネルギー産生機構“ミトコンドリア”と、そのラジカル発生等、組織・細胞レベルでの老化とその抗老化に、もっと詳しく触れて欲しかった

著者は「不老の妙薬?」として、アスピリンを紹介し、その発見から心筋梗塞、ガン、糖尿病、アルツハイマ-病予防の可能性も持った夢の薬として、この抗炎症剤のすばらしさを語っている。無論アスピリン使用にも様々な問題があり、その代薬や「抗酸化剤」の抗老化効果について触れている。結論としては、“老化は複数の仕組み・原因が関与している”と述べ(p112)、抗酸化物質を含むサプリメント等、夢の抗老化薬はないともいう。本のタイトルとは、何ともわかりにくい論理構成だ。また最終章の「老化は予防できる」で、少食や長寿者の低体温、咀嚼能力、運動・筋トレの老化予防効果など、これまで言われているアンチエイジング手法を盛りだくさんに語る。しかし生体の組織、細胞、分子レベルでの老化メカニズムとその予防策については必ずしも十分触れられていない。低体温として、本当に代謝を下げるのが長生きの秘訣とすれば、運動や筋トレで熱エネルギー産生を促すことと矛盾しないのか?体温を上げて組織修復蛋白HSPを産生し、組織や細胞レベルの新陳代謝で生ずる遺伝子のキズ修復や蛋白合成ミス修復が老化予防に重要とする説と、紹介された様々なアンチエイジング手法とどう整合性を取るのか、期待した回答は残念ながら本書には見受けられなかった。本書も、“タイトル倒れ”に終わった感が否めない。

2013年3月29日金曜日

[IS-REC] 三瓶恵子著『人を見捨てない国、スウェーデン』で次世代の幸福を想う

ここ数年、少子高齢化による過疎地域拡大、医療に象徴される生活基盤崩壊が取り沙汰され、先進国・日本は足下から大きく揺らいでいる。そしてその日本に2年前の3.11、東日本大震災が襲って人心は一挙に明日をも知れない不安な時代となった
“減災”目的ながら、大規模災害を想定した日本沈没のCGが公共放送で頻繁に流され、今にも国土全体が沈みかねない恐怖と悪夢が多くの国民の脳裏に染み込んできている。
そしてつい先頃、国立社会保障・人口問題医研究所から公表された今後30年間の日本地域別将来推計人口のデータもその深刻さを改めて浮き彫りにした。


子や孫、次世代・次々世代に残す“しあわせ”な国を求めて

私自身も実際目の当たりにしてきた、“国民総幸福”を実践しているブータン。『ブータンしあわせ旅ノート』でも紹介したが、その国民の厚い信仰心、国王を慕う立憲君主制の国柄、輪廻転生を信じ、生あるものすべて大切にする国民性、・・・・これら国民の精神性はチベット系のブータン仏教をもとに、その歴史背景や地理的条件と深く関わっており、現在の日本やそのほかの先進国とは大きくかけ離れ、これはまさに別種のユートピアであろう。


福祉先進国、スウェーデンは“人を見捨てない国”

三瓶恵子さんの書かれた本書は岩波ジュニア新書に入った一冊。青少年向け図書としてつい先頃出版された。著者は日本から現地ウプサラ大学留学後、当地で結婚、1981年からスウェーデンに30年以上在住している。本書の「はじめに」では、スウェーデンが教育制度や家庭生活のスタートとなる結婚制度、そして社会に出てからの職業も「一発勝負の国ではない」ことを強調する。「就活」も「婚活」もない。まさに日本に住む我々には想像しがたい現実である。その後の各章では、こういった日本の現実とあまりに違うある種の理想郷がどう実現されているかをスウェーデンの普通家庭で生活する身近な若者達にインダビューする形で紹介している。
国民の高負担で成り立つ大きな政府によるセーフティーネット充実。その人を見捨てる事のない国のしくみを利用できる一員として、家庭の中にあっても、その青少年の早い時期から精神面と経済面での自立が教育されている。男女とも社会で働くのが当然で“専業主婦”のない国、結婚形態は多様であり、従って家族構成も様々。男女の結びつきはあくまで愛情第一で決まり、離婚しても児童福祉制度の充実で子育ての心配も少ない。こういった社会のあり方の結果として、女性の合計特殊出生率は1.9以上である。


どうやったら先進国スウェーデンのイイトコ取りができるか?

人口減少が急速で、世界一の超高齢化社会・日本。30年後の日本はこのままで推移すれば、間違いなくその4割以上が高齢者で、地域崩壊はどんどん進むだろう。近未来も今のままではインフレ・ターゲット、経済成長戦略という国民生活とは無縁な政治の方針でますます暮らしにくい現実が待ち構えている。贅沢な消費生活は誰も望んではいないはず。せめて、子や孫の世代、次世代・次々世代へ戦争のない、豊かな自然と原発災害のような人災ない日本をバトンタッチして行きたい。高福祉・高負担の国スウェーデンは国民の政治に対する関心は非常に高い。そして著者がインタービューした若者達の意見や国の年次報告書をみても国の現在の諸制度に対する満足度は高く、将来不安もずっと少ない。この本を読み終えて、日本人の我々もせめて次の世代のために、先進国にしてひとつのユートピアでもあるスウェーデンをもっと学び、そのイイトコ取りが出来るように、今こそ真剣に考える必要を強く感じた次第である。


