2013年10月21日月曜日

[IS-REC] 焼石登山も雨にたたられて

前日の好天とうって変って朝から雨模様コラージュ用

  2013/10/20[日]早朝5時秋田出発で、岩手県側から焼石岳へ向かった。19日土曜の秋晴れ戸うって変わって、朝から小雨模様。国道13号線を上り、一部高速道を利用。錦秋湖PAでトイレ休憩後、北上西インターで降り、いくつかの国道を通って397号線、尿前林道から中沼登山口へ向かう。途中、3台連続した車とすれ違うこととなり、狭い悪路でえらい苦労を強いられた。

  何とか登山口に到着した午前8時過ぎにはシトシト雨なからすでに10台以上の乗用車が止められている。ゴアテックス雨具をしっかり着込み、ザックカバーをリュックにかけた万全装備。午前8時40分登山開始。20131020水沢焼石岳16登山道は整備されているが、雨で濡れた木道はツルツル滑る。ブナやカエデの紅葉、道に敷かれた落葉は紅葉シーズンたけなわの感。上沼、中沼に至るコース途上は降りやまない小雨でそろそろ水たまりが多くなる。

中沼湿原の紅葉は見事

20131020水沢焼石岳09

  中沼とその周囲取り巻く湿原の紅葉は見事だった。しかし雨とガスにけぶって遠方は望めず、背景ぼかしの幻想的雰囲気。写真を撮ったもののカメラレンズがたちまち雨に濡れてしまう。約2時間でつぶ沼コース分岐に至る。雨は一向に降りやまず、小休憩なしで銀明水に向かう。銀明水の標識ある広場、水呑場を横に見て赤い屋根の銀明水避難小屋に到着。午前11時。

  焼石頂上はここ銀明水から2.7km。体力はあっても小暗い雨模様の天候で無理に頂上目指せば下山途中で暗くなることが予想され、ここで引き返すことを決定。小屋の中で食事中の他グループと一緒に早い昼食。また汗と雨で濡れた上着と肌着を着替えた。銀明水避難小屋はまだ新しく立派なトイレもあって10人以上が宿泊できそう。

  雨の降り続く帰路の登山道ははすっかり小川の状態となり、しっかり両手に杖を持って慎重に下山。このため下山は想像以上に時間がかかってしまった。近くの温泉で汗を流し、着替えして午後7時過ぎに帰秋。

  最近の山行はずっと雨に祟られている。これも異常気象の影響だろうか?好天祈って次回に期待するしかない。

2013年10月18日金曜日

[IS-REC] 2013年9月、私の運動記録から

9月前半は力みすぎで×

201309月運動実績
     9月3日、富士山登頂から戻り、新たな気持ちでFitness再開を宣言した。しかし気持ちは力んでも、あれこれ仕事が重なり、力みすぎの結果として最近にない不満足な結果を残してしまった。月の半ばまでの Night Fitness“出勤”は4日のみ。それでも前半のていたらく振りを補うように後半、特に第四週はよく頑張った。
  オムロン“Walking Style”、9月の月間記録を一見して、月後半のオレンジ色部分 (“しっかり歩行”)がこの月ラストの踏ん張りを物語る。1日1万歩を超えて運動したのは数えて計8日しかなかった。平均1日歩数7164歩、しっかり歩数3343歩に留まっている。やはり、多かった週末業務や出張・帰省旅行、研修などが影響したことは厳然たる事実。

  10、11月も多忙な毎日が続く。引き続きコツコツ、粛々と健康維持に努めてゆくしかない。

[IS-REC] 宮城県笹倉山“ハイキング”

国道使い秋田から宮城へ山越え


  2013/10/06日曜日、早朝5時に秋田を発って、13号線を上る。横手-湯沢-鳴子経由で大崎へ。457号線から七つ森『笹倉山』登山口へ向かう。途中、釣鐘形の連山“七つ森”が望まれる(上記写真下)。天候曇り。

笹倉コラージュ2  御門杉の標柱を過ぎて鬱蒼とした杉林を通り、姥坂の石(上記写真左最上)、亀の石(正式には“亀の子岩”明治元年の戊辰の役に従軍した近隣村民が山頂薬師如来に献上する目的で岩肌に彫ったものという)などのキーポイントを超えて整備された登山道を行く。笹倉山は標高507mで、仙台市民のハイキング場所となっている。しかし山道は始めからずっと登りが続いて薄曇りだが息がはずむ。登り始めより上着のシャツを脱ぎ捨て半袖肌着一枚にリュックを背負い頂上まで行った。

  頂上には薬師如笹倉山131006 (20)来の安置された薬師堂があり、笹倉山頂上の標識にはスタンプラリー用の印判が用意してある(但し、印肉はない)。また、これとは別に草むらの目立たない所に“三等三角点”が立っていた。頂上からの視界は生憎曇ってガスがかかり不良。下山直後が降り始める。今回はほとんど雨に当たることなく幸いであった。平沢交流センター“かっぱのゆ”に漬かって帰秋。

2013年9月17日火曜日

[Med-REHA] リハビリ健康教室 in 秋田県南部福祉エリア(大森)2013/09/14

リハセン主催の県南部福祉エリア「リハビリ健康教室」開催 ~今年で12年目

130914リハビリ健康教室-001今回で12回目となる恒例「リハビリ健康教室」を秋田県南部老人総合福祉エリアで開催しました。医師1、PT2、OT2、医療連携科スタッフ2、および事務部スタッフ1の総勢8名が会場となった南部福祉エリア内のコミュニティセンターにでかけ、現地で昼食のあと、午後1時から開始しました。参加はエリア内施設で生活する方々を中心に約30名でした。

130914リハビリ健康教室高山久俊エリア管理者の挨拶のあと、「ボケを予防し健康に生きる習慣の力」と題した講話、健康体操の「いけいけドンパン体操」、希望者を対象としたリハビリ健診(認知と運動機能)および健診結果をみながらの医師による健康相談を引き続き行いました。今年も新しい参加者が多く、健診についても継続して受診された方は数名程度に留まりました。

健診受診者の多くは健診結果でみた認知・身体機能良好で、その結果に満足していたようです。それでも健康不安は誰しも同じ、普段の身体不調や、普段のかかりつけ病院での治療内容、投薬内容など、日頃不安に思っている点の相談が多かったようです。

次年度は「敬老の日」に開催予定

エリア外の参加者が少ない事もあり、エリアスタッフ友相談して、来年は「敬老の日」に合わせて各種イベントと一緒に行う予定といたしました。

2013年9月16日月曜日

[IS-REC] 遠野三山・石上山登山も台風影響の雨の中

当初目的の六角牛山はアクセス道路地割れで断念六角牛山登山道アクセス

  遠野三山である早池峰山、六角牛山(ろっこううしやま)・石上山は岩手県遠野盆地の遠野市を囲む三山。早池峰山が花の山でもあり有名。去る8月、早池峰山に登山を計画していたが、集中豪雨直後の影響あり断念。今回はやはり三山の一つで美しい山容を誇る六角牛山(1294m)を登山する予定を立てた。早朝5時、秋田出発。台風18号接近の影響で、“昼近くには雨”の天気予報。雨に当たらず登山できることを願いつつ遠野を目指す。国道283号線から六神石神社の鳥居をみて登山口へのアクセス道路を進む。しかしアクセス道入り口すぐに、“通行止め”の標識あり。特に道路は封鎖されていないため、そのまま進行。ところが写真の通り、路肩は崩れ、道路至る所に地割れが発生。おそるおそるその地割れを避けて車を進めるがどうしても越えがたい難所に遭遇。登山口までまだ相当あるため、ここで潔く六角牛山登山は断念した。

登山口まで舗装された石上山登山に変更

  予定の登山を登山口まで舗装された石上山へ急遽変更。283号線から396号を経て石上山登山口へ。登山口に到着した午前10時30分頃には既に小雨が降り出している。蒸し暑さを感じて雨具は上着のみ。リュックを止め、飲料水と簡易食料を携行して早速登山道を進む。「姥石」を過ぎてまもなく、“石上山登山口”と書かれた二番鳥居をくぐり、背高い整然と植林された杉林道の間を越えて広葉樹の森に入る。  苔むし朽ちて体重をかけると折れてしまいそうな丸太橋をいくつか渡り、“水呑み場”、“馬止め”、を過ぎると道は急に傾斜を増す。雨は昼近いこの頃から序々に本降りとなる。ナラ・ブナ・カエデ・コシアブラと山道脇の木々に名前が施され道は整備されており、雨でなければ登山ももっとルンルン気分であったろう。しかし雨の中、足元は滑りやすく緊張を強いられる。

登山は中ノ宮で断念、中ノ宮の立つ巨岩に大文字草が・・

  石上山中ノ宮  頂上近い鎖のぶら下がる急斜面を登り切る頃、雨は少し小降りとなる。中ノ宮から頂上に至るには鎖で作られた鉄梯子を登るか、起伏激しい迂回路を行くしかない。鉄梯子は雨で滑り易くなっている。不要な危険は回避することとして、結局これ以上の登山は中止。

