2018年6月8日金曜日

[IS-REC/MyLIFELOG]■2018年06月08日(金)薄曇り

「せめて朗らかでありたい」

今日は一日夏日の予報。いつもの時間に起きてトレッドミルランニングを行う。2日間、都合で運動しなかった事があり、その休養効果で今朝はややハードな運動となる。
時間54分、速度9.27kmh、距離8.34km、平均HR124bpm、消費カロリー417kcal.(グラフ)、

汗を流した後の朝食はいつもの定番メニュー。
蒸し野菜・目玉焼き・アンコウ肝和え・納豆・塩シャケ、黒大豆入り玄米ご飯と油揚の味噌汁(写真)
食後いつもの時間に出勤、オーダー端末前に座って指示受けと指示出し作業も変わらず。今日はそして外来日。リハセンからA先生の診療支援ある日。しかし午前中は彼の支援があっても休みなく患者さんに対応し、必要な処置に追われる。午後1時30分から都合で早い時間帯にリハビリカンファランス開始。今日は私の患者さんのみ5名。重症者が多く、却って方針が明確で意外に早く終了する。午後3時30分からは病院全体会議(職域代表者会議)。会議は約1時間で終了。今夕は遅番担当で当直ドクターが来るまで待機となる。このため午後7時に帰宅。帰宅後、まもなく夕食。夕食は“軽め”を意識したメニューだが、特に“イカのマリネー”はあっさりして美味しかった(写真)

さて、自分自身が高齢となり、診ている患者さんも高齢でフレイルであり、認知症検査にも乗らないような知的障害を合併する方が多い。そういった患者さんを相手にして、仕事は非効率。無論、自分の能力低下もあり期待通りに事が進まないことが多くなった。一方世の中は、フェイクにあふれ、自分の行為・行動に責任を取ろうとしない政治家が国を操ろうとしており、将来への危惧と同時にこういった状況が不愉快このうえなく感じる。そういったとき、先日の新聞記事に載った後藤雅文の「朝からロック:せめて朗らかでありたい」が眼を引いた(冒頭・引用記事は朝日新聞、2018/06/06)自分の内的世界・周辺世界が共に気がつかないうちに少しずつ悪い方向へ変わってゆくように思えてしまう。それに慨嘆しても始まらないがこの記事を読んで、せめて自分自身もやはり“朗らかでありたい”と思うこととした次第である。

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