2013年3月19日火曜日

[IS-REC] 近藤 誠著『医者に殺されない47の心得』・・もっともと思う所も多いが、読者の誤解も危惧

今朝も新聞広告に、“51万部突破“、”全国書店で続々第一位”などと本書を宣伝する記事が大きく掲載されている。

センセーショナルなタイトルで目を引くが、ほかの同業者の批判を多少なりともかわす意図があるのか、副題には、「医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法」と書かれている。

“47の心得”には、確かに頷けるものも多いが・・・・

第一章「どんな時に病院へ行くべきか」には、最近流行の“未病”をホンモノとしないための、「とりあえず病院へ」を「医者の“おいしい”お客様」として、受診そのものを戒めている。老化に伴って起こりえる様々な身体不調、病院に行けばたくさんの精密検査を受けさせられ、もっともらしい病名を付けられる。そしてたくさんの薬を処方されれば皆何となく満足し、納得して帰る。これがどこでも誰でもどんな病院でも受診できる皆保険制度下の日本というのである。生活習慣病のマーカーである、血圧・血糖・コレステロール、その異常値の決め方に問題あり、その治療はかえって副作用による様々な問題を引き起こす。ガンの早期発見も誤診多く、早期発見されても決してラッキーではない。著者の主張の背景には、一般の医者という“同業者不信”もある。しかし、それ以上に日本人一般にありがちな体の不調や病気を疑うと、“先ず病院へ”という医者や病院に対する過度の信頼、あるいは自分の体でありながら、医者や病院への過度のお任せ主義を戒めている。

生活習慣病罹病者の“三次予防”担当医として

第二章以後も、「患者よ、病気と闘うな」、「検診・治療の真っ赤なウソ」とけたたましいタイトルが続く。その後の元気に生きる「食」の心得、「暮らし」の心得には、従来の「食と暮らしの健康法」に照らして一見、相(あい)反することが書かれている。しかし、確かにいい加減なサプリが全く無効であることなど、著者の主張に賛成する点も多い。また特に最近、看護や介護で強調される、「手当て」(医療者のスキン・シップ、スキン・タッチ)の有効性は私自身も感じており、大いに賛成したい。しかし脂血異常や高血圧の降圧治療は一概に否定されるべきものではなく、また免疫力(病気に対する体の抵抗力や健康体力)を高めるさまざまな工夫をすべて一緒くたにして「医者のガン詐欺」としてしまうのはあまりに乱暴すぎる。本書が未病を防ぎ、病気や障害の悪化を防ぐ治療行為の必要性すべてを否定してしまう誤解を読者に与えかねないことを危惧する。特に脳卒中や心筋梗塞などに罹患した既往のある方は、血圧や体重のコントロール(肥満予防)、血糖・脂血異常のコントロールが再発や障害悪化の面から欠かせない。やはり何でも相談出来、信頼できる“かかりつけ医”を持つことも大切な長生きのコツと心得て欲しい。

[IS-REC] 太田成男著『体が若くなる技術』はわかりやすい一般向けの好著


瀬名秀明・阿部成男共著『ミトコンドリアのちから』(新潮文庫)は科学的読み物として内容濃い力作であった。しかしこの本を読みこなすにはある程度の基礎学力がないと、とても読み切れたものではない。それに比べ本書は、突っ込んだ説明が幾分不足に感じるところはあるものの、健康志向の一般大衆向けに良く書かれた一冊である。

 

“スキル・テクニック”ではなく“技術”

本書のエピローグで著者も断っている。残念ながら“体が若くなる”、あるいは“体を若くする”のに、決して誰でもどこでも簡単・容易に達成できるテクニックやスキルがある訳ではない。書籍タイトルというものは本屋で手に取ってみる者がこれは読んでみたいと食思がのびるタイトルとするのが出版社の常である。本書もそういった要望から付けられたものと想像する。しかし決して“看板に偽りあり”ではないようだ。著者は本書を“スキル・テクニック”ではなく“技術”書であると強調している。体を維持し新陳代謝を行う細胞生物学的単位、ミトコンドリアは好気的エネルギー代謝の場であり、不可避的に活性酸素(ラジカル)を発生させる。ラジカルは遺伝子を傷害して老化を進める第一の原因。我々の手に届く所にあるもっとも有効な“体を若くする”技術は、このラジカル対策なのだ。

“エネルギッシュに生きる”には

“体が若くなる”とは、基礎代謝・活動代謝が上がり、日常生活がエネルギッシュとなる状態である。ヒトの体のエネルギー産生機構とは基質である糖質や脂質を消費して、それをエネルギーに換える細胞内解糖系と細胞内ミトコンドリアの好気的エネルギー産生系のこと。その産生効率は、後者が圧倒的に良い。しかし好気的エネルギー産生には酸素という諸刃の剣を使うため、エネルギー産生過程で不可避的に活性酸素(ラジカル)を生じてしまう。ラジカルは細胞障害を引き起こし遺伝子を傷つけ老化やガンの原因となる困りものである。著者はこういったエネルギー産生のしくみを理解すること、さらにヒトの日常行動のみならず、生きて行く上で最低限必要な行為、すなわち食行為やその結果必要となる消化吸収、呼吸など、すべてエネルギーが必要であること、急激な酸素需要と供給が変わる状態で活性酸素の生じやすいことを理解すること、以上二点が大切と説く。これらを知れば、活性酸素の生じにくい状態を技術として手に入れることが出来るというわけだ。