  中ノ宮は巨岩の上に建立され、“中ノ宮三角点”標識が巨岩の中に埋められている。巨岩と中ノ宮の間にできた人工のトンネル壁面岩肌には大文字草やアキノキリン草が咲いていた。時間は午後1時近い時間。空腹でもあり、雨の中で記念写真を撮って、早々に下山。

異常気象の影響?登山は悪天候続き

  異常気象や台風の影響なのか、今回登山も天候に恵まれなかった。地震や集中豪雨の爪痕も残っている。登山は低地の場合を含めて、今後とも周到な事前情報収集としっかりした登山計画で臨む必要がありそうだ。

2013年9月13日金曜日

[IS-REC]岡田正彦著『人はなぜ太るのか』(岩波新書)をG.トーベス著の同名書と比べて読む

ヒトはなぜ太るのか2

 先頃読む機会のあった、G.トーベス著『人はなぜ太るのか』を検索していたとき、まったく同名の書が岩波新書から出版(2006年初版)されていることを知った。著書は岡田正彦氏である。

「肥満を科学する」と副題ついた本書の構成

 本書のプロローグ。太りすぎたある患者さんの、“食べる量を十分減らしても太ってしまう“という言葉。そしてその回答を求めるとして、“肥満を最近のデータで科学する”と本書のねらいを示す。後の構成は、第1章:肥満の仕組み、第2章:肥満をはかる、第3章:肥満はなぜ健康に悪いか、第4章:健康的にやせるには?、という構成。核心は第1章。第1章では「太る」という言葉の定義「脂肪などがついて体重が増えること」を仮に挙げて、からだを構成する成分のうち、唯一タンパク質のみ遺伝情報に基づき人のからだを再生する、それ以外の脂肪や水分は物理法則に従って自然に構成されてゆくと説明する。

わかりやすい三大栄養素の消化と代謝の説明

 代謝酵素そのものや運動を起こすのに必要な筋肉など、すべてタンパク質である。タンパク質は摂取されると胃腸でアミノ酸まで分解され、代謝が昂進した特殊な状態でない限り、再利用されることなくユビキチンがついて分解され排出されてしまう。すなわち、エネルギーとして利用されるのはごく少量だという。一方、炭水化物の多くはスターチ(でんぷん)。スターチは動物のグリコーゲンに相当する植物(食品の基本)の貯蔵糖である。スターチは摂取すると消化吸収されてブドウ糖まで分解され、エネルギー源となる。エネルギーに使われなかった分は肝や筋肉で貯蔵糖(エネルギー)のグリコーゲンに変えられる。だが炭水化物すべてが貯蔵エネルギーとはならず、実は多くが脂肪酸に変換され、中性脂肪となり、皮下や内臓に蓄積されてしまう。したがって炭水化物のとりすぎは肥満の原因である。

 栄養素としての脂肪の役割は体を構成する細胞やホルモンなどの原材料となること、およびエネルギー源である。後者は肝臓で一旦分解され、必要に応じて中性脂肪に再合成される。

 以上、ここら辺りの説明は一般向けでとてもわかりやすい。

肥満と食事の関係について岡田氏の主張

 著者は、“太る食品”についての疫学的データを紹介している。それによると、男は甘味類すなわち糖分、女は脂肪を多く摂ると太るという比較的明快な結果が出ている。しかし肥満自体や脂肪の付き方など、個体差や人種差が大きく、背景に遺伝形質の違いが考えられると述べている。ここで肥満をもたらす食品としてジャンクフードに触れている。ハンバーガーは脂肪と炭水化物が多い。特に脂肪は1個で一日必要摂取量の40%にもなり習慣的に食べていると肥満になるのは当然であろう。

G.トーベスの主張との違いは?

 2006年に出版された岡田氏の本書、2010年出版のG.トーベスの著書、この主張の違いをみる。人が太ること、ないし食事と肥満との関係について、二つの本の主張に矛盾はないが、後者の主張と結論は明快である。

 

G,トーベスの著書は後で出版されただけ、文献渉猟も網羅的であり、また肥満の問題について、その歴史についても詳しく述べて説得力がある。

  岡田氏の本書を加味した肥満の原因の結論である。肥満の元凶は三大栄養素うち、炭水化物(糖質)であること。脂肪(脂質)はカロリー源としての熱量は大きいものの単独では肥満の原因とはならず、炭水化物と同時に摂取された時、相乗的に肥満の原因となる。

 岡田氏の本書を追加して読み、肥満との関係でみた三大栄養素の消化・代謝機構の知識がよく整理できた。そして肥満の原因は総摂取カロリーにあるのではなく、糖質過多であることをあらためて再認識した。

2013年9月10日火曜日

[IS-REC] 日体協・公認スポーツDr養成講習会(応用科目)に参加しました

2020 Tokyo Olympic&Paralympicが丁度決まって講習も盛り上がり

  先週末、9月7日土曜、9月8日日曜の二日間、平成25年度の日体協公認スポーツドクター養成講習会・応用科目Ⅰが東京飯田橋で開催、昨年に引き続き今年も参加しました。参加者は昨年の基礎科目に比べると圧倒的に多く、約400名程で広い会場も受講者で一杯でした。

応用科目Ⅰの講義科目

  今回プログラムは応用科目Ⅰ。第一日目は「スポーツと環境」、「内科的障害」、「精神的障害」、「メンタルトレーニング」、第二日目は「ドーピングコントロール」、「スポーツ外傷」、「アスリートの健康管理の実際」、「スポーツと海外遠征」、「スポーツと眼科」の9講義。いずれも国立スポーツ科学センター(JISS)に関係した講師が多く、折から2020年オリンピック・パラリンピック東京招致が決定したタイミングの講習会だった事もあり、講師も興奮気味で講習会という勉強の場にしては大いに盛り上がった次第です。

JISSという、“勝てるアスリートを支える”組織

    JISS(国立スポーツ科学センター)は国際試合で、“勝てるトップアスリートをサポートする組織”であり、障害者スポーツや今後の高齢化社会で健康に役立つスポーツを勉強しようとしている私とはやや目的を異にします。しかしJISSに関わる講師が今回強調していた点は、この私にもとても役立ちました。それは目的こそ、“勝てるアスリートを支えるためのサポートチーム”編成ですが、チームアプローチが一人のアスリートの抱える問題を最も有効に解決できるという事で、これはまさにリハ医学と共通した考え方だと思いました。

アスリートを支えるサポートチーム

  アスリートを支えるサポートチームは現在少しずつ具体化しつつあり、怪我や疲労に対するマッサージャーやトレーナー、内科的・精神科的問題あるいは整形外科的問題をサポートする医師、メンタルサポート、栄養管理、ドーピングの面から重要な薬剤師など、様々な専門職種がチームを組んで一人のアスリートを支えます。そして、このアスリートを支えるチーム(医療+α)態勢整備が今後東京でのオリンピック・パラリンピック開催に向けて日本がたくさんのメダルを獲得するのに重要な鍵となると強調されていました。

  “チームアプローチ”は、トップアスリートのサポートに限らず、対象とする一人の人間が抱える問題について、チームを組み、各自の専門性を活かしながら多職種で問題を解決する方法です。どんな人を対象とする場合でも、その人の体力や能力・健康の維持に共通したサポートチームが大切です。まさに、“トップアスリートを支えるサポートチーム”も、見かたを変えれば障害を持った方を扱う“リハビリテーション・チームアプローチ”と同じようなものです。

  今回の講義ではスポーツと環境について、厳寒の環境や高地での低酸素状態、女性アスリートに多い貧血の問題、“アスリート=強い人間”という先入観から意外に孤高を強いられるアスリートの“うつ“の問題など、新鮮な知識も勉強できて収穫がありました。次回は12月の予定です。

2013年9月4日水曜日

[IS-REC] 2013年8月、私の運動記録から~8月実績はまずまず

201308月運動実績

201308月運動実績

“継続は力なり”:富士山登頂後の筋肉痛とれ今日からFitness再開

   オムロン“Walking Style”、8月の月間記録をみると、後半オレンジ色の部分 (“しっかり歩行”)が多くなりよく頑張ったことがわかる。1日1万歩を超えて運動したのは17日だからまずまずの成績。

   8/29~8/31の富士登山は最終日が1.5万歩となるが、登り主体の29、30日は強風続きで待機時間が長かったこともあり、歩数はさっぱり稼げていない。9月も週末業務や出張・帰省旅行、研修などが入り目標とする月間運動距離の達成がなかなか難しそう。富士登山から秋田に戻り、二日目。筋肉痛もとれ、9月3日の今日からFitness再開である。健康維持のFitnessは疲れを倍加するものではなく、こころと身体、頭の疲れをとってくれる妙薬。9月も引き続き粛々と健康維持に努めましょう。

2013年9月3日火曜日

[IS-REC] 堤未果著『(株)貧困大国アメリカ』を読む

オバマへの幻想を打ち砕く、“多国籍企業と1%のための株式会社国家”アメリカをあぶり出した本

   堤   未果の前々著である『ルポ貧困大国アメリカ』(2008年)は市場経済にまかせた小さな政府を良しとするブッシュ政権時代、格差社会と貧困層が増大するアメリカの現実をルポルタージュ形式で我々に伝えた好著であった。

   この頃から国民の多くが米国同様に貧困と格差社会が進行してゆく日本に危うさを感じ、アメリカに従属し、アメリカをモデルとする事に何らためらいをみせない当時の小泉内閣、更に続く自民党政治にノーを突きつけて民主党政権が誕生した。

   しかし政権を引き継いだ民主党政権も結局のところ腰砕けとなり、自民党政治が再び復活した。自民党そして民主党政権も、詰まるところアメリカ言いなり、アメリカ従属にも何らためらいを見せない現実。この二大政党に失望しつつも国民は経済再生に幻想を振りまいた自民党・現安倍政権に支持を託した。そしてTPPという関税自主権を放棄するに等しい亡国的政策もマスコミや御用学者によって日本回生の切り札となるかのような宣伝がなされて一定の期待が持たれる現実が今も続いている。

“自由と民主主義の国アメリカ”は既に幻想、オバマは“1%のために”を喝破

   本書、『(株)貧困大国アメリカ』は、米国民自体が既にTPPを推し進める勢力によって格差と貧困の負のスパイラルに貶められつつあることを如実に伝えている。前々著同様に様々なルポや統計的数値を駆使して説得力ある記述を展開しているが、TPPの危険性を理解する上でも、“食の安全”に関わる様々な米国内での現実を知る必要があり、この点についても本書は詳しくルポしている。養鶏や養豚での生産効率化、巨大産業化によって多くの生産農家が系列化される一方、それを支配するアグリビジネスは巨大化し、抗菌剤や成長ホルモン漬けの鶏や豚が市場に出回っている。食糧の法的規制は形骸化ないし骨抜きとされ、良心的小規模自営養鶏・養豚業者は次々と廃業に追い込まれる。雑草や自然災害に強いGM種子を使った主食作物を扱う小規模自営農家も然り。アグリビジネスに牛耳られ、多額の借金を抱えた農業労働者に変えられてゆく恐ろしい実態を克明に描写されている。

   多国籍企業やアグリビジネス、巨大製薬業などを経営する1%の人達に富は集約し、そのカネで政治や政策、法律さえ買える仕組みが既に出来上がっているというのだ。大統領が共和党から民主党に代わっても、ロビイストがそのまま政権中枢に入り込む、“回転ドア”がオバマの元でもスムーズに機能しているのだ。国民には民主党と共和党の表面的政策の違いが事の本質の如く喧伝される。しかし実態は1%のための政策が着実に実行に移されているのだ。すなわち、大統領選挙キャンペーンで並べられた、政策の“きれい事”もまったく実現しないばかりか真逆の方向に向かってしまっている。マスコミ(主にTV)に流されるアメリカの政策は実のところ、共和党も民主党も大差ない。その実は多国籍企業やそのオーナーである1%のために都合良いように進められており、その視点でその後の結末を眺めると良く理解出来るそうだ。

GM種子とGM作物による世界支配の意味

   食糧危機が叫ばれ、その収量や災害に強いという触れ込みで小麦や大豆、トオモロコシにも遺伝子組み換え(GM)品種が導入される。緊急食糧援助を口実に発展途上国やアフリカなどにもこのGM品種がどんどん植え付けられてゆく。アグリビジネスでは、その品種の種子を購入する代金から、GM品種以外の“雑草や害虫”を駆除する農薬代金、その特許料までまるまる儲けが転がり込む仕組みが出来上がる。一方伝統的品種はGM品種とセットで導入された農薬により根こそぎ使用困難となる。メキシコやアルゼンチンでは、労働集約と収量増のため農地の大規模化が進み、その農地にGM品種が一律蒔かれて生産される仕組みが出来上がった。その結果はその地の農民の食糧確保さえ困難な現実となって、食糧暴動が頻繁に起きているという。また食糧生産をその種子から農薬まで輸入に頼らざるを得なくなったとき、その輸入元の国(あるいは多国籍企業)に首根っこを押さえられたと同じこととなり、外交上の大きな弱点となる。

GM作物を餌とする家畜への影響、養豚・養鶏の集約化・増産を進めるための抗菌剤・成長ホルモン投与の怪

 

   米国内で進行する様々なアグリビジネスは、食糧を口にする国民の健康を大きく損ねる可能性がある。GM作物を餌とする家畜の発癌や奇形・早産・凶暴化など、様々な報告が世界の各地から上がっている。しかしそれらの事実も多国籍企業とその金権力に汚されたマスコミ・医学研究者などにより悉く表面化されないように仕組まれて、GM飼料作物・食品の安全性のみが強調される。牛肉や牛乳、養鶏・養豚で生産される各種のタンパク源もその品質表示や品質確保があいまいにされ、将来ヒトへ大きな健康被害がもたらされる可能性が高い。

   TPP交渉の結果どうなるかは、FTAで韓国の農業や畜産業が崩壊に瀕していることでも理解出来る。しかし、それ以上に怖いのは日本で安全な食糧確保が困難となり、米国などから輸入される安価だが健康被害がもたらされる可能性の高い食品が広く流通することだ。食品の安全性を担保出来ない食品輸入は何としても避けなければならない。

医療や製薬、教育にも大きな影響が・・・そして1%は相互扶助の義務からも上手に免れることを考えている

   米国では医療制度や自由に手に入る医薬品、保険、教育も1%が支配するようになり、結果的に富の集中とますますの格差社会が進行している。1%は残る99%に富を再配分する非効率を避けるため、自分たちだけの社会を実現する独立自治体すら結成し始めているという。「政治も政府そのものもカネで買われ株式会社化したのが今のアメリカの現実である」・・・・堤   未果の本書の結論である。この本を読んで、日本はこうなって欲しくないとしか言いようがない。TPPから撤退して欲しい、そして、日本にふさわしい地産地消の、 “里山社会主義とその経済体制” を打ち立てて欲しい。

2013年9月2日月曜日

[IS-REC] 2度目の富士山登頂は強風の中で

異常気象と台風接近による影響?富士山は強風が吹き荒れました

8月29日秋田発、阪急交通社の富士登山ツアーに参加

   2010年の富士初登山は、8月第1週、山小屋一泊のツアーに参加した。バスツアーで結構ハードスケジュールだったが、参加者はベテランが多く天候にも恵まれてとても良い経験だった。2回目の今回は初回と同じツアーは満杯で、阪急交通社のツアーを利用。登り・下り、それぞれ山小屋一泊のゆったりペースのスケジュールだったせいで、41名の参加者の多くが女性か老夫婦。私は一人仲間からはずされた感じの参加で、往きも帰りも黙々と歩き続けるよりなかった。

29日夕方、富士五合目・吉田口到着、七合目“花小屋”に着く頃はヘッドライトが必要な程真っ暗

   吉田口で最終日に必要な風呂グッズや登山に不要な持ち物を預けて午後4時30分過ぎ登山開始。薄曇りで風もなく、なかなかの登山向きの状況。しかし現地のツアーコンダクターの方針でやたらと休憩が多い。休憩の都度バックを降ろし、座った状態での水分とカロリー補給を指示される。高齢者や初心者が多いから仕方がない。初日宿泊予定、七合目の“花小屋”に到着する頃はすっかり日が落ちて、ヘッドライトがないと歩けない状態。この時間帯での登山者はさほど多くはなかった。

ぎゅうぎゅう詰めの寝床にびっくり

   たたみ1畳のフトンに二人が休む非生理的環境で休めたものではない。折角持っていった着替えも出来ないが、幸にもこの時期の空気乾燥のためか、ほとんど汗はかいておらず、下着も乾燥している。不思議とこんな状態でも朝方数時間は眠っていたらしい。強風でガタガタ揺れる壁・屋根・窓枠の音で目が覚める。雨は降っていない故、御来光が拝顔出来るとの事で午前4時過ぎには皆屋外へ。屋外はフリースを着ても強風と低温で寒さが身に応える。それでも雲間から上がる日の出で一気に明るくなってゆく雲の向こうの稜線の美しさに、皆は大歓声。

強風が続き予定時間に出発できず

   早い朝食(いなり寿司と味噌汁)をとって出発を待つが予定時刻の午前6時となっても強風吹き止まず。とにかく次の宿泊予定、八合目の東洋館まで行くこととなり、フリースの上に更に雨具を着込んでマスクで顔を覆いサングラスをして出発。この間は滑りやすい岩場が続くため、通常は許可されないブルドーザの通路を利用させてもらうこことなったが、それでも風で飛ばされそうになる。