「老いる仕組み」にラジカル関与

体を構成する組織は核とミトコンドリアにある細胞内遺伝子の遺伝情報によって絶えず新陳代謝されている。この遺伝情報がラジカルによる遺伝子の傷(根拠不明だが1日10万カ所と書かれている)によって撹乱される。また遺伝情報発現時のコピーミスによって新たに再生されるアミノ酸などが変化する。これら組織再生ミスが老化の主な原因となるのだ。一方、ヒトの体にはこういった変化やミスを修復する機構も備わる。すなわち、老化は加齢によって起こる不可避的現象とばかりは言い切れないのだ。また、発がんや血管の老化として認識される動脈硬化、これらも加齢に伴うネガティブな現象である。これらもその多くの原因がミトコンドリアで発生するラジカルにあるのだ。

ラジカル、特に“悪玉”ラジカルを発生させない工夫、退治する手段が“若くなる技術”

「若くなる技術」とは、ヒトが生きてゆく上で必要となるミトコンドリアでの好気的エネルギー産生、それに伴うラジカル発生を極力抑える工夫である。発生したラジカルを無毒化する機構(スカベンジャー)がある一方で、ラジカルはさらに電子を吸収して反応性の高いヒドロキシラジカルに変化する。著者は体の酸素要求が急激に変化する行動を極力避ける工夫がラジカル発生を少なくする鍵と説明する。またラジカルはそのすべてが悪さをするのではなく、発がんや感染制御上、有効な働きをする場合もある。加齢に繋がる活性度の高いヒドロキシラジカル(悪玉ラジカル)を特異的に阻害・無毒化するものとして、体内のどこにでも入りうる水素ガスが有効であるという。著者はこのために水素を加圧溶解したり電気分解して作製した水素水、水素バブルを発生する浴槽装置の利用などを提案している。ご承知の方も多いと想われるが、水素水はアルミパックにはいって既に市販されており、そのニセモノ・ホンモノについて先頃某週刊誌でも話題となったようだ。

“不老”や“若返り”技術はホントにあるのか?

テロメアという遺伝情報に基づいた組織再生を有限にコントロールする機構を知れば、活性酸素発生量をコントロールしても、“不老”や“若返り”を実現する技術のハードルは高いと誰しも考えるだろう。しかし本書はバイオサイエンスの情報に基づいて、その可能性を夢ではない現実のものとして語っている。「それは本当か?」という疑問を自分なりに解消するには、やはり本書のみならず「ミトコンドリアのちから」までの一読が必要”というのが私の結論である。

2013年3月11日月曜日

[IS-REC] 内藤眞禮生著『ミトコンドリア・ダイエット』を書名に惹かれて読む

最近、私の関心事キーワードのひとつは、“ミトコンドリア”である。瀬名秀明・太田成男の『ミトコンドリアのちから』(新潮文庫)を読んで俄然、“ミトコンドリア教”となった。内藤眞禮生の本書も、たまたま検索に引っかかって来てその書名に関心をそそられて、“ポチッと”クリック・購入してしまった。新書版の本書は活字も大きく、強調したいセンテンスは太字となり、『ミトコンドリアのちから』に比べたらずっと読みやすい。二日とかからず読んでしまった。

著者実践の生野菜・果物ジュースをベースにした酵素食とその実際を紹介

第一章の“脂肪はミトコンドリアでしか燃えない”に始まり、ミトコンドリアの代謝回転を良くして活性化するには食事で補う食品中の酵素を上手に利用し、体内で作られ加齢で産生能力が低下する酵素を節約するのが大切と説いている。酵素食は植物由来の消化酵素や代謝酵素、補酵素を提供するもので、生野菜・生果実を低速圧縮絞りタイプのジューサーで作る。

三大栄養素の摂り方、朝昼夕食の配分と酵素食、砂糖や悪玉油脂のカット、玄米は浸水・発芽させて摂る、空腹や低タンパク食が良い、などなど

代謝ヂカラを増やすためとして、動物性蛋白や乳製品の制限、悪玉油脂のカット、精製砂糖摂取を控える、玄米は活性酸素発生の原因となるアプシジン酸やフィチン酸を除くため12時間以上浸水させ発芽玄米として利用する、過食と加工食品は酵素の無駄遣いとなる、など主に食事・食品内容の注意を列挙している。また体内での酵素生成には睡眠が大切なこと、ミトコンドリアを増やす代謝のいい食べ方として、三食と酵素食の配分が大切なこと、低タンパクや少食のすすめなども書かれている。

活性酸素を退治する水素水、激しい運動はしなくていい・・・

コラムの形でミトコンドリアで発生する活性酸素消去法として水素水が有効なこと、活性酸素が肌の老化を進めること、などにも触れている。最終章は運動の種類とミトコンドリアの関係など。酵素食はやや面倒だが、確かに著者自身が実践しているダイエットはこれまで言われる健康維持と矛盾なく進められるオーソドックスなダイエット法と思われる。結果的に脂肪を燃やしミトコンドリアの好気的エネルギー代謝を盛んにできるかと思われる。“ミトコンドリア・ダイエット”は上手な命名だがその内容の割にはやや大げさな印象が拭いきれなかった。