八合目“東洋館”は雲の中、靄と霧雨・風で登山続行のチャンスをうかがう

   東洋館で登頂に不要な荷物をさらに残して、風の具合を見ながら出発。足場悪く風も強いためやっとの思いで八合五勺から九合目と進み、ここで更に山頂を目指すグループと登頂を断念して引き返すグールプに別れる事となる。

24名が登頂めざし、うち5名が70歳以上

   強風で何度も断念しかけながら、這うように岩場を超えて頂上直前の鳥居をくぐり、やっとの思いで吉田口終着点である久須志神社の標柱にタッチ。登頂目指した24人は怪我もなく、うち5人が70歳以上との事で霧雨の中を万歳三唱。勿論視界が悪くまた予定時間も過ぎているため、“お鉢巡り”は中止。休憩所の東京屋で、“富士山頂上”と書かれたお札を証拠に購入。40分ほどの休憩後、下山にかかる。

滑りやすい岩場を超えて、スレートの舞う下山道を一心不乱に東洋館を目指す

   現地リーダーの指揮が良かったのか、滑りやすい大きな瓦礫の岩場を超え、さらに細かいスレートが風で舞う下山道を一心不乱に歩いた。そして特に事故もなく二日目の宿“東洋館”に無事戻る事ができた。東洋館の夕食はメンチカツと米飯・味噌汁。寝床は薄手の寝袋でやはりタタミ一枚に二人が横となる詰め込み状態。登頂の成功で皆興奮気味であったこともあり、とても眠れたものではない。

最終日8/31夜半から早朝も強風が続く

   小屋の天窓が強風で開いてしまい、寝床の上まで外気が届く状態。しかし寝袋は暖かく案外顔に当たる風は心地よく、寒さはまったく感じない。夜間ずっと風が吹き荒れ、小屋が壊れないのか心配となる。午前4時過ぎ、やはり御来光がみられるとのことで暗い中を起き出す。しかし屋外の風の強さに思わず怯んでしまう。富士山の御来光はすばらしい。この日も東の空全体が濃いオレンジ色に染まり、更に日の出と共に空全体が明るく下界を照らし出す光景にうっとりとし感激。

一方、この日も小屋の利用予定者が多いとの事で、簡単な朝食を済ませてほぼ予定通り午前6時には早速下山開始

   八合目・東洋館からの下山路は大きめのスレートが続く。大きめのスレートの上は滑りやすく足下注意の連続。また細かいスレートになると今度は足を取られて疲労が激しい。風強く休憩をとるような場所もなかなか見あたらない。グループの一人(女性)は疲労激しくザックをコンダクターに背負ってもらい、下山継続。また途中、外国人登山者の一人が捻挫して歩けなくなり、ブルトーザの救援を要請(3万円とのこと)。

正午近く無事吉田口五合目に到着

   到着した五合目登山口の吉田口でも風は強い。しかしその暑さには閉口。ここで預けた荷物を整理し、山中湖温泉(紅富士の湯)に向かうバスを待つ間、ソフトクリームを食べた。そのおいしかった事。山中湖の温泉で汗とほこりとを落とし、頭を洗って、ひげを剃り、真っ黒になった耳孔も洗って着替え。これですっかり生き返った。

   “お鉢巡り”は断念したが、すばらしい御来光を二度も拝顔できた今回も印象に残る富士登山だった。事故なく戻れたことに感謝。

2013年9月1日日曜日

[Med-REHA] センター・リハビリテーション科、“常勤医師・研修医募集”のポスター作りました

3縦型リハセン医師募集ポスター

●日本リハビリテーション医学会では来たる2013/07/06[土]に初期研修医とリハビリテーション科へ転向希望の医師を対象に『初期研修医向けリハビリテーション研修会』を計画しています。

この研修会場にポスター展示の機会が与えられました。

●高齢化社会到来で、そのニードはとても高いのにかかわらず、リハビリテーション科医師自体がまったく希少な存在です。

我々の持つ技術を我々のセンター内で継承するためにも是非とも、“若手のお医者さん“欲しいですね

こんな姑息な宣伝で医師を確保するなど、望み薄なのは十分わかってますよ!! でも欲を言えば、内部障害のリハに興味のある先生が欲しいですね。それに外科系臨床経験のある先生、さらに・・・

●欲を言えば切りありません。勿論、ベテラン臨床医の先生は何科であれ大歓迎です

●秋田県にあるリハビリテーション病院にふさわしいポスターデザインを採用しました。ご鑑賞・コメントをください。

2013年8月26日月曜日

[IS-REC] 『山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた』を読んだ!!

日本医師会(広報・情報課)からサイン入り山中伸弥先生の表題本をいただく


  山中伸弥2本書は山中先生のこれまでの医師・研究者人生の歩みと今ホットな医学トピックである“iPS細胞”について一般の方にもわかりやすく脚注付きで解説した本である。多忙な山中教授に代わってジャーナリストの緑 慎也氏が先生から直接聞き取りをして一冊の自伝としてまとめ、完成された。 

小生、幸いにも山中先生サイン入りの本書を医師会から頂戴するチャンスに恵まれたので早速読んでみだ。

“現役で医師・研究者を人生ランニング中”


 気さくさ、失敗を隠さない率直さ、そして人間くささは先生の大きな魅力であるが、50歳そこそこでノーベル医学生理学賞に輝いた偉人であることに違いはない。無論、現在もアクティブな研究者として、またそのオーガナイザーとして活躍中であり、同じ医師人生を歩んでいる者として親近感を抱き、全く遠い存在に思えない感覚をもつのは私だけではないだろう。

整形外科医から基礎医学へ


  大学医学部に入るまでの様々な経験、特に両親の影響や愛読書からの影響、そして柔道など、学生時代のスポーツで何度も骨折した経験から医師となった。卒業後は整形外科医としてスタート。研修医時代、不治の病に苦しむ患者をもっての苦悩や自分の外科医としての限界を感じて基礎医学に転向。

 この辺りの心の動きも決して格好良いものでなかったことを率直に認める。神戸大学から大阪市立大学薬理学の大学院に進み、そこでの研究から同じ基礎医学でも毛色の異なる胚性幹細胞の研究にどうしてつながって行ったのか?、留学先でのさまざまな経験、特に研究能力のみならず、発表(プレゼン)能力が如何に大切かを教えられ、学ぶ機会を得たこと、帰国後の彼我の研究環境の違いからうつ状態が続いたこと、そして幸運にも新しい奈良先端科学技術大学に勤めて米国での研究を日本で発展させる素地を作ったこと、すばらしい後輩や仲間に恵まれ、iPS細胞の開発につながっていったこと・・・まさにドラマチックなストーリー展開で、ある種冒険小説でも読むようなわくわくした気持ちで一挙に最後まで読み進んだ。

「バテずに走り続けること」


  本書で印象に残る言葉は、本書最後に近い部分で緑氏のインタービュー形式で語られている。「僕の使命は、マラソンと同じように、患者さんにこの技術を届けるまで、バテずに走り続けることです」・・・研究そのものも、また多額な費用をかけて研究体制を維持し続けることも、とてつもない重圧であることを尋ねられたときの答えである。崇高な使命を目標として走り続ける若いノーベル賞受賞者に相応しい言葉ではないか。

2013年8月5日月曜日

[IS-REC] 自分の考える“日本語力”を鍛える

「理科系の作文技術」から考える
小学校からの英語教育必修化が決まった。英語の早期教育については以前から批判多く、自分の体験からもどうも賛成出来ない藤原正彦がその著書で“英語を究めるにはまず国語力が大切”と書いていた。その通りだと思う。最近、この国語力、すなわち日本語力に関係した一文を読んだ。風通信2013年春号に原 優二氏が書かれた巻頭エッセイ『「理科系の作文技術」から考えること』である。ここで紹介されていた、木下是雄著「理科系の作文技術」井上ひさし著「日本語教室」(新潮新書)に興味を持って、早速取り寄せて読んでみた。ただし、木下の本は1981年9月出版だから中古本をアマゾンから購入するしかなかった。この2冊は自分が最近考える日本語力を鍛えるにはなかなかの好著で参考となった。ちなみに私の今考える日本語力とは主に文章を書く国語力のこと。話す力はその内容はともかく、国語力に左右されずベラベラ話す者も多いのであまり想定しない。さて、日本語力を鍛える好著2冊の要点をここで紹介する。

木下是雄著「理科系の作文技術」の教えること

(1) しっかりした文章の組み立て、要点明記、あいまいさを避ける、特に日本語で好まれがちな婉曲表現や結びに断定を避けたがる傾向を極力排すること、・・・これらは十分うなづけるし、ワープロ使用で文章構成や言葉の推敲が容易となった現在では皆考えていることだろう。婉曲表現を好み、断定を避けたがる傾向は理科系文章に限らず外国語と対照して考えると、やはり極力排除する努力が日本語力アップにつながる。