2013年3月10日日曜日

[IS-REC] 瀬名秀明・太田成男著『ミトコンドリアのちから』(新潮文庫)を読んで、バイオサイエンス基礎から臨床知識の整理ができた

文庫本423頁の小さな活字を老眼で読み通すのは辛かったが・・・

をようやく読み切った。本書を読むそもそものキッカケは、高齢者と障害者の心血管疾患・脳卒中再発予防リスク管理や抗加齢ドック検診を担当するリハビリテーション科医師として、あれこれ参考書を漁っている中で是非読まねばと思ったからだ。アマゾンでみた書評で興味引かれ、また文庫本表紙のイラストもなかなか良い出来。何か著者の一人、瀬名の書いたサイエンスフィクション、「パラサイト・イヴ」のようにワクワクしながらすぐにも読んでしまえそうな錯覚で早速注文した。しかし読み始めると、その内容は濃く、また老眼の入った眼で243頁におよぶ文庫本の小さな活字を追うのに疲れ、なかなか一気呵成には読み進めなかった。さて、本書は日本のミトコンドリア研究第一線にある二人の著者が分担して書いた、細胞生物学的にはミトコンドリアという細胞内器官、生理・生化学的にはエネルギー代謝と様々な臨床医学と関わり深い活性酸素の病態生化学を縦横に解き明かした読み物となっている。

本書は老化や生活習慣病を病態生理・生化学の基礎から理解するのに役立つ一冊

脂質管理におけるスタチンの位置づけ、肥満や糖尿病治療でのカロリー制限や糖質制限食の評価など、加齢現象や生活習慣病を管理するとき、自分なりに納得して理解を深めるにはどうしても今一度バイオサイエンスや病態生理・生化学の基礎知識に眼を通す必要性を頓に感ずるようになった。学生時代に教科書として読んだ「ハーパー生化学」の最新版も、イラスト入り翻訳版を最近購入。昔と違って、そのカラー版はイラスト豊富でとても読みやすい。しかしやはり教科書だけにその本の厚さや内容に圧倒され最初から最後まで読み通す気力はない。

ヒトは生き、活動し続けるために三度の食事をする。食事から得られた栄養成分の一部は体組成の新陳代謝素材となり、残る多くは生命維持に必要な基礎代謝エネルギーと日常行動に必要な活動エネルギーとして消費される。このバランスがうまくゆかなかったり、食習慣や飲酒・喫煙を含む生活習慣の乱れ、加齢による新陳代謝やエネルギー産生系の機能低下・不全が起こると体調不良からさらに疾病発生へと繋がる。この生命維持に必要なエネルギー産生の中心がミトコンドリア。そして脳卒中・心血管疾患発症の引き金となる活性酸素もこの酸素を使ったエネルギープラントであるミトコンドリアでもっとも多く産生されている。

障害の原因となったそもそもの動脈硬化、大血管病である脳卒中・心筋梗塞もこのミトコンドリアの機能抜きに語れないとしたら・・・・これまで担当する高齢者やドック受診者、あるいは脳卒中後遺症の障害患者に対して高血圧や糖尿病、動脈硬化、脂質異常、認知症などの背景病態を自分なりに十分理解したつもりで説明してきた。疾病発生とその再発予防、機能障害に対するリハビリ継続のアドバイスなどを主に臨床的知識にのみ則って行ってきた訳だ。本書を読んで、加齢や生活習慣病は勿論、ガンや自己免疫疾患、さらにミトコンドリア病に分類される疾患も含めて、分子細胞学的レベルからこれら病態の全体像を俯瞰して臨床知識の整理ができたように思っている。すなわち、ミトコンドリアで不可避的に生ずる活性酸素、活性酸素による細胞障害とその結果起こっている様々な臓器障害がバイオサイエンスの基礎から臨床に繋がる形でよく理解された。今後はこういった問題を扱う臨床医として、活性酸素による細胞レベルから臓器レベルの傷害をどう上手にコントロールするか、それが学習と臨床スキルを高める鍵だと考えている。

運動時の過剰な活性酸素発生を防ぐクールダウンの意味、ヒドロキシラジカルを処理する水素水、等々日常生活や臨床にすぐ役立ちそうな知識も

懐かしい“パスツール効果”をたどった乳酸菌や酵母による発酵と腐敗の問題、ヒトの老化や寿命に関わるミトコンドリア、母系由来のミトコンドリアDNAからわかる人類の起源や進化、等々ミトコンドリアに関わる科学読み物として、本書は多方面に渡る話題を提供している。そういった中でも日常生活や臨床に関わる情報としてすぐに役立ちそうなことは、これまで運動時の注意点として言われる本運動前の準備体操や終了後のクールダウンの意味(激しい運動による酸素需要が急速に不要となるとき活性酸素が発生。クールダウンはその予防に必須)、あるいは細胞障害性が最も強いヒドロキシラジカルの無毒化に水素水が有効、などはすぐにも役立つ情報で大いに興味をそそられた。それにしても“ミトコンドリア研究の基礎と臨床”は日進月歩であり、特に生活習慣病や栄養、治療手段としての運動(リハビリ)を考えるわれわれリハビリ臨床医には今後も眼を離せない領域のようだ。



2013年3月4日月曜日

[IS-REC] 2013年3月 私の運動記録から

201303月運動実績

Annoyed年度末3月、多忙な毎日続き、夜間のFitness Club通いは月の半分ぐらいで散々な成績

上のオムロン歩数計walking Styleによる運動記録をみると明ら。夜の Fitness Club “出勤“ないと、1日歩数は6000歩前後以下。職場でデスクワーク多く、日中はほとんど歩数が稼げません。日中、ハードワークが続くと時間あっても家に帰ってグッタリ。とても走りに行く気力が起きませんでした。そして3月は学会出張や行事も多かった(仙台出張2回、東京出張1回、小生主催の集会1回・・・)。

4月新年度に入ってもこんな調子の毎日が続いています。4月は自然を愛する会(NLC)の山行も始まるというのに運動不足と体力低下を危惧しています。ただ幸いなことに何とか体重60kg未満をキープしています。ただ、私の目標とする理想体重は56kg。この目標体重程度となれば、普段の動作がとても軽やかとなるのを実感しています。やはり食事と運動が健康の基本です。

2013年2月の運動状況と先月実績を比較してみます。3月は1日平均歩数8452歩、しっかり歩数(運動歩行ないしジョッギング)4400歩、月間歩行距離170㎞。3月は2月に比べて月日数が多いに関わらず、いずれの数値も低下しています。月間歩行(走行とジョギンク含む)距離目標が3月も160kmを超えたのは、目標値自体が低いせいのよう。4月実績を伸ばすのは、現在の状況だと更にきつい。でも、何とか1日平均歩数10000歩以上、総歩行距離180km以上を次の目標に頑張りたいですね。



2013年2月25日月曜日

[IS-REC] 藤田紘一郎著『50歳からは炭水化物をやめなさい』(大和書房)を“糖質制限食信奉者“の私、早速読みました

広く一般向けに書かれた「食と健康」本「アンチエイジング」本が雨後のタケノコのように次から次へと出版されている。糖質制限を信奉する小生も新聞・雑誌の大々的宣伝に乗せられた訳ではないが寄生虫博士で有名な藤田紘一郎先生の本書を早速購入した。







体験的視点と新視点の提供、演繹手法による作文技術で、本書は説得力ある「食と健康」本の一冊に


健康維持の基本は、食と運動を含む生活習慣であり、健康オタク向けに出版される多くのハウツー本を含めてこういった類の本を貫くテーマは一貫している。しかし健康を労せずして得られるハウツー本は科学的根拠に基づかない、まやかしが大半で全く読むに値しないし、著者の経歴からそれを見破るのも決して難しいとは思わない。一方で、“糖尿病食事療法として糖質制限食に問題あり”と権威を傘に一方的宣言を賜る学会や何処かのメーカーと結託した利益相反ミエミエの本・文献・広告を大学教授・“医学博士”の肩書きつけて公表するものも信用おけない。藤田先生の本書は、(1)糖尿病である先生の体験に基づいている、(2)「50歳という年齢を境に、人のエネルギー供給は“糖質エンジン”優位から“ミトコンドリアエンジン”優位に切り替わる」という一般向け解説にはまさに新しい視点を採り入れて、糖質制限食の妥当性を説明している、(3)「糖質制限食」、寿命の回数券「テロメア」、「長寿遺伝子オン」、「腸と心の充実」という広いテーマを扱い、そのすべてが藤田先生の研究領域でない事は明らかだが、山のように集めた文献を枕に語るのではなく、最近語り尽くされた感のあるこれら話題の本質をうまく捉え、透徹した寄生虫学者の眼と頭で良くかみ砕き説明するのに成功していることだ。特に如何に説得力ある文書が書くかという点で最近読んだばかりの一文(原 優二の風のかなたへ「理科系の作文技術」から考えること 風の旅行社・風通信・特別増刊2013年春号巻頭)に記された通りの文章展開で、さすが“理系の藤田先生”と感心した次第だ。


自分の健康を守るために読むべき本は?


不安の時代、不確実な時代を生きて、今我々にもっと必要とされるなものは何だろう?・・・・人と人とのつながり・信頼?宗教?哲学?・・・少なくともお金ではないだろう。挙げればきりはないが、これだけははっきりしている。人に迷惑かけず自立して生きるため自分の健康を先ず自分で守ること。無論、現に病者や障害ある者にとっては自分の身体のことをいつでも相談出来る指南役、“かかりつけ医”がこのために欠かせない。しかし仮にも健康寿命を享受している我々は、自分の健康を守るため、日々努力し続ける必要がある。そしてその食や運動、生活習慣の身近な指南は自分が正しいと信ずる先達が書かれた書物の数々である。私が最近読んで実践を志すに至ったこの類の本を挙げると、藤田紘一郎先生の本書のほかに、山田 悟著『糖質制限食のススメ』(東洋経済新報社)江部 康二著『「糖質オフ! 」健康法 主食を抜けば生活習慣病は防げる! (PHP文庫)』伊藤 裕著『腸! いい話 (朝日新書)』大櫛 陽一著『間違っていた糖尿病治療―科学的根拠に基づく糖尿病の根本的治療』など、だろうか?


「人生は何歳になっても楽しい」


歳をとると身体の不調や老化現象が重なって身体のあちこちを臓器単位で意識するようになる。しかし食や運動・生活習慣に気を配っているとこういった愁訴を意識しないで生活することも可能である。本書、藤田先生のおわりのことばは、「足るを知り、今を大切に生きれば人生は何歳になっても楽しい」である。また「山川草木国土悉皆成仏」と仏教の一節を引用して何事にも感謝の心が大切と説く。健康にはほかへの感謝の気持ちも大切な要素である。これは、井上 敬先生の『健康方程式365』(木楽社)にもあり、納得のゆくところである。
やはり本書はただのハウツー本との違いがよくわかる一冊であった。

2013年2月21日木曜日

[IS-REC] 時には『ブータンしあわせ旅ノート』(岸本葉子著)