(2) パラグラフのトピック・センテンスを意識する。パラグラフには、その中で言いたいトピック・センテンスを最初の方に持って来る。パラグラフを構成するそのほかの文章はトピックを説明・修飾・補強するもの。・・・私も無意識にこうした書き方はしていたのかも知れないが、これを意識するか否かで読む方のわかりやすさが俄然違ってくる。今書いているパラグラフで言えば「パラグラフのトピック・センテンスを意識する。」がまさにトピック・センテンスとなる。

(3) 事実と意見を峻別する。事実を事実として明記し、それを明瞭に述べることで自分の意見への説得力が増す。

(4) 簡潔な表現、短い文章、格の正しい文表現に心がける。大江健三郎のノーベル賞受賞講演で、あえて格の不明な「あいまいな日本の私」をタイトルとした件については井上の著書でも触れられている。これらの点を意識して文章を書くのも日本語力を鍛えるのに役立ちそうだ。

(5) 読みやすさへの配慮として、文章の仮名と漢字の量、接続詞は原則仮名にするなど、標準的記法として“字面の白さ”を考えること。この主張はなるほどと思ってしまった。

井上ひさし著「日本語教室」の教えること

(1) 現代日本語の成り立ちは、縄文以来の日本人、日本国家の成り立ちを考えると理解できる。生産手段を持った有力な民族が渡来すると、それまでの民族・部族は従属を強いられ、言語も渡来民族のものが優勢となる。しかし、その過程で帰属民族による有力民族言語の簡略化が起きる。ピジン語である。ピジン語は従属民族の子に引き継がれて定着してゆく。さて、日本語と英語は言語としては対等関係であり、日本語は英語のピジン語ではない。しかし現在は英語が世界的に通用する言語として優勢であり、どんどん日本語の中にもカタカナ語として英語が入ってくる。これは好むと好まざるとに関わらず、言語のグローバル化現象である。要は日本語に置き換えが困難な言葉は致し方ないがカタカナ倒れにならないこと、他方、漢字倒れにもならないことが日本語力を鍛える心構えである。

(2) 芝居で使われる言葉は漢語より、“やまとことば”だという。台詞で語られる“やまとことば”は特に頭の中で翻訳されることなくそのまますうっと入る。漢語はワン・クッションの翻訳過程が入るのだ。漢字は表意文字であり、その組み合わせで初めて生きてくる。漢字一字は抽象的だが複合するととても具体的で生き生きしてくる。

 井上ひさしのこの本ではこのほかにも日本語文化論的なエピソードがさまざま語られるている。この本の成り立ちが上智大学での「日本語講座」を元としているためである。日本語に限らず時代の流れに沿って言葉はどんどん変化する。現代の日本語に通じ、昔のものも読める日本語を維持・継承してゆく力量が井上のいう日本語力なのだ。

帰納法から演繹法への転換を

 はじめの風通信に戻る。原氏の一文で参考となった第一点は、“帰納法から演繹法への転換を”という事。沢山の事実を情報として挙げ、自説を主張しても所詮すべての事例を知りそれを網羅することは不可能だ。帰納法的に主張の普遍性を述べようとすると却って無理が生じることもある。数少ない事象から本質をつかみ取る演繹的な思考が必要で、その習慣を身につけることが重要だという。もう一つの主張は、“話し言葉では、人間そのものまで曖昧にする”ということ。話し言葉と同じ感覚で文章を書くと文章も、それを主張する人間自体の考えにも曖昧さを残してしまう。これら2点は日本語力というより思考法の問題だろうがとても大切なポイントである。

 原 優二氏のエッセイに始まって、エッセイに引用された木下是雄氏の「理科系の作文技術」、井上ひさし氏の「日本語教室」を通読した。時間はかかったが自分の日本語力を鍛えるには学ぶ点も多く、とても良い勉強となった。

2013年7月28日日曜日

[IS-REC] G.トーベス著『ヒトはなぜ太るのか?』:肥満・糖尿病、そして生活習慣病予防に必要な糖質制限の教科書そしてバイブルと理解した

メディカルトリュビューン社の一般向けサイエンスブック

 最近の医学教育にどれだけ病態栄養学や実際の臨床場面で必要となる栄養指導の基礎知識が取り入れられているのか私はよく分からない。

 肥満や各種の代謝病では臨床栄養の知識をもとにチームで対象となる患者にさまざまな食事指導や生活習慣こ関わる運動習慣の指導などが行われているだろう 障害を抱えた患者の合併症や障害の管理、広い意味での健康管理は、リハビリテーション医の主要な役割であり、またリハビリテーションにおけるチーム医療の主要な課題でもある。

障害による運動不活発、ストレスによる過食が肥満を含む生活習慣病の増悪因子に

 障害発生の原因として最も多い脳卒中自体が生活習慣病を背景としている事が多い。しかし一旦脳卒中を経験した患者の多くは食生活を含む生活習慣を大きく変えて健康維持に努めている。リハビリテーションに関わる医師やセラピスト、栄養士は嚥下障害による栄養不良、逆に運動過少や不活発と障害によるストレスを背景とする過食で起こる肥満に適切にアドバイスする必要がある。

太るのはホントニ、“食べる量(摂取カロリー)>運動量(消費カロリー)”?

 肥満や糖尿病で悩む代謝病の患者。その患者に対する内科医やそのチームスタッフである栄養士の指導は、バランスのとれた形での総摂取カロリーの制限が指導されているだろう。私もこういった問題の患者に対する指導は、身長で決まる標準体重1kgあたり25キロカロリーとして総摂取カロリーの目安を決め、栄養士に指導を依頼している。総カロリーを減らすと確かに一時的に効果はあるようだ。しかしカロリー制限による空腹感やストレスで長続きせず、残念ながら失敗に終わることが多い。おそらく代謝疾患専門医療機関での食事指導についても似たりよったりだろう。

ヒトはなぜ太るのか?~医療者に求められる科学的再検討

 本書のタイトル、「ヒトはなぜ太るのか?」 この問いに対して、肥満を扱う医師や栄養士を含め多くの者はその理由に、“摂取食事量の過多”、“運動不足“、を挙げるだろう。本書の著者はまず第一に、肥満の起こるメカニズムはそもそも生物学の問題であって、摂取と消費エネルギーに関わるIn/Outバランスという単純な熱力学的問題に帰すべきではないではないと釘を刺す。体内で起こる栄養の消化と吸収、そしてその代謝メカニズムは医療者の受ける教育の中でも詳しく触れられたはずだ。そういう教育を受けた我々すら、どういう訳か肥満患者を目の前にしてその治療や生活指導を考える時、肥満の原因を単純な摂取と消費のIn/Outカロリーバランスに帰して、唯一カロリー制限を念頭に置いた指導をする。一方、肥満治療に推奨される運動療法は確かに多くのプラス効果が期待される。しかし、その運動とて減量の切り札とならないことを著者は様々なエビデンスをもとに強調する。それどころか運動は空腹を呼び、その空腹は食事の消化吸収や代謝効率を挙げ、却って体重増加のリスクすらあるというのだ

 貧困で重労働を強いられる人々すべてがやせこけている訳ではなく、また栄養失調に悩む子供を抱えた母親が高度の肥満であったりもする。これらの事実は食事摂取量のIn/Outカロリーバランスだけでは到底説明出来ない。すなわち医療者が現在是としている主要な肥満原因の理解とそれにもとずいた食事と運動に関わる生活指導には大いなる疑問、というより誤りがあると著者は強調するのだ。

肥満をどう正しく理解し、どう正しく対処するのか?