2011年、すなわち一昨年の夏期休暇を目一杯利用して念願のブータンを旅行した。ブータンは空港のあるパロ、首都ティンプー近郊の西ブータンを巡るのがやっとの日程だったが、さらに東へドチャラ峠を超え、チミ・ラカン、ブナカまで足を延ばすことが出来た。駆け足旅行で地元ブータンの方々との交流はほんのわずか。しかし1日がかりでタクツァン寺院に登ったこと、またブータンの方々の暖かい眼差しや親切心を知り、人なつっこい子供達との交流、その笑顔をカメラに収めることも出来た旅行だった。

岸本葉子著『ブータンしあわせ旅ノート』が2012年春改題出版

1999年出版の旅行記改題だから、岸本さんの旅行から 私の旅行まで10年一昔の歳月が経っている。この度の出版で著者はそのあとがきで、「変わるもの、変わらないもの」と題し、この間の時代変化、当時のしあわせ一杯旅ノートが描いた『幸せの国、ブータン』の有り様を批判的に語っている。

岸本さんの旅ノートに描かれたブータン~敬愛される国王、厚い国民全体の宗教心、大家族でつましく生活しながら当然のしあわせを享受する人々~

本書で触れられるブータンはすでに10数年前のこと。しかし一昨年私自身が旅行で垣間見たブータンの国情・旅行事情、現地の人々の生活に大きく変わった印象はない。東日本大震災の地を昨年ワンチュク国王夫妻が新婚旅行先に選んで来日して以降、日本でもすっかりブータン”ブーム”が起った。そして現在のブータン国情についても再三テレビなどで放映され、近代化の波が押し寄せ、その国情や国民生活が大きく変わろうとしていると報じられた。携帯電話やテレビ・インターネット普及など、国民の消費生活を含む生活文化も確かに大きく変わりつつあるのだろう。しかし岸本さんが訪れ、私が旅行した10数年の間でも良い伝統や生活文化は変わらず続いてきたのもと確信する。国外から押し寄せる消費文化を批判的に受け止める教育水準や厚い宗教心、狭い山岳国家、農業主体の大家族母系社会、立憲王制国家に移行しても厚い国王への信頼と宗教と政治が上手に一体化した国家体制、これらの要素が一体となって小国ながら強い独自性と文化国家としての矜持を持ち続けている。国民一人一人の生活レベルは現在も決して高くはない。しかしこの国を訪れる異邦人に対して決して笑顔を絶やさない彼らは自分の国に誇りを持ち、その生活に自信を持っていることは間違いない。

「ブータンは今でも幸せの国でした」が私の印象


この本を読んで、私のブータン駆け足旅行に欠けていたブータン国民の生活事情がしっかり呑み込めた。そして私が垣間見たブータンは今でも間違いなく「幸せの国」。健康もお金も時間も必要!! だが、ますますブータン再訪を期する気持ちが高まった次第。今度は余裕持って東ブータンを訪れ、またそのトレッキングに挑んでみたい。
s-ブータン旅行スナップ
s-ブータンの子供達


2013年2月16日土曜日

[IS-REC] ウォルフレン『いまだ人間を幸福にしない日本というシステム』を読む

アルジェ人質事件で日本政府が敢えて欧米と共同歩調を取ると宣言したのが良かったのか否か、批判的論調が続いている。特に米国との共同歩調はアフガニスタンで医療や農業分野で地道なNPO活動を続けてきた邦人を危険に陥れたと同様に、アルジェにおいても、いわゆるテロリストの表だった標的に現地日本人を曝す危険な宣言であったと思われる。現在、大国アメリカの国内状況はわれわれが理想とする平和国家でもないし、民主主義国家からもほど遠い状況にある。格差や貧困が固定化され、軍・治安機関の高度市民監視社会であり、度重なる銃乱射事件にみるように、安全・安心のない社会である。また対外的にも絶えず仮想敵を必要とする軍産複合経済界に牛耳られ、事実や正義に基づかない政策がノーベル平和賞受賞・オバマ大統領のもとでも大手を振ってまかり通っている(朝日新聞付け2013/02/14、クルーグマンコラム@NYタイムズ)。

国民を幸福に導く舵取りは誰が?

2012年暮れ,角川文庫の一冊にカレル・ヴァン・ウォルフレン著、井上 実 訳『いまだ人間を幸福にしない日本というシステム』が出版された。巨大地震や津波、原発事故という災厄からそろそろ2年が経過しても一向に進まない復旧や復興、特に原発事故という人災については誰も責任を問われも取ろうともしない国家や政治に対して、首相官邸や関係機関を取り巻く、“原発NO!”の示威活動が多くの組織化されない市民によって今も続いている。しかし現実は少しも変わろうとせず、政権交代後には再び“原発再稼働”の動きが表面化している。
人口高齢化や貧困問題、格差社会が進んで老若男女問わず日本も不安社会となって、国民全体の幸福や今一度安全・安心な社会を築くのに必要な処方箋が求められている。ウォルフレンの本書はしかし、“いまだ人間を幸福にしない日本というシステム”というタイトルが示す通り、国民一人一人がその英知を集めて議論し、意思表示しても米国一辺倒、経済拡大至上主義という自動操縦装置に繰られた日本の舵取りが続くのではと危惧している。高齢化やその人口構成からモノに関する国内需要は飽和しており、際限ないものづくり経済の拡大は結果的に海外に向かわざるを得ない。“ホントに経済拡大は今後とも必要なのか?今後われわれが目指すのは定常社会なのでは?”また、日本全体が未だ米国の植民地同然に多くの基地を抱え、しかも地域の総意として基地撤去を訴える沖縄の現状に耳を貸さない日本政府は“国民主権の政府”といえるのか?こういった積み重なる疑問に、ウォルフレンの本書が筋道立てて答えている。

自動操縦装置を支える官僚集団

国民と実際に日本を動かしている司法や行政府役人を仲介するのが政治家である。ウォルフレンは、政治に志すには莫大な資金を必要とし金権政治がある種、必要悪となっていること、日本は“官僚独裁国家”であり、これを突き崩して国民の望む国家に変貌させることが可能なのは唯一国民に支持された政治家であるはず。しかし自動操縦装置を手動に切り換える試み(例えば、米国依存からの脱却や経済拡大至上主義を改めること)をする政治家は経済界や主要マスコミ、官僚独裁集団の総力によって悉く潰される運命にあることを喝破している。私自身を含めて好感持ち得ない政治家、小沢一郎氏をその例に挙げているが、ウォルフレンの指摘は確かに当たっているのかも知れない。首相時代の鳩山由紀夫やその後の鳩山の行動に対する大げさな批判も彼の説明で納得がいったところである。

日本社会は『空気の社会』

本書最後の解説で孫崎 亨は、“日本社会は『空気の社会』”であり、ものの見方、考え方、行動の仕方はこうあるべきだというものが社会全体を覆っていると述べている。ウォルフレンのいう“偽りの社会”は社会の空気であり、それから外れる者を極端なまで排除する。社会の空気に逆らってはならない、社会の空気に従わなければ無視されるか生きてゆくこと自体が困難となる。政治家もこの例外ではない。しかしウォルフレンは言う。日本にとって吃緊の課題は“大きな危険を回避するため米国依存から脱する事”、そして経済拡大至上主義という自動操縦を是とする官僚独裁を打破すること。

ウォルフレンの主張と共通する主張は?

“知ることは力なり”とウォルフレンは言う。日ごと世界は動いており、われわれは事実を知る努力を惜しまず、正しいと信ずる歴史感や正義感に基づいて事象を解釈し行動してゆかねばならない。国の舵取りは代議制国家である日本に住む以上、我々は政治家に委ねる。政治を語るのは社会の空気に反する行動と映る事も多い。しかし一億総評論家ではウォルフレンが指摘するように日本人は自身の幸福も目指せないことになりかねない。最後に一つ本書で気になる点があった。彼は政治家や政治家が属する政党を一派一絡げで述べている。
しかし彼の本書で触れられた日本社会と政治の現実は、日本共産党の主張と頗る共通している。科学的社会主義による現状分析とウォルフレンの永年の事実に基づいた分析が共通してくるのはある意味で当然なのかもしれない。



2013年2月9日土曜日

[IS-REC] 暉峻淑子『社会人の生き方』を通して、不安時代の生き方を考える

 “社会の豊かさ”につながる“社会人の生き方”とは?

   読売新聞2013年1月19日記事、“編集委員が迫る”「生活経済学者・暉峻淑子」氏が掲載されている。かって読んだ、『豊かさとは何か』、『豊かさの条件』とともに昨秋、『社会人の生き方』が上梓され、先の2冊の具体的処方箋として本書が執筆されたことを知った。すなわち本書は80代とは思えないアクティビティーを今保ちながらも暉峻先生の岩波新書三部作最後の完結本に当たるものと思われる。

 

   この読売記事では安倍内閣で掲げられる緊急経済対策が雇用拡大を通して、果たして今の日本に希望や活力を呼び戻せるのか?という観点から暉峻先生に問いを投げかけている。そして暉峻先生の結論は“No”。既に社会の土台が相当崩れ、日本が内側から自己崩壊を生じていると指摘する。

 『方丈記』からみた鴨長明の生き方に共感

      2012年は鴨長明『方丈記』が書かれて800年、節目の年であった。またここ数年、東日本大震災や福島原発事故で自然災害・人災による不安な重苦しい空気が日本を覆うと同時に世界的構造不況の影響もあって、方丈記への関心が高まり、大きなブームともなった年である。方丈記は昨年熱暑が続く初秋時分から

をテキストにNHKテレビ教養番組でも取りあげられた。私も方丈記を通して鴨長明の人物像に大いに惹かれた。彼は表向き物事への執着を断ち、隠者として方丈の庵で仏道修行に励む生活を理想としていたが、実際には悟りきれずに琵琶に興じ、童子と遊び、時に遠方に旅行を楽しんだ。そして何よりも方丈記に記した五大災厄は自分の足で子細に調べ上げたものであり、それは記録文学として今に見劣りしない内容となった。鴨長明は同時代の藤原定家などとは異なり、当時の社会状況について非常に高い関心を持ち、そのために自ら行動した。その記録が方丈記であり、方丈記は決して隠者の随筆ではない

   方丈記の世界に通じる不安社会と、現代の不安社会で知識人・社会人はどう生きるのか? その処方箋を求めて、この『社会人の生き方』を読んだ。

自己肯定感育てない競争教育、貧困自己責任論、そして労働の意味変容

   本書には“社会人”イメージに始まり、現状からその“社会人”になれない、あるいは就労という社会参加機会の与えられない多くの若者の事例、その際の自己責任論の台頭、背景にある自己肯定感を育てない競争教育とゆとり教育の否定などが語られる。また就職難が社会人としての出発や社会参加を困難としていること、社会的つながりがないか薄弱による飢餓感が、“個人化社会の不安”として多くの国民にあること。人生のリスクに対応出来ない“貧困生活”が数的に増大していることが指摘される。また、製造現場への派遣が2003年に小泉内閣により解禁され、一気に非正規労働が増えて労働が充足や喜びを産む手段から、生きる最低限の保障すらないものに変容したことなど、厳しい現状が再認識される。