 肥満は体内に蓄積する脂肪増加の結果である。しかし体重増加すべてを肥満とは言わない。成長の過程で起こる体重増加や出産を控えた妊婦の体重増加も肥満ではない。生理的体重増加と肥満は異なる。肥満を正しく理解する鍵は、脂肪蓄積や脂肪消費の細胞・組織レベルでの酵素やホルモンの働きを知ることが第一である。脂肪の消費と蓄積をもたらす酵素やホルモンの量や働きは、ヒトの成長時期や年齢で異なり、また個人差も大きい。

 一方、どういった食品、ないし栄養成分(栄養素)が脂肪蓄積に回りやすく、また同じカロリーでもどういった食品が生体活動エネルギーに利用されて蓄積されにくいか、などを人類発達の歴史にも照らして理解する必要がある。

 本書の結論を急げば、“肥満の元凶”は炭水化物、糖質である。肥満に対する糖質制限の有効性についても長い歴史の中で幾度となく立証されながら、さまざまな事情で無視されてきた。糖尿病に対する糖質制限療法についても未だにその筋の権威から異論や疑義が声高にいわれる。

大いに魅力を感じる、肥満と糖尿病の食事療法“糖質制限療法”

本書は肥満・糖尿病治療に対する糖質制限療法のバイブルだと言ってよいだろう。巻末の文献も充実している。これまで異端視されがちだった糖質制限療法が本書によってさらにさまざまな臨床の場で利用されてゆくと思われる。

2013年7月25日木曜日

[IS-REC]奥信濃・苗場山登山紀行

~前日徹夜の山行はきつかった~

   

7月12日早朝午前3時、激しい雨の降りしき信州苗場山コラージュる中、マイクロバスにて一行11名で出発。国道7号線を下り、途中いくつかの自動車道をまたいで関越自動車道・塩沢石打ICから国道353、405号を通り津南町経由、秋山郷へ。ここから目指す小赤沢の苗場山3合目登山口に向かう。

到着は12日午前11時過ぎ。

   ここ登山口の天候は、どしゃぶり秋田と異なり、雲間に少しの青空と陽射しもみられほっと一安心。でも折からの異常気象の影響で湿気多い標高1310mとは思えない、蒸し暑さを感じる。予定より遅れ気味のためそそくさ支度して、午前11時40分登山開始。信州苗場山急斜面しかし気持ちは急くが私自身を含め仲間は皆、寝不足と足場の悪い登山道でいつになく元気がない。運転していたTさんは無理がたたったのか、メマイを訴えて早々に休憩する始末。結局、いつも元気で健脚のスーパー老人(なんと78歳!!)Kさんと私を含めた数人が先導する形となって、仲間を気遣いつつゆっくり前進。

    4合目の水場を過ぎる頃から道はさらに険しく、両脇はクマザサ、岩場続く湿気のひどい道なり、しかも谷間の道。ヤマブヨ多く虫除けもほとんど無効。両手首、額から耳の当たりが何カ所も刺されてしまった。

信州苗場山の草花   急斜面で鎖やロープの下がる7合目から9合目をやっとの思いで這うように登り詰めると、広大な湿原・池塘が拡がる木道に至る。ここでほっと一息。辺りを見回すと、大シラビソの林に囲まれたいくつもの池塘、湿原、そして残雪の雪原が拡がっている。木道沿いのお花畑はイワイチョウ・ワタスゲ・チングルマなどなど。その中でも感動したのはコバイケイソウの群生。数年に1度しか咲かないという花の群生がいたる処に広がり夢見る想いである。そして木道は頂上に向かって延々と続く。

   途中残雪に覆われて道を失う恐怖感にもかられながら、午後4時過ぎ頂上ヒュッテに到着。山小屋は新しく意外に清潔で寝床で立ち上がれる程のスペースがある。ヒュッテから500m程の頂上に出かけ、一等三角点にタッチ。小屋に戻ってから、遅れた仲間を迎えに行き、何とか全員落伍者なく登頂成功!! 汗ビッショリの衣服を下着からすべて着替え、カレーライスの夕食を済ませて午後7時過ぎぐっすり就寝。13日翌朝、御来光をみるべく午前4時過ぎ起床。しかし厚い雲に覆われた山の天気で朝陽は結局顔を出さず。午前8時過ぎ下山開始。下りも想像以上にきつい。下信州苗場山雄川閣山後、秋山郷の木工所に併設したレストランで山菜おこわを食べ、午後3時に切明温泉・雄川閣に入る。ゆっくり温めの温泉につかって汗を流した。

振り返って

  今回の奥信濃・苗場山登山は寝不足もたたって本当に辛い山行だった。しかし登り詰めた後の大湿原と池塘、お花畑、そしてなんと言っても、あのコバイケイソウの群落は忘れられない思い出となった。事故なく無事戻ったことに感謝!! そしてマイクロバスを交代で運転したリーダーのI会長、Tさんに感謝!!

2013年7月6日土曜日

[IS-REC] 2013年6月、私の運動記録から~6月実績も、“週3回以上の運動習慣”には至らず

“継続は力なり”というものの・・・

201306月運動実績

7月初旬,職場健康診断あり、「あなたの運動習慣は?」「週3回以上はショッギングしています」・・・ホントかな?

6月実績でみると、実際は月の三分の一程度。現実は厳しい。特に隔週日曜の山行、月2回程度の日曜出勤(日・当直)を繰り返していると、週日帰宅後はグッタリ。・・・・でも言い訳は止そう。

どんなに疲れていようと、fitnessに出かけてトレッドミルで走ったときの爽快感を思うと、やはり健康維持のfitnessは疲れを倍加するものではなく、こころと身体、頭の疲れをとってくれる妙薬なのだ。7月は頑張ろう(おっと、「カンバロウ」は自分にも患者さんにも禁句のはずであった)

2013年6月26日水曜日

[Med-REHA] ISPGR参加のDr.M.Gunaratnamがリハセンター視察見学(2013/06/26)

秋田で開催された、2013 ISPGRに参加していた、Northern Sydney Local Health District所属、リハビリテーション医師のDr. Marcus Gunaratnam氏が秋田県立リハビリテーション・精神医療センタ-を見学・視察した。24日、秋田脳研で急性期リハビリテーションを見学。引き続いて26日午後、当センターを訪れた。

M.Gnaratnam

ロボット・スーツ“HAL”を利用した訓練、ほか見学

 到着直後、13時から実施中のロボット・スーツ“HAL”を利用した不全頚損患者の歩行訓練などを、同僚のN先生、Y先生の案内と説明で見学。私は同日午後、胃瘻造設・確認内視鏡日のため、玄関先廊下で挨拶を交わした後、15時から自室でコーヒーを飲みながら懇談した。M.Gunaratnam先生の所属する施設は、シドニー北部にある高齢者向け医療・介護・リハビリテーションの公的総合医療センター。現在、施設を改築中で完成部分のビデオを見せていただいた。壁面一切をガラス張りにするなど、採光をふんだんに取った自然豊かな環境に立つセンターである。彼が扱う患者とその疾患は、多数の背景疾患を抱えて運動過少から生活機能の低下した高齢者が多い。いわゆる、“re-conditioning”で我々のいう、“廃用症候群”である。但し、“re-conditioning”の入院集中訓練は21日に制限されているそうだ。

残る1時間は反復促通療法を中心に、上肢・体幹の機能回復訓練を作業療法室で見学

扱う患者が高齢者で、廃用症候群が多いという類似点で大いに意気投合した話しの後、作業療法室で、回復期から実施している上肢や体幹を中心とした片麻痺の反復促通療法を見学していただいた。動筋の皮膚刺激やタッピングと自動運動補助、拮抗筋のリラクゼーションを用手的に頻回に繰り返し、麻痺肢の運動回復を促通する。麻痺程度の強い例、慢性期で痙性が強い例では振動刺激や低周波刺激も活用する。現在はOT室に来る患者は原則すべてで反復促通療法を基本とした訓練と自主トレーニング指導を行っている。以上を説明すると、M.G.先生、大いに関心を示し、後日関連文献を送る約束もした。彼には思わぬ収穫だったらしい。

最後にセンター・アトリウムで、M.Gunaratnam先生・リハビリテーション科医師一同で一緒に記念の写真をパチリ。再会を期して夕方4時30分、帰途に着いた。お互い御苦労様でした。

2013年6月24日月曜日

[Med-REHA] センターに鹿大・川平先生を迎えて反復促通療法(川平法)の講演と実技セミナーを開催

2013/06/20、リハセンでは昨年に引き続いて鹿児島大学の川平和美先生をお迎えして、反復促通療法(川平法)の現況講演と実技指導セミナーを開催しました。講演・実技指導ともその聴講・指導の対象は脳研リハ部を含むセンター機能訓練部スタッフです。約1時間の講演では、説得力ある写真やビデオ、様々なエビデンスの供覧があり、スタッフ一同、感銘を受けました。

講演終了後、いよいよ実技指導です。反復促通基本手技に続いてPT、OTに分かれました。PTには片麻痺や脊損例での歩行再建に関わる基本的考え方と効率よい快適歩行に繋がる促通手技を、OTには麻痺側の肩・肘・手首、そして手指に対する促通手技を指導いただきました。

PTには特に片麻痺歩行訓練で患側過荷重を起こしやすいことで、この傾向はセラピストにも患者自身にもあるため注意するよう、お話がありました。その上で患側下肢振り出しを容易とする反復促通手技が快適歩行再獲得に有効との説明です。

上肢機能再建には、反復促通手技に加えて振動刺激や電気刺激の併用が有効で、低周波電気刺激はその点簡便、常時使用が望ましいとのこと。バイブレーションは重度片麻痺例の自動運動誘発に有効で、麻痺が強い場合に他動運動のみに固執せず是非、試みるようにとの事です。

熱のこもった指導が1時間以上続いて、あっと言う間に修了時刻が来てしまった感じでした。

実技指導の後半は、6月22日土曜に行う予定です。

[IS-REC] 五葉山(岩手県住田町)は好天だが風強し。ツツジとシャクナゲ端境期で花は楽しめず

地震と津波の影響で控えていた五葉山に登りました

2013/06/23、早朝5時に秋田を出発。出発時の天候は黒雲もかかる曇天。天候を気にかけながら朝の冷え込みに薄いヤッケを着込んで秋田道へ。

北上インターを降りて、4号線~397号~107号線経由で住田町の五葉山赤坂登山口へ。午前8時30分、登山口到着の頃には、すっかり表日本の天候。多少の雲はかかるが、その雲間から青空と陽射しが拡がっている。登山口で標高730メートル、ここから五葉山頂上1341メートルをめざす事となる。五葉山は2年前、東日本大震災の折に計画を断念した因縁の100名山の一つ。

北限の日本鹿親子が早速出迎え

午前8時50分、目印の鳥居をくぐって登山開始。早速、親子の日本鹿が笹を食んでお出迎え

登山道は傾斜緩く登りやすい。しかし瓦礫や石畳が多く、登山靴の感触に心地よさはない。ミズナラや白樺の林と両脇ヤマツツジの回廊が続く。ヤマツツジは頂上近くを除いて既に散ってしまっている。畳石を過ぎる頃からシャクナゲの群生が両脇に拡がる。しかしそのつぼみは固く、またつぼみすらみられないものも多い。今はまさにツツジとシャクナゲの端境期なのが残念。天気は良いが石楠花荘を過ぎ、日枝神社のある稜線付近で一休みし、そこで昼食とする。風強く汗びっしょりとなった身体が急速に冷えてゆく。風よけの為、ゴアテックスの雨具上っ張りを着込む。昼食後、頂上から更に進んで日の出岩に至る。恐る恐る日の出岩に登り、評判通りのコメツガやヒノキアスナロ原生林絶景を楽しむ。

帰路は延々と

8合目付近まで急傾斜の下りが続き、そこから登山口までも瓦礫と不整な石畳が多く、転ばぬようにゆっくり下ってゆく。いつもの早いペースの下りは困難。花に巡り会うことも少ないせいか、体感時間はいつもの数倍。やっとの思いで赤坂峠登山口に到着したのは午後3時過ぎ。五葉温泉に向かい、ここで汗を流して一路秋田へ。午後7時40分秋田到着。天候には恵まれましたが、シャクナゲ開花の時期には早く、ややタイミングが悪かった。しかし7月の苗場山登山に向けて良い体力トレーニングとなりました。

2013年6月17日月曜日

[Med-REHA] 50周年迎えたリハ医学会に参加しました

日本リハビリテーション医学会は今年50周年の節目

2013/06/13から東京、国際フォーラムで第50回日本リハビリテーション医学会総会が開催されました。前日の代議員会から最終日6/15土曜までの4日間、内容の濃いタイトスケジュールでした。小生も12日の代議員会から最終日、最後の新専門医制度説明会までフル参加でした。学会では50年の歴史を上田 敏先生や千野直一先生が特別講演でお話しされ、日本のリハビリテーションの歴史が教科書的知識から今に繋がる具体的事実として理解出来ました。

“リハ医の役割は、PM&Rのうち、PMに当たる物理(療法的分野)医学に主要な部分がある”、という千野先生の説明はとても納得ゆくものでした。運動療法のうち、加圧トレーニングの応用は身体障害や内部障害でも可能な事がわかり、これからの訓練メニューの一つに是非考えてみたい所です。“医療と倫理”に関する村上陽一郎先生の話しや、アジア各国のリハビリ医療の現況、慢性期の上肢機能回復にボトックスや磁気刺激、反復促通療法など、マルチモダールな方法で取り組めば機能予後改善に有効との阿保先生の話し、などなど、とても興味深い内容が目白押しの学会でした。

新専門医制度に向けてこれから大変な準備作業

最終日、新専門医制度について説明を受けました。新制度に対応した準備作業は学会全体でも、また各地方レベルでも吃緊の課題です。作業は大変な事ばかりです。しかし、実際若い先生を専門医に育て上げるためには一施設だけでは対応不可能で現在われわれも頭を悩ませており、これを機に研修環境を他の施設と共同して整備していきたいと考えています。リハビリテーション医の先生方、誠に御苦労様でした。

2013年6月3日月曜日

[IS-REC] 2013年5月、私の運動記録から~5月、Night Fitness“出勤”はちょうど月の半分でした

201305月運動実績

寒い5月前半は、お日様がさぱっりぱり顔をみせず雨の多い肌寒い天候がつづきました。ゴールデン・ウイークもどこも行かず、せめて夜間のFitnessにと精を出しました。その結果、何とか月の半分に当たる15日相当分通い詰めて、トレッドミル1日10km以上のランニングに汗を流しました。

月間総移動距離180kmの目標、今月はクリア!! ただし5月は31日あったお陰かな? 1日平均歩数8993歩、しっかり歩数(継続運動相当歩数)5172歩、4月に比べてやや向上。

5月後半は好天に恵まれて週末屋外散歩を楽しめました。最近、屋外でのデジカメ・パノラマ撮影に凝っています。でも天気が良い屋外で液晶通した構図確認は不可能。背面液晶は全く役に立ちません。ファインダー付きカメラが欲しいところ。しかしファインダー付きは一眼のみでサイズも大きく持ち運びに適さないのがジレンマ。

山行の季節となりました。6月はカメラもいじくり回しながら、散歩や山行を楽しみつつ、運動記録(月間総移動距離、しっかり歩数)をもっと延ばしたいですね。

2013年5月27日月曜日

[IS-REC] 和賀三山・羽山に登る


このところ週末含め天候不順だった東北地方も5月26日久し振りに好天に恵まれた。午前6時、秋田を出発。国道13号から横手で107号に折れ、山内・道の駅で小休憩。続く錦秋湖付近ではこの日“錦秋湖マラソン”で午前8時前に関わらず思わぬ人出あり、びっくり。幸いまだ交通渋滞なく、JR北上線・岩沢駅付近から登山口に向かう。去年、となりの和賀仙人岳に行ったが、その登山口に比べ羽山登山口はわかりにくい。標識を確認しながらやっと目印の鳥居ある登山口到着。鳥居を超えてまもなく湧水あり早速冷たい自然水を楽しむ。羽山は和賀三山の一つ。標高約600mで照葉樹林の里山。標高低いが最初からきつい登りで容易ではない。陽射しの当たる部分は気温高く、続く急傾斜で汗びっしょり。しかしブナや楓に覆われる登山道は空気まで緑に染まった感でまさに森林浴そのもの。

4月末に多かった残雪は既に消えて、イワウチワは既に終わっている。期待したシラネアオイはとうとう見つけられず。それでも頂上近く山つつじがそのピンク色を目立たせていた。枯れた木杭が鹿に似た自然の造型をなして眼を引く。第一、第二展望台からの展望はいずれも好天故の春がすみで今ひとつ。登山案内通り、登山口より75分で頂上到着。3角点が2箇所あるが頂上示す木の標識は朽ち果てている。頂上囲む立木の一本に“羽山”の名札有り、そこで記念の1枚。下山は駆け足気味であっと言う間に登山口に付いてしまった。汗ビッショリとなって早速、瀬美温泉まで直行。良い汗を流して帰秋。

2013年5月19日日曜日

[IS-REC] 山野井 昇著『水素と電子の生命』:病気や老化を分子・原子のレベルから見直す



身体の仕組みや働きを理解するのは生物学のレベルである。生物学は遺伝子・細胞に始まり、組織・器官・器官系という階層性の中で生命体の構造と機能を系統的に説明する。基礎医学は生物学的知識を中心に解剖学、生理学、生化学の知識を取込み、さらに環境や生活といった分野の理解も加えてその理論体系を構築する。病態生理学や病理学は臨床医学の基礎として、ヒトに起こるさまざまな変化や異常を系統的にとらえる。われわれ医療者はこういった知識の積み重ねでヒトの病気や障害を理解し治療に当たっている。


遺伝子・細胞レベルから原子・分子レベルでヒト身体の仕組みや異常を理解する


近年、遺伝子・細胞レベルの医学的理解は飛躍的に増大している。遺伝子・細胞レベルの医学はこれまで治療困難であった難病治療の可能性に光を当て、また老化やヒトの寿命についてもその解釈を可能としている。“tailor-made medicine”が近未来医学の主流となるだろうととも言われている。
本書、山野井昇著『水素と電子の生命』は、ヒトの健康維持やその破綻である病気・老化の問題を体内イオン環境から説明する。そして、ホメオスタシス、すなわち生体内至適環境への働きかけを通じた治療の可能性を提案する本である。


身体がさびる(体内の酸化)と病気や老化が起こる!!