不安社会の中で考える社会人・知識人の生き方

   “今は市場に政治も人間生活も乗っ取られて経済の植民地にされてしまっている”(本書186頁)、そこそこのGNPで豊かさを享受出来るはずの日本でありながら、私が実際に行って感じた“国民総幸福”の国、ブータン国民に感じた笑顔と暖かい目線が日本人にはもはや感じられない。この日本の現状に抗して将来を見据えた社会人・知識人の生き方は?社会全体の有り様に関した処方箋は政治家や経済学者の仕事である。私を含む一社会人、一知識人はどういった社会を指向し、どういった生き方をすれば良いのか?暉峻先生の処方箋は、身近な処からの社会参加であり、助け合いだと説く。そして自分以外の他人を思いやる心と想像力が必要であり、社会的無関心や不幸をみて“自分でなくて良かった”とだけ感ずる心の貧困を断ち切ろうと説く。この『社会人の生き方』を読み、鴨長明は“世捨て人”ではなく、当時の立派な“社会人”であり、自分のお手本となる生き方が出来た人であると、再確認した次第である。

2013年2月3日日曜日

[IS-REC] 櫻井 武『食欲の科学』(講談社ブルーバックス)を読む

 

食欲とは何とも悩ましい


ヒトの基本欲求で最も大切な食欲。肥満や生活習慣病を恐れて食をコントロールしたいと思う者は多い。かく言う私自身も若い頃からの生活習慣で早食い、大食傾向が未だ治らず、今や年齢的にもその是正に悩んでいる。
      櫻井先生の本書は彼の睡眠に関するオレキシン発見物語である『睡眠の科学』(同ブルーバックス、2010年)に続くものであり、前著の出来が良かっただけに、正直なところ、「柳の下の二匹目の泥鰌」をねらったものではないかとあまり期待はしていなかった。しかし新聞書評に動かされて購入し、読んでみるとその中身の濃さに圧倒された。まず食欲の根源的役割として、ホメオスタシスの一つでもある体重恒常性と食欲の関係、その仕組みを支える中枢である視床下部での食中枢について解説している。飢餓と飽食によって食欲が二相性にコントロールされるのであれば話は単純であったはず。しかし食欲調整の仕組みに限らないのだろうが、身体機能コントロールはほんとに複雑だ。

「レプチン発見物語」で話は進む


   たまたま発見された肥満マウス(ob/obマウス)や肥満を呈する糖尿病マウス(db/dbマウス)系列を利用した肥満メカニズムの研究から食欲制御因子が想定され、幾多の苦労と様々な技術の進歩によりながら、1994年それはレプチンとして発見、報告。しかしその働きは当初想定されたほど単純ではなく、レプチン血中濃度上昇で食欲が直接抑制されるものでないことがわかる。適度なレプチン濃度は身体が十分エネルギーを蓄積していることを知らせ、痩せてレプチンレベルが低下すると、強力な食欲を惹起するという。すなわち広い意味での食行動と連動した長いスパンでの働きがレプチンにはあるというのだ

レプチン発見から食欲と食行動の脳内機序が解き明かされた

   

食欲の昂進と抑制、栄養状態という長いスパンはレプチンが情報源となり空腹というより短いスパンでは血糖レベルがその情報を視床下部(弓状束)に伝える。情報に答えるニューロンは様々で、さらに線状体にある側坐核という報酬系にその情報は伝わり、食行動が惹起される。これだけでも複雑だが話はもっと複雑で、なかなかついて行けない。

食欲と食生活

本の後半三分の一が神経性食思不振症や大食症、生活習慣病の話、肥満は遺伝する、肥満者をみていると大食となるなど、エピソディックに語られ、最終章は「食欲に関する日常の疑問」となる。全体バランスを考えた章立てなのだろうが、最後の二章は蛇足に近い。

全体としては食欲に関するサイエンス読み物として読み応えあり

食欲の根元に始まり、レプチン発見から様々な食欲に関わる脳内物質が落とすことなく網羅され、内容は複雑で素人がすべてを理解するのを困難にしている。しかし食欲のサイエンス本としてはしっかりした内容で最後に引用文献も記載され、本書は先生の前著『睡眠の科学』同様に手元に残したい一冊と感じた次第である。



[IS-REC] 2013年1月 私の運動記録から

201301月運動実績

暮れから正月にかけた期間中Fitness Clubが休業することや積雪で屋外散歩がままならないという思いが幸いしたらしい

   オムロン歩数計walking Styleによる運動記録から2013年1月の運動状況を振り返る。1日平均歩数9530歩、しっかり歩数(運動歩行)5200歩、月間歩行距離160㎞以上という予想外の目標を上回る成績だった。特に後半の週はつらい気持ちを押しながらほぼ毎日夜半のfitness Club通いを続けた。

fitness Clubジムでのトレッドミル走行は、軽音楽を聴き流し、その曲数を数えながら時速10㎞以上のペースで走る事としている。耳にする軽音楽10曲以上、15曲を目標に走ると、1時間オーバーとなり、トータル10㎞以上の走行距離となる。オドメーターで距離を確認しながら走ると途中で辞めたくなる誘惑に駆られるので、曲を数えて走るこの方法が私に合っているようだ。

   2月は28日と短い。このペースでできる限りfitness Club通いを続け、月間距離を維持したい。今月の成績は、自分に“御苦労様”の心境で眺めました。

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