今日、医学や生理学的研究の成果で「活性酸素」が体内の酸化を進め、ガンや生活習慣病、慢性疾患、老化現象を引き起こしていることがわかっている。活性酸素による体内酸化を防ぐには生体エネルギー産生の主要な仕組みであるミトコンドリア電子伝達系を円滑に作動させる必要がある。また活性酸素が一定割合で生じる事は避けられないため、その除去装置をうまく働かせることも必要である。本書では、原子・分子レベルからこの問題を見直し、“酸化還元電位を下げる”、すなわち酸化と逆方向に体内環境を是正する“還元”をどう治療に活かすか、そしてその実例として古来から知られる“名水”や“奇跡の水”の意味、物理療法として知られる電位治療の意味をわかりやすく説明している。


水素は体内で酸素・炭素に次いで多い構成元素


水素は体重当たり約10%を占め、酸素65%、炭素18%についで多い。生体内で水として存在するほか、生体構成蛋白、遺伝子DNA二重らせん構造、糖質・脂質の一部として広く体内に分布する。その特徴として低電位、還元力(電子を与える役目)という電気的特性や分子量1で、極めて小さく吸収性高くほとんどの物質・膜を通過して自由に体内に拡がる特性を持つ。また酸素(特に活性酸素)と反応して水に変わる極めて安全性の高い物質である事が挙げられる。


ヒドロキシラジカル除去に水素水


ミトコンドリアの研究から悪玉活性酸素であるヒドロキシラジカル無毒化に体内へ誘導した水素が有効であることが実証された。≪詳細は瀬名秀明・太田成男著『ミトコンドリアのちから』(新潮文庫)に紹介されている≫ 水素は肝臓での代謝や解毒にも関わっている。また体内の酸とアルカリバランス、ホメオスタシス維持にも働いている。
われわれが治療に用いる薬、特に西洋薬はピンポイントでその治療効果を期待出来るが一般には諸刃の剣である。われわれ医療者は改めてこれまで軽視していた感ある電位治療(生体の電気的治療)を見直しする必要があろう。また分子・原子レベルから生体を理解して、その至適環境(ホメオスタシス)維持に水素を応用することももっと真剣に考える必要がある。山野井の本書はこういった知識を深める第一歩である。

2013年5月2日木曜日

[IS-REC] 2013年4月 私の運動記録から~今月もさんざんな実績でした


201304月運動実績
Ghost新年度業務開始月の4月、夜間中心FitnessClub通いは11日のみ!! 月間総移動距離180kmの目標は遙か彼方

オムロン歩数計Walking Styleによる運動記録から、Fitness Club “出勤”は、月の三分の一、11日のみ。4月1日だけは意気込み高く、グラフに示される通り“しっかり運動距離12000歩”で上々の記録。しかし残念ながらその後がまったく続いていない。結果として4月成績:1日平均歩数8192歩、しっかり歩数4291歩、月間総移動距離159km。

自分の健康管理や体力・筋力維持向上に、実現可能な目標、“週4回は夜間Fitness Club ”、“山行のない日曜・休日は屋外ウォーク10000歩以上”実践などを掲げている。今年4月第一週後半は夫婦で“山口県大周遊”バス旅行に出かけたことも今回の実績に影響したようだ。

5月以降も、週末の日当直、学会出張など、様々な事情と予定でFitnessに行けないことが多くなる。予定外の〆切迫る仕事が入る事も多い。週日夜間に時々ある秋田市内の様々な医学講演会や講習会・研修会に自己研鑽目的に参加することもある(修了時間によってはその後にFitnessに行けることもある)。加えて今年は“糖尿病療養士講習”や“漢方セミナー”にも顔を出す予定でいる。やはり、やるべき事に優先順位を付け、また月や週単位での予定、目標管理をしっかり行ってゆこう。

“時は金なり”、“何となくダラダラ過ごしてしまう”ことは厳に慎み、避けられない所要以外、心してFitness出勤に当てるべし。

[IS-REC] 高野倉伍朔著『我が輩は八十六歳である』:アンチエイジング本として本書を読む(2)

 

“抗加齢ドック”を担当する医師の一人として物色した一般向けアンチエイジング実例本の一冊。アマゾンの本書紹介と立ち読みコーナーで「85歳にしてクアラルンプール移住と婚活を考えている」という前書き、つややかで血色良い膚、そして真向法の体操で驚異的な身体柔軟性を表した扉の写真に圧倒されて、思わず“ポチッと”購入してしまった。


本書キーワードは、“幸運と感謝の人生”、“呼吸法”、“真向法”、“糖鎖”、“水素水”、そして“婚活”


本書構成の大半は著者の生い立ちの記に始まり、多くのすばらしい人との出会い、幸運に恵まれながら海外発展に繋がる電動工具会社、常陸商会を築き上げ、長男にその代を譲るまでの人生成功譚。生来、体がひ弱で兵隊にもなれず学校を出てまず気象観測員となった由。戦後、様々な仕事を経験して、ついに功成し遂げるまで、たえず慢性的な頭痛に悩まされ薬が離せなかったという。しかし仕事が一段落して長生きや健康を意識するようになって以後、多種多様とも言える多くの健康法を律儀に実践したようだ。何が決めてで現在86歳、元気溌溂の素となっているのか、結局は語られていないように見える。しかし彼が信ずる腹式呼吸と毎日のウォーキング、真向法という柔軟体操、日本の伝統食と健康食品“糖鎖”服用、活性酸素・フリーラジカルスカベンジャーの水素水飲用。「これらすべてを実践して、ますます元気」というのが本書の結論らしい。
元気で息子に代を継ぎ、経済的にゆとりあれば、“85歳で婚活、海外移住の夢”も頷ける。彼の場合もさまざまな健康法に助けられながら、やはり三浦雄一郎と同様、人生の熱く夢ある目標と、それを実現に導く日々の努力がアンチエイジングの糧となっているのだろうか?

[IS-REC] 三浦雄一郎著『私はなぜ80歳でエベレストを目指すのか』:アンチエイジング本として本書を読む(1)

“抗加齢ドック”を担当している医療者の一人として関係する医学図書や一般向けに書かれたエイジングに関わる書籍を片っ端から読んでいる。加齢(aging)自体は避けられないが、加齢に伴う老化現象(senile process)は遅らせることが出来る。そして一般に後者を“抗加齢(Anti-aging)”と言う慣わしであり、私もこの意味で“抗加齢”を理解し、関係者や健診対象者に説明している。

 

世の中の高齢者には、“アンチエイジングの見本”のような人がいる

知る人ぞ知る三浦雄一郎さん、彼は日野原重明先生と並んでまさに超人的高齢者、“スーパー老人”であり、“アンチエイジングの見本”である。本書はこの夏、80歳でエベレストを目指す彼のリアルタイム中継を織り交ぜながら、他人になんと言われようが目標に向かってわくわくしながら用意周到突き進み、それを実現するため立ちはだかるさまざまな障害物をどう乗り越えてきているかを楽しげに語っている。
そして本書の意図する所、ややもすると自分の体力や年齢に妥協して何事にも引っ込み思案になりがちな多くの本書読者を「自分のエベレスト」を目指すよう焚き付ける事だという。
本書ではまず、今この“スーパー老人”がどのようにして排出したのか、それを解く鍵として彼自身の生い立ちを語り始める。父、敬介はじめ両親や近親者の優しい眼差し、確固とした教育方針、そして貧しいながら恵まれた家庭環境。大学卒業後の思わぬ挫折とプロスキーヤーとして遮二無二かつ大胆に生きて数々の偉業と成功をなし得た栄光の半生。そして誰しもありがちな慢心な気持ちから生まれた50代の挫折。彼の半生は栄光を手にするまでの並々ならない努力とともに、冒険家の自伝ストーリーとしても読者を飽きさせることはない。

本書はしかしメタボで心疾患を患うまでに至った彼が、その後そういった病気や障害を精神的にどう克服して、今再び“80歳、エベレストに立つ”夢を現実とすべく努力しているか、その点にフォーカスされている。メタボからくる冠疾患としての致死的不整脈。カテーテルアブレーションという重なる不整脈手術。普通の人であればそれだけでお手上げである。加えて思わぬ骨盤と大腿骨折を同時期に被る。もうそれを聞いただけで、結果にあるのは“寝たきり老人”と想像してしまう。スーパーマンを描く架空小説ならその後の思いもよらない回復と克服の経過に喝采を送るだろう。彼はその後、現在に至るまですさまじい筋力トレーニングや低酸素環境下でのトレーニングを継続して何とか寝たきりの危機を脱出した。しかし不整脈も完全に治癒した訳ではないようだ。次男の豪太というアンチエイジングを研究する頼もしいサポーターがいるとはいえ、“80歳のエベレスト登頂”はまさにあらゆる意味で死と隣り合わせにあるように思える。勿論それを彼は承知している。承知しているからこそ多少なりともリスクを軽減する努力と準備に余念と怠りがないのだが・・・「読者が目標をもって人生を突き進む」エールを送るための本書であるはずだが、彼の“スーパー老人”ぶりばかりに眼を奪われてしまった。一方で、本書は“人生に大小問わず目標を持つこと。その実現のためにワクワクして生き続けることこそがアンチエイジングである”と、自分体験を語っているところに強さと説得力がある。